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ティーショーツと母の声。

フローリングの冷たさを裸足で遊び、臀部をさらさら撫でるパジャマのくすぐったさとはまるで内緒話。隣の部屋に住む誰かよりも少しだけお尻が寒い。
勿体無いとわかっていながらも、渋々布団から出ると案の定、眠気はため息をするように去ってしまった。

今日は私以外誰もいないとわかっていながら、当たり前の習慣で鍵を閉める。蓋を開けてパジャマを下ろしても下半身の寒さはそう変わりはしなかった。お尻を飾る蝶もずらし、体温ごと便座へ預ける。瞼を閉じて生理現象の快楽を感じながらも、睡眠時間と断片的な今日を思う。息を吐きながらゆっくり瞼を戻し、紙に触れる。

お花摘みとはよく