見出し画像

「ぱふ」三原順評論小特集

(ポーの一族「青のパンドラ」の続きが月刊「flowers」最新号に載ったのですが、たったの10ページで、エドガーもアランも登場しないため、何も書く内容がなく、しかも次回は来年の初夏ということなので、半年以上前に書いてお蔵入りにした記事を手直ししてアップします。長い上に非常にマニアックな内容となっています)

昔、「ぱふ」という、まんが専門誌がありましたが、ここを読まれているような方はご存知の方も多いと思います。例年、「ぱふ」の4月号は年間マンガベストテンが発表されるので、4月近くになったら書店へ行って購入しようと、毎年思いつつ、実際に4月前になると心身共に多忙なため、すっかり忘れてしまい、あー今年も買い逃したーというのは十代の頃の懐かしい記憶です。なんせ大きなターミナル駅の書店にでも行かないと売ってない雑誌だったので。

それでも4月号以外の号を買ったり、近所の古本屋にはたまに置いてあったりしたので、なんだかんだで二十冊くらい集めたのですが、「ぱふ」のサイズが大きくなった頃には興味を失ってしまい、たまに立ち読みする程度でした。三原順追悼号は買いましたが 

「ぱふ」の萩尾望都特集は1979年4月号と1980年12月号の二度あったのですが、他のマンガ家の特集に関してはそのマンガ家のインタビューや対談などが載っているものも多かったのに、なぜか萩尾さんの場合、二冊とも萩尾さんが関与した形跡が見られません。萩尾望都特集part2の座談会なんて、こんなつまらない座談会は見たことないよ?ってくらいのやる気のなさ。なんでこんなものを活字にしようと思ったのか、よほど他に載せるものがなかったのでしょうか

この頃の「ぱふ」は萩尾望都が圧倒的人気を誇った時期で、1979年の「'78年度マンガ界総決算号」の中の、「一番好きな作家ベスト1」に萩尾さんが選ばれています。ちなみに、2位は大島弓子さん、3位は竹宮さん、4位が三原順さん、5位が手塚治虫さんと、ほぼ上位は女性ばかりでした。
その時の萩尾さんのコメントが

あの…………そういうことは個人の好きずきですから…………

「ぱふ」1979年2・3月号

たったこれだけです。なんという塩対応!
萩尾さんは「ぱふ」を好きじゃなかったというのがよくわかります。ただ、「ぱふ」は1974年に「漫画界」、1975年に「漫波」、1976年に「まんぱコミック」1977年に「だっくす」、1979年に「ぱふ」と雑誌名を変えてきたようですが、このうちの「まんぱコミック」では萩尾さん、インタビューに答えているんですよ。そのインタビューの再録が「ぱふ」1979年8月号に載っていて、萩尾さんが取材に応じてくれなくなったので、仕方なく昔のインタビューを引っ張り出してきた苦労が伺えます

でも、なぜ萩尾さんはそこまで「ぱふ」に関わりたくなかったのか?「まんぱコミック」のインタビューで嫌な思いをしたのでしょうか?それとも、「だっくす」時代のワーストマンガに「ゴールデンライラック」が選ばれているから?
その疑問を、5ちゃんねるで投げかけたところ、他にも青池保子さんや諸星大二郎氏など、「ぱふ」を嫌いな漫画家がいて、青池保子さんは一度特集があったのですが、その時相当嫌な思いをしたらしく、「エロイカ特集号」は拒否したのだというレスが返ってきました(5ちゃんねる情報)

で、ここからが本題なのですが、別の5ちゃんねるレスに

ちょっとスレチではあるけれど「ぱふ」がらみで思ったのは
初期は特にドマニア御用達であっただろうし、当時のドマニアに対して漫画家側では
よく思っていない方も多かったように感じます
三原順さんが当時のそういったマニア(多分某大学の少女マンガサークル評論誌)に対してかなり
辛辣なことを書いた寄稿文が「LOST AND FOUND」で読めますが
(以下略)

大泉スレpart80

とあって、私も「LOST AND FOUND」(三原順さんが亡くなった後に出た、いろんなアレコレが掲載された本)を持っていたのですが、その件についてはすっかり失念していて、もう一度読み返してみました

三原さんが書かれたのは、早稲田おとめちっくくらぶで発行した三原順特集への寄稿文「オトメチッククラブ 寄稿文」だったようです。ただ、三原さん自身は、なんとこの特集を実際に読んだわけではなく、未読の段階で書いていたようで、三原さん本人も

