人生の無駄遣い
これは小説です(小説じゃない)
書き始めたのは2019年
完成してのは2021年
仕事の合間に書きました
幻冬舎に原稿を送りました
写真の紙が送られてきました
………
これは作品を楽しむものではないです
僕の人生の無駄遣いを見るものです
さて、あなたも無駄遣いしてみませんか?
例えを使った話
大森 新《あらた》
【目次】
例えを使った話
例えを使った小説
ポケモン
合コン
カレー
久保
マグロ
日本代表
マネージャー
カレー2
田中
【例えを使った話】
話の上手い人は例えをよく使う。その例えは、話の内容を分かりやすくしてくれる効果があり、聞く側は、より早く、深く理解出来る事になる。話の下手な人も例えをよく使う。しかし、その例えは、話の上手い人の様にはいかず、ただ、話の内容が分かりにくくなって、聞く側は困る事になってしまう。これを書いている僕は後者になる。僕の説明する為に用いる例えは、何を言いたいのかを、分かりにくくしてしまう、悪い効果があるのであった。それに気付いたのは、結婚してからだ。何故、そんなに時間が掛かったかと言うと、僕が話す際に「面白く説明しよう」との気持ちが見える為か、聞く側は、あえて指摘せずに、考えて理解してくれていたんだと思っている。ある日、嫁に言われた。「その例え、いらんよね!」言われるまでは、自覚はなかった。その時は、少し悪い気になったのを覚えている。その後、昔の自分を振り返ってみる事をした。そうすると、思い当たる節は沢山あったのだった。(今まで、どれだけ例えを使ってきたんだろうか?)そして、こうも思った。(多分、これは直らないだろう……)話は、話の上手い人の例えに戻る。話の上手い人は、「例え話」単独だけでも面白い。僕が、YouTubeで見つけた。サイコパスおじさん(自称)の動画がある。『テレビはホテルカレー』この動画は、すごく面白く、今、説明した事と、上手い例えが、どう言うものかが、わかる様になっているので紹介したい。
『テレビはホテルカレー』
「ホテルのカレーは、美味しいものがない。と、言われている。ホテルのレストランの場においては、スパイスによる刺激的な匂いが出せない。辛いものを食べられない、子どもやお年寄りも利用する為、万人受けの味付けをしないといけない。そういう理由があるんです!」僕は、これを聞いた時、勉強になったと思った。スパイス好きな僕は、ホテルカレーに、そういうパンチのないイメージはあったものの、こんなホテル事情があるとは知らなかった。場に合わせて対応する。今、考えれば当たり前のことだが、それをホテルカレーで教わった事は、何か面白さを感じる。どうだろう?面白いと思うのは、僕だけだろうか?どうだろう?これを聞いて、成る程!と、感動してしまう人は、他にいないだろうか?では続いて、上手い例えが、どう言うものなのかの話をする。「ホテルカレー」と「テレビ」が、どういう意味で同じであるかという所になる。
『テレビはホテルカレー2』
テレビには規則がある。これは放送しちゃダメ。言っちゃダメ。みたいなNGが多く存在する。そこで、それを作る側が不満に思う事がある。では、放送してクレームが入ったとしよう。(これでクレームが入るの?これがNGなの?表現の自由は?そんなに縛りがあったら良いものは作れないよ!)作る側の不満はこんな感じになると思う。しかし、サイコパスおじさんは言っていた。「テレビには規則があるべきなのです」そこで、ホテルカレーにつながってくる。「テレビの場において、NG《刺激》は相応しくない。テレビは一般的に一番のメディアになる為に、テレビを見る人には、色んな考えを持つ人。色んな状況にある人。様々な人がいる。だから、作る側に悪意がなくても、それを不快に感じ、クレームを言う人が出てきてしまうのです」つまり、「苦痛を感じる人がいるから、誰にでも安心して食べられる、ホテルカレー。これこそがテレビのあり方だと思うのです」と、説明していた。ここで言っている、テレビのあり方の答え。それは、人それぞれでいいと思う。ただ、僕はこの考え方はすごく的確で良いと思ったのだった。その中で用いたホテルカレーの話。分かりやすくて、面白いもので、まさに上手い例え方だと感じたのだった。どうだろう?この話は面白く、聞いて為になったと思ったのではないか?どうだろう?この人の話をもっと聞いてみたいと思ったのではないか?まだ続く。実は、面白かったという理由がまだある。それは、例える事が下手な僕ならではの、他の人には、共感出来ない理由になると思うので説明したい。
『テレビはホテルカレー3』
このYouTubeに上がった動画を見た僕は、これは、ほとんどの人が面白いと感じるのではないかと思った。そして、その通りに、この動画のコメント欄には、たくさんの賛辞の声があった。僕は思った。その中でも、僕が一番、感動しているんじゃないかと。それは何故なのか?上手い例えが使われていたからだ!例えるのが下手な僕にとって、上手い例えに出会う事は嬉しい事なのだ!例える事が下手なクセに例える事が好きな僕にとっては、こういう良い例えに出会える事は、貴重なものであり、凄く凄く嬉しい事になるのだ!僕は小さい頃から例えを使ってきた。しかし、上手に使えてない事実を知った。それでも尚、例え続けている。それほど例えとは素晴らしい物なのだ!例えを使った話は、みんなが面白いと感じる物なのだ。
【例えを使った小説】
