自己の『本性』に従って生きる 【H・D・ソロー「市民の反抗」】
『森の生活(ウォールデン)』で有名なH・D・ソローの言葉です。
「人は、生き方というものをああしろ、こうしろと強制されることはない。ましてや、州や国家によって生き方を強制されることはない」ということを例えるために、このような言葉を残しています。
マサチューセッツ州は、1854年に人種差別法を制定しているのですが、ソローは、これら一連の州が行った人種差別に反対する意思表示として、六年間納税を拒否し、投獄されたという逸話があります。(もっとも、友人たちの尽力で投獄されたのは、一晩ですみました。)
この言葉からも、「独立自尊の精神」が深く根付いていることがわかります。そして、こうも言っています。
今から170年ほど前(1848年)のアメリカで、「論語」の言葉を信条に節義を全うし、国家の不正と闘って投獄された人物がいたという事実を、21世紀の日本人が、どれだけ知っているでしょうか。
私たちは、国家から与えてもらうことばかり考えていないでしょうか。
カシの実やクリの実のように、自分の本性を全うして死んでいく日本人が21世紀の今、どれだけいるでしょうか。
他人の意向を気にし、他人の発言に神経をすり減らし、他人からの評価を得るためにあくせくと働いているというのが、関の山のような気がします。
これでは、自己の本性のままに生を全うしているカシの実やクリの実以下ではないでしょうか。
植物は、自己の本性のままに生き、自己の本性のままに死んでいきます。
周囲を見ながら、皆と一緒にタイミングを合わせて落ちていくカシの実やクリの実など存在しないのです。
ソローの「市民的不服従」の言葉は、時代や国境を越え、人を動かし時代を動かしました。
ガンディーは、イギリスからの独立運動の際、「非暴力・不服従」の精神を貫きました。
キング牧師も、バスボイコット事件で白人のやり方に決して服従しませんでした。
ネルソン・マンデラは、アパルトヘイトと闘って、26年間牢獄で過ごしました。
令和の日本を見渡したとき、このような「市民」を見かけることは、ほとんどありません。
「人には、国や州といった権力に服従して、安心安全に生きることよりも、もっと大切なことがある」ということを、今一度、考えてみるべきなのかもしれません。