精読のすすめ 【『論語』を真に理解するために】
季文子については、『左伝』の中でも、いくつものエピソードが記されています。
このような『左伝』の記事をみても、季文子が、事を為す時に「三たび思う」のは、礼の道に反するか否かを熟考していたからではないかと考えることができます。
成公16年の時、春秋時代の大戦として有名な鄢陵の戦いがおこります。
戦争に至る経緯などについては、話が煩雑になるため別の機会に譲りますが、鄢陵の地で、「晋」国と「楚」国が戦うことになりました。
「魯」国も盟約のある晋軍に加勢する形で戦いに参加します。
しかし、そのような大戦時にも拘わらず、魯の国で内紛がおきます。
魯国の実権を握っていた三桓氏の一つであった叔孫氏の4代目当主=叔孫僑如は、魯国王(成公)の母=穆姜を抱き込んで、季文子と孟献子を排除するために、晋国の大夫である郤犨に賄賂を贈り、季文子を処罰するように依頼します。
この企みによって、季文子は逮捕拘束されてしまいます。
戦争の最中に、自身の勢力を拡大するために、他の勢力を排除するようなことをしているのです。
季文子は、魯の重臣=子叔声伯や晋の范文子の嘆願が認められ、無事釈放されます。陰謀が発覚した叔孫僑如は勢力争いに負け、斉の国に亡命します。
このことを見ても、季文子が大国「晋」の重臣を動かすほど、礼の人として知られていたことがわかります。
一方で、『左伝』を読んでいると、季文子がやったことは非礼である譏る記事も存在します。
「『鞍の戦い』に勝った記念として、後世にその名を示すために宮殿を建てた」という内容です。
鞍の戦いに勝ったのは、あくまでも軍事大国であり覇者の国であった晋国の功績であり、魯の国はその武功を誇ってはならないというのが『左伝』の主張です。
『左伝』では、「武の七徳」についても記されています。
そこでは、行き過ぎた武功を戒める言葉があります。
君主の私欲によって必要のない戦争をおこし、民を疲弊させ国の財政を破綻させてはならないとしています。
本来、「武」という文字は、戈を止めるという意味であるという記事もあります。
そのため、いたずらに武功を誇るのは非礼であるとし、季文子が戦勝記念で宮殿を建立したことを非難しているのでしょう。
季文子という人物について、『論語』の記事だけでは、その人となりや背景がわかりません。
しかし、中国の正史『左伝』の記事と併せて読むことで、人物像をより立体的に把握することができるようになります。
『左伝』は四書五経の一つです。
四書(論語、孟子、大学、中庸)や五経(詩経、易経、書経、春秋(左伝)、礼記)を丹念に読み込むことで、『論語』に登場する人物やエピソードの意味を知ることが出来、孔子が本当に言いたかったことを理解できるようになるでしょう。
単に教養の構築に留まらず、人間性を真に養成するための「読書」とは、緻密な読解力を要する「精読」のことを指します。
情報を処理するための速読速解とは全く異なる手法であり、ましてや読んだ冊数を誇るだけの自己顕示欲を満足させるための読書とは真逆なものです。
「学問」の道とは、人に自慢するためのものではなく、自分のためにするものです。
「タイパ」「コスパ」という言葉がもてはやされる効率至上主義の現代では、真の「学問」はほとんど消滅してしまっているように見えます。
しかし、そのような時代だからこそ、生涯にわたって、「学問の道」や「精読」を粛々と実践していく意味があるような気がします。