僕は例えを用いる小説が好きだ。大好きな作家がいる。その作家の作品に、国民的お菓子が、題名になったものがある。映画化もされており、お薦めとして紹介するなら、この作品になるだろう。この作品にも例えが使われている。と、言うか、例えが使われてない小説は、世の中に存在していないと思う。それだけ、例えは、小説の中でも必要とされている。これを僕が例えてみる。寿司屋の醤油なんてどうだろうか?やはり、下手だ。もっといい例えが絶対あるはずだ。話を戻す。この作品に使われている例えの一つは、オチに関わってくるもので、その組み合わせと構成は、鳥肌が立つ程の驚きと感動があった。それを、全体の話を伏せて、その理由を伝えてみたい。
『感動した理由の説明』(この話は、ある作品のネタバレがあります)
主人公は、昔から出来が悪く、母に迷惑をかけている自覚があった。そんなある日、母が本当の親でない事を知る。それと一緒に、本当の子(母が産んだ子)の事も知る。本当の子は、世間的に有名人(出来が良い)であった。そこで、主人公は、自分と比べる事により、「何で間違えたんだよ!」と、何とも言えない気持ちを持つ事になってしまった。(当時、病院は忙しく、赤ちゃんの取り違いが起きていた。この状況は、それによってうまれたものであったのだ)主人公は不器用で優しい青年だった。この事実を知ってからの主人公は、本当の子と母親に、何とか関わりを持たせようと奮闘する事になる。その最中での話になる。主人公は、車の中で彼女に、「ポテトチップス買ってきて!」と、言われたので、車の外に出てポテトチップスを買いに行った。ポテトチップスは、自分用のうすしお味と、彼女用のコンソメ味を買った。そして、車に戻るのだが、そのポテトチップスを食べる時のやり取りがある。主人公は、袋を確認せずに一つを彼女に渡して、残った方を食べ始める。そして、彼女も、同じ様に食べ始めるのだが、そこで、彼女は自分が頼んだコンソメ味でない事に気づく。彼女は怒り、主人公は間違えた事に気付いて、謝りながら交換をしようとするのだが、そこで、彼女は、「コンソメ食べたい気分だっだけど、塩は塩で食べてみると良いもんだわ。間違えてもらってかえって良かったかもしれない」と、言って、そのまま食べ続けるのであった。そして、その後、主人公の目から、突然、涙がこぼれる事になるのだった……何の涙か説明する。この時点では、涙の理由が分からない作りになっている。実は、先に書いた赤ちゃんの取り違いの話は、読者には、後から知ることの出来る事実であり、それが、わかる事で涙の理由が見えてくる事になる。それは、主人公の「何で間違えたんだよ」の、何とも言えない気持ちの返答が、「間違えてもらってかえって良かった」に、なる事で、主人公の安堵から出た涙だったと読み解けるのだった。主人公の思いが報われる事。それをオシャレな形で読む側が知れる事。それが、驚きとなり感動となったのだった。僕は、この2つの話の組み合わせ方が、『テレビはホテルカレー』の例えの使い方と似ている様に感じた。それは、話の上手い人。例えるのが上手い人が使える、匠の技の様に感じた。僕は、この作品は、それ自体の面白さは勿論あるのだが、この匠の技がある事により、驚きと感動がより高まる事になったのだと思っている。まだ続く。もう少し感動した理由を掘り下げていきたい。
『感動した理由の説明2』
この作品に出てくる、赤ちゃんの取り違いの話。僕はこれを違う小説や映画で見たことがあり、珍しさは感じなかった。車の中でのポテトチップスの間違えたやり取り。これに関して言えば、この作品の中のキャラだから、成り立つ話になると思う。二人とも、食べる前に、袋を確認してない事から、現実では想像しにくいのだが、この作品内では、ここまでにいたる、二人の性格、行動などから、あまり不自然さを感じない様になっている。この作者の作品には、他にも、独特なキャラからなる、特別な状況と言うのが、多くでてくるのだが、この話は脱線になるのでやめておく。そこで、ポテトチップスの間違えを、僕が小学生の時にした経験で考えてみる。
『小学5年の話』
「ポテトチップス買ってきて!」妹に言われたので、僕は近くの酒屋に、買いに行く事にした。酒屋に入ると、目のつく所に、関西だし醤油味のポテトチップスが置いてあった。僕は、ピンク色のパッケージと美味しそうな語感から、それを選んでしまった。家に帰り、妹に渡した。「うすしお味じゃないじゃん!」頼まれたものと、違うものを、買ってきた為、妹に怒られた。しかし、食べ始めると、「これ美味いね。ありがとね!」逆にお礼を言われる形になった。みんなもあるんじゃないか? 良かれと思って、違うものを買ってきて、結果的に良かったみたいな話。ここで『感動した理由の説明2』の最初に戻る。僕は、赤ちゃんの取り違いと、ポテトチップスの間違い(アレンジを加える)は、作る話としては、普通だと思う。じゃあ何が凄いのか?それは、この2つの話は関連性がない様に見える。しかし、それを発想で繋ぎ合わせてしまう事。物語として作り上げてしまう事。作者の作家としての力に凄さを感じたのだった。変な形の説明であり、自分の都合の良い解釈などが多く含まれる為、気付いた作者のファンからは批判が出るかもしれないが、僕の言いたい事は何となく伝えられたと思う。もう少し続く。では、ここまでの内容がどういう意味があるのかの説明をする。
『これまでの話の役割り』
ロックミュージシャンが、曲を始める前に、前説みたいなものをする事は知っているだろうか?曲のできた経緯や思いを、曲を始める前に言う事で、その曲に込めた思いを、より強く伝える為の手段になる。そう、これは今から発表する、僕の考えた小説の前置きだったのである。どうでしょうか?この例えは?この例えは、上手いかどうかは、本編を見て判断していただきたい。これまででも、僕の例えに対する思いは伝わったかと思います。より伝わる本編になっているので是非本編へ!
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?