皆様が何をお書き下さったのか 判らぬままこのような文を書く事には躊いもあったのですが 何故私が批評・評論の類を嫌うかにつきまして…。

オトメチッククラブ寄稿文

と書かれています。つまり、書かれた内容は早稲田おとめちっくくらぶとは全く無関係なんです。早稲田おとめちっくくらぶの三原順特集として何が書かれていたのかはわかりませんが、学生さんたち、とっても困惑したんじゃないでしょうか?(笑)
どうして三原順さんは、そこまでして自分が「なぜ批評・評論の類を嫌うか」を伝えたかったのでしょう?ちょっと三原さんらしくないんです。
それに、私は長年三原順さんのファンですが、三原マンガの「評論」というものを一つも読んだ記憶がありません。三原さんが嫌った「批評・評論」とはいったい何なのか?そこがまず疑問でした
この「オトメチッククラブ 寄稿文」が書かれたのが1980年12月のことなので、それ以前に書かれた「批評・評論」であることは確実ですが、検索して探してみたら、その直前の「ぱふ」1980年10月号に、「三原順評論小特集」なる企画があったため、これか!!!とネットで入手しました。

この特集の中の「はみだしっ子 in 4D」という評論がおそらく、三原順さんの嫌った対象なのでしょう。ただ、これ、「ぱふ」には執筆者の名前が書いてないんですよ。元は「漫画新批評大系'78年2号」に書かれたものらしいので、主筆の亜庭じゅん氏なのか?と考えました。定かではありませんが、以後この論者のことを亜庭氏とみなして続けることにします。間違ってたらすみません

一読して、ここまで「はみだしっ子」を的確に語る文章を初めて読んだという感想を持ちました。三原さんも、箸にも棒にもかからない批評だったらスルーできたと思うのですが、なまじ「理解」があるからこそ、看過できず、反論したくなったのかと思います

しかも、この批評は1978年、まだ「はみだしっ子」シリーズが半分も終わってない段階(6巻「裏切り者」が発売した後)で書かれているのです

 おそらく困惑から始めるのがいいのだろう。はみだしっ子シリーズと銘打たれた6冊の新書版を前にして、ぼくは今、途方にくれている。
 この作品について何を語ればいいのか、ぼくにはそれがわからない。

はみだしっ子 in 4D

 決して少なくはない人間が、熱狂的に感動し、拍手を送り、手紙を寄越すシリーズ「はみだしっ子」。ファンたちに聞いてみてもムダだろう。ぼくが感じているこの感触を、彼女たち、彼たちが知っているなら、こんなにも熱っぽい愛情を彼ら4人に送りはしないはずだから。
 だが連中、ほんとに感じてはいなのだろうか。はみだしっ子シリーズのあの、読み手を突き放してしまう虚無の壁を。
 ともあれ、ぼくは、この作品を語るとしたら、そこから始めるしかない。本当のやさしさを、心の交わりを絶望的な声音で叫んでいるこの作品の表相とそうした表面のメッセージと全く対立する恐ろしく孤独な影との矛盾から始めるしか――。

はみだしっ子 in 4D

 レイン(注:R.D.レイン)の中に、ぼくは三原順と同質のものを感じることはできる。この錯綜した関りを超えたいという切ないまでの願い、越えられる筈だという確信、超えるためには「自分を発見」しなければいけないという結論。
 だが、それでも、それが何になるのだろう。
 何もかもわかっていることなのに、それをもう一度、見せられたところで、何も生まれるわけではない。
 地図を何度見たところで、山を征服したことにはなりはしない、そう言ったのは誰だったか。
 と言ったところで、山に登る程勇敢には、なれはしないのだ。

はみだしっ子 in 4D

このあたり、うっすらと「はみだしっ子」批判?批判というより疑問?を感じます。これに対してなのかわかりませんが、三原さんは、「オトメチッククラブ 寄稿文」でこう語っています

ついでに誤解される危険を承知で 尚且つ投げやりに言うならば 「こんな作品を書いて何になるのか?」との問いへの私の問いは「貴方が生きていて何になるのか?」なのです。念の為、これは感想文です。

オトメチッククラブ寄稿文

三原さんの言っていることもわかりますが、亜庭氏の言っていることもわかります。実際「こんな作品を描いて何の意味があるのだろう?」と私も亜庭氏と同様のことを「はみだしっ子」に対して感じてましたから

