インターネットに渦巻く「不安」
昨日も夜中0時を過ぎてからもずっとスマホをいじり、Twitterで「ワクチン 一回だけ」と検索をする。今自分は一回コロナワクチンを接種してから2週間が過ぎて、「一回だけでもある程度はワクチンの効果が出る」という記事や専門家の言葉を見つけたくて安心したいからだ。
僕は不安から逃れるために、安心したいからインターネットやっているという自覚がある。安心材料が欲しいのだ。そして結果、安心材料よりも不安を膨らます呟きを目にして余計眠れなくなるのだ。コロナに限らず、夜中にネットを使うのってこんな事ばっかりだ。
僕だけじゃなく何となく分かる、インターネットの世界には「不安」が渦巻いているように見える。根拠の無いデマも恐らく根本は不安から来ている。何でもいいか飛びついて安心したいんだよ。すがりたいんだ。きっと人の「不安」は飯の種になる。適当に不安を煽ってやればいいんだ。俺が悪いやつならそう考える(そういう発想をしてる時点で悪いやつなのかもしれない)。不安から逃れたいという人の気持ちは途方も無くデカい。
不安でいっぱいだと余裕が無くなる。自分が自分でいられなくなる感覚になる、これは良くない事だ。この途方もない不安というものが暴れ出したら、恐らく最終的には狂ってしまう。そしてこの不安というのは抑圧されがちだ。「みんな不安をどこかに抱えながら生きているんだ」という自制心が自分は働く。平時を装う。「不安だ」という人間は頼りない、こんな人に誰が付いていくんだ、と自分で思ってしまう。
人の不安を利用する商売は悪か?というのもハッキリ断言できない部分もある。娯楽、エンターテイメントだって不安な心を忘れさせるという役割もあるだろう。悪だ!と言い切ってしまう事が実はその時点で誰かの手のひらで転がされている事だってあるんだ。
今の所はこう思っている。大事なのは自分の「不安」を自覚する事だ。ずっと平常心でいられるわけがない、特に有事とも言えるこのご時世で。自分自身の「不安」をうまく取り扱う事だ。信頼できる近しい人にだけでもいい、「不安」を打ち明けて自分の支配下に置いておく事だ。「不安」を抱えたまんま放置しておくと、いつか膨れ上がって暴れる。noteを書いたり日記を書くのも良いかもしれない。
「不安」を大事に飼っていてほしいと思う。自分の身を守るサインだから。不安になっちゃいけないなんて事は無い。大事にしていきたい。