「繊細」の本当に意味する処 その1
「おおてぼサンは、繊細だね」と言われてきた。
「おおてぼサンは、弱いから、もっと強くならなくてはね」とも言われた。
なぜ、そう言われたのか…
人と知り合い、自分のことを話すようになり、相手を信頼して本音を言えるようになると感情が高ぶって話を切ってしまうようなことが度々あったから?ではないか、と思われる。
ただ、現実、口論になったことなど、ほとんどない。
そもそも争うのは嫌いだから。
(争うなんてばかみたい、と、感じていた。)
昔、確か…
頼まれて描いたヒマワリの絵。
花の中央に顔を描いて、その顔は目をつむっていたのだった。
アナログな時代で、色鉛筆か何かで紙に描いたものだ。
依頼者の依頼者は、提出されたその絵の目が伏せてつむっていたのを変えたかったらしい。その絵が実際に印刷されてきた時、誰がしたのか勝手にぱっちり開眼お目目に描き換えられていた…
後から知ったことではあるが、「変えるなら言ってくだされば書き直したのですが」と、今更と知りながら私は気持ちを伝えた。
依頼者は「私もおおてぼサンに伝えるべきだとは思ったのですが」とおっしゃったけれども、する前に電話一本教えてくださるわけでもなかったので、私は信頼していただけに、とてもがっかりした。
ボランティアで報酬も何も発生しないのは最初から知っていてやったので、完全な善意の話。作品にダメ出しをするわけでなく、勝手に書き換えるなんて、なんでもやっていいものかね、としばらく悶々と引きずった、という、ヒマワリお目目事件。(正直、皆がそれで喜ぶならいいので、結果オーライだと私は思ってるのですが)
こういう事が他にあったかどうかは、覚えておらず、何をもって、その方が私を弱いと言い切ったかわからないが、もしかしたら、
「細かいことを許せずに拘って、愚痴愚痴いつまでも言ってる弱い人」というようなイメージを持たれていたのだろうか。
「弱い」という言い方ではあるが、私はそれを「傷つきやすい」というニュアンスで受け取っていたため、今回並列する「繊細」とほぼ同じ意味にとらえて考察してみた。
別件で、
子育てサークルや、PTAの役員会などの時に、お仕事で時間の合わない中参加してくださってる人達に ”できるだけ負担なく、しかし業務は少しでもやっていただこうという下心”もあって、こまめに連絡を取ったり、時間調整をしたりしていた。
そのやりとりをして、個人個人で話を聞いていると、だんだん親しくなって細かいことまで話すようになってくると、「おおてぼサンって繊細だよね」というフレーズが場所を変え、人を変え、たまに出てくるようになった。
? 私が、繊細? HSPってやつ? …だよね、文脈的に。
※ Highly Sensitive Person =感性が鋭く感じやすい人と言われる
日頃私の周りにいる、全く一般的な女性が繊細、ということばを使う時、多くは「おおてぼサンも、私も同じように物事の細かいところに気づく感性があるよねっ?」というような同意を求めるニュアンスを感じている。
なんとな~くではあるが、私が繊細かどうかはともかくとして、私に何か似た匂いを感じた彼女たちが、先に自分を繊細認定しているように思うのだ。
私がただそう感じているだけなので確証はない。
ともあれ、私の中の何かが私を繊細だと思わせているのなら、それの正体を知りたいと思った。