「ヒカルの碁」という有名なマンガがありますが、あの中で、超エリート囲碁少年のアキラ君が、囲碁の勝負を開始して、早々に自分の負けを認め、うなだれるシーンがありますよね。私にとって、あのアキラ君はあまりに賢すぎて、人生の初期に人間社会と自分自身に絶望してしまった三原さんのように思えてなりません。もちろん囲碁に強くなるためには必要な判断能力でしょうが、人生においてそれは必要なのでしょうか?夢をみている期間は長ければ長いほど幸せなのでは?とも思ってしまいます。なんせ私にとって「はみだしっ子」で折にふれて思い出す最頻出の台詞がアンジーの「楽しむだけが人生さ」(正確ではないです)なのですから。しかし、これをその都度自覚させられるのは、楽しいことではありません。
おそらく、「こんな作品を書いて何になるのか?」は三原さん自身が、「はみだしっ子」を描きながら何度も自問自答した問いなのでしょう。だから「貴方が生きていて何になるのか?」と問いで返すしかなかったのだと思います

皆様「感想文」とは仰らない。マンガや感想文は一つの観念に凝り固まって書く事も可能と思っております。しかし批評であるならば ご自分の観念と作家の観念…ご自分が評するため用いる尺度と、作家が抱え込もうとする尺度、その両方を複式で眺める位のことはして頂きたいのです。

オトメチッククラブ寄稿文

これが、三原さんが「批評・評論」を嫌う理由のようですが、つまりは、「感想文」として書くなら、スルーできるということなのでしょう。
ようは批評というタイトルと内容が合致してないのが気に入らないということでしょうが、私には三原さんは内心ではそういった本物の批評(突破口になりそうな何か)を待ち望んでいたのかな?とも思えてしまいます

例えば…私のキャラクターに対し 人間としての優劣をつけて下さる方々もいらっしゃる様なのですが 評下(「価」の誤り?わざと?)の良し悪しは別としても 私には読者からの「恋人にするならアンジーでマックスはペット」とか「グレアムは嫌い」とかのお手紙の方が素直に受け入れられるのです。つまり私はそのレベルで書いています。優れた人間を書きたいのでも、正しいものを書きたいのでもなく、ただ、そうしか生きていけない者を書いているだけです。

オトメチッククラブ寄稿文

これは以下の文章への反論かと思われます

 萩尾望都・竹宮恵子を中心に描かれてきた少年たち――エドガー・ポーツネル、トーマ・シューベル、ユリスモール、ジルベール・コクトー、etc……彼らの影を4人組に見ることはできる。だが、これらの美少年たちの、ある意味でまっすぐなしなやかさを、はみだしっ子たちは備えてはいない。世界と自己の間をうめようとするひたむきな愛、その張りつめたゆらめきの輝かしさ、そんなものははるか彼方だ。Y女史のいう、少年の走る時の美しさなど皆無といっていい。
 エドガーにせよ、ジルベールにせよ、彼らは何らかの形で世界に関わろうとする。彼らは世界へと託された意志であり、彼らの視線はまっすぐに読者を射る。それは読者の意向に関わりなく、自らを自立したものとして、信じ切れる強さの所産だ。萩尾望都の透明な幻想の彼方に投げかける時への想い。竹宮恵子の、人と人との結合の根源に至ろうとする研ぎすまされた熱、場合によっては、たとえ、そのことで自らが滅び去ってしまうとしても、なお、他者を拒絶しきる強さを、彼らは持っている。それが、彼らの美しさの源であり、憧れを呼び起こす魅力の中心だ。読者は、彼らを愛することで、自らを彼らの世界へ、彼らがそこへ向かおうとする世界へ、投げかける。

はみだしっ子 in 4D

 だが、はみだしっ子たちはどうだろう。エドガーたちに比べた時の彼らの惨ったらしさはどうだろう!彼らには、鮮烈な美も、抜き差しならない決意もありはしない。ひたすら、子供ごっこを演じて、可愛らしくふるまい、その不器用さとダメさ加減をみせびらかして、オズオズと、読者に愛をねだるのだ。彼らの弱さをてこに、はみだしっ子たちは、読者の中に忍び込もうとする。
 読者であるあなたの持つ弱さ、彼らはそれを媒介に、あなたの自己を盗みとろうとしているのだ。

はみだしっ子 in 4D

確かに4人には「鮮烈な美」も「抜き差しならない決意」もないですね、少なくとも6巻の「裏切り者」の時点では。
ただ、これがキャラクターに「優劣」をつけているのかどうかは疑問です。
エドガーたちを引き合いにして、4人のキャラを浮き彫りにしたいだけとも取れますが、そこには多分に亜庭氏の趣味が入っていて、それが三原さんの言うように「ご自分の観念」「ご自分が評するため用いる尺度」ということになるのでしょうか

で、何度か三原さんの書いた「オトメチッククラブ 寄稿文」を繰り返し読んだ後、ああ、そういうことかと腑に落ちました。三原さんは亜庭氏に対して怒りを感じたわけではないのだと。むしろ、理解してもらえて嬉しかったんだと。
反論している形に見せかけて、亜庭氏に語りかけている(というか、じゃれついている)だけなんだと。
全く無関係の早稲田おとめちっくクラブへの寄稿文に書いてしまうほどに……
とか書いてますが、本気で三原さんが亜庭氏に怒っていたということならすみません。でも、本気で不満を感じていたなら、三原さんだったら完全スルーするんじゃないかなって思うんですよね

「Sons」のDDの台詞に「悪いけどオレ そんな何もできずグズグズしてる主人公って好きになれないよ!」というものがあるのですが、この台詞は、亜庭氏のグレアムら4人に対する感想を言葉を悪くして表現したものとも言えるのではないでしょうか。
これに対するジュニアの返答は「君が正しい…けれどもし君があの話の主人公であったなら…果たしてどんな行動を起こせたのか… それを聞かなかったのが残念だ」というもので、これはまさに亜庭氏に対する三原さんの問いかけだったと思えてなりません。亜庭氏なら「はみだしっ子」をいったいどう終わらせたのかは私も興味があるところです

亜庭氏はオフィーリア(フー姉様)をやけに評価していて

 現在と過去にばかりかかずり合っている「はみだしっ子」の中で、たとえ“老いる”というひどい云い方でも、変わることなく明日に向かえるオフィーリアちゃん。彼女は一つの大きな焦点だ。見られ、描かれ、憧れられた存在――作品の可能性なのだ。
 オフィーリアちゃんで、ぼくはやっと「作品」に出会うだろう。何度も何度もくり返された迷路のようなことばの連なりは、オフィーリアちゃんへ至るための修練だったのだろう。そして、そこにようやく、三原順という作家の影を見ることができる筈だ。

はみだしっ子 in 4D

こんなことを書いているんですよ。亜庭氏の言う「作品」というのが、この人独自の意味を持っていて、そのあたりは原文を全部読んで頂きたいです。(読んでもよくわからないのですが……)。一部紹介すると

作品が、現実に対抗する異物としてそれを超えたところに拡がりを持つのではなく、読者自身の内部にあるものを確認することで展開していくのが「はみだしっ子」シリーズである。

はみだしっ子 in 4D

はみだしっ子――それは作品世界を超えたメッセージなのだ。作品となるにはあまりに不器用にすぎ、あまりにやさしすぎて、孤立することも問いかけることもできないメッセージなのだ。だが、そのメッセージを受け取るには、あなたは人形遊びを止めなければいけない。何故なら、メッセージの内容が「あなた自身であれ!」ということなのだから――。

はみだしっ子 in 4D

 ぼくが見たいのはその先にあるもの、その言葉をかきつける人間の息吹、その想いのはずだった。言葉としてのやさしさではなく、やさしさそのもの、そこへの想いのはずだった。
 ぼくが出会いたいのは「作品」だ。

はみだしっ子 in 4D

こんな感じですかね。亜庭氏はつまり、「裏切り者」の時点では「はみだしっ子」は「作品」ではないと主張しているのですが、おそらく、この亜庭氏の意見に呼応して描かれたんじゃないかと思われるグレアムの台詞が「つれて行って」にありまして

ボクだって知ってたのにね…君が君の犬をよく知りたいと思っても だけどそれは…きっと内臓をひっぱり出して骨だけにしてしまう事ではないんだと… 知ってたのにね

はみだしっ子13巻「つれて行って」

このあたり、亜庭氏を始めとする読者の多数が望むようなものは、自分には描くことはできないという三原さんのメッセージに思えてしまうのです

で、「はみだしっ子」は当然、「オフィーリアへ至る」ことなどなかったわけです。「オトメチッククラブ寄稿文」にも書かれてますが

私事により中断させて戴いておりますPART19は 来春3,4月頃 けりがつく予定になっております。
この章 アンジーをメインにすれば半分の頁数でこなせたであろうと 本人も思っておりますが どうしてもグレアムでやりたいと…

オトメチッククラブ寄稿文

とあるように、「はみだしっ子」の最終章は、グレアムかアンジーメイン以外にはありえませんでした。サーニンやマックスではだめなんです。なぜってこの二人はオフィーリアの系統だからです。この説明からも、三原さんに「オフィーリアへ至る」気が皆無だったことが伺えます

もっとも、仮に「はみだしっ子」にオフィーリア的主人公を持ってきたとしても、亜庭氏の希望に沿うような物語を三原さんが描いたとも思えません。メインではないですが、サーニンパートのあのラストを読んで、ああ、サーニン、明日に足を踏み出せて良かったね!って素直に思える人はそういないと思うのです

亜庭氏は4人について6巻「裏切り者」の時点で「エドガーたちに比べた時の彼らの惨ったらしさはどうだろう!彼らには、鮮烈な美も、抜き差しならない決意もありはしない。」と語っていますが、「はみだしっ子」を最後まで読んでも、この感想を持ち続けていたのでしょうか?
生きることに絶望しながらも、力を振り絞って、逃げることなく自分が為すべき告白をしたグレアム。クークーはどこにもいないとわかっていても、クークーのために他者と向き合おうとするサーニン。彼らの決意ほど美しく哀しいものもないでしょうに。亜庭氏の言うエドガーの美しさとは一体なんなのでしょう?

グレアムやサーニンの美しさは、自分が描くと決めたことを、葛藤しつつも描き切った三原さんに通じるものがあると思います。遺作となった「ビリーの森ジョディの樹」まで、無難なところで手堅くまとめておこうなどという妥協は一切せずに、数々の作品を描き続けた精神性は驚くべきものでした

三原さんは「はみだしっ子」の次に「ロングアゴー」を描いてますが、この作品の主人公ジャックこそがまさに、亜庭氏の望んだ「変わることなく明日に向かえるオフィーリアちゃん」に該当します。「ロングアゴー」は亜庭氏に対して、「ほら、オフィーリアちゃんを主人公に描いてみたよ!どう?」といった三原さんの悪ふざけ?も含まれていたように思えてしまう私は妄想が過ぎるでしょうか。亜庭氏は彼が思い描いていたオフィーリアちゃんの物語とは似て非なるものであろう「ロングアゴー」を読んでさぞ苦笑したことでしょう

以後の三原作品には、上で挙げた以外にも、亜庭氏の書いた内容に回答するかのような断片が散見されるんですよ。ファンとしてちょっと妬ましいほどです(笑)

三原さんが高校生の頃「まんがの投稿が落選つづきで、グチる私に“ぼくに見せる事ができるような作品を描けば良いのではないか”といってくれた」ボーイフレンドがいたそうですが(総特集三原順:河出書房新社)、三原さんは「はみだしっ子」以後の作品については、ひょっとして亜庭氏を仮想読者として念頭に置いて描いていたんじゃないかという妄想すらしてしまいます

「はみだしっ子」を読んで以来数十年、もうなにも新しい発見などないだろうと思っていたのですが、このような「批評」が存在していたおかげでとても楽しめました

「はみだしっ子 in 4D」が掲載された「ぱふ」1980年10月号は国際子ども図書館に置いてあるようなので、興味がある方はぜひ

(追記)

亜庭じゅん氏が一番お好きな漫画家だったという樹村みのりさんの作品を、一冊だけですが読んでみました。「菜の花畑のむこうとこちら」という短編集です

いや~、もうね、登場人物全員が「オフィーリアちゃん」と言ってもいいほどの漫画でしたね。みな、素直でまっすぐでまぶしくて正視できないほどです。まるでサーニン(はみだしっ子)の「ボクには何かを無意味だと信じる事の方がよほど難しいよ」という台詞が聞こえるようです

「薔薇はシュラバで生まれる」という笹生那実さんのエッセイ漫画に樹村みのりさんが描かれていて、なんかすごい人格者だなーって思ってましたが、描かれる漫画もうわべだけのとってつけたような優しさではなく、本気で迷いなく描かれていることが伝わってきて、いやらしさが皆無です

私には残念ながら何の接点も感じませんでしたが、だからって批判する気になど全くなれず、ただただ「人間」が違うんだなーと思えました

なるほど、樹村みのりさんの描くような漫画(一冊読んだだけで語るのもどうかと思いますが)を愛好する亜庭氏に、三原漫画を評価しろというほうが無理なのでしょう。きっと亜庭氏も純粋で善い人だったんだろうなと、いろんなことが納得できました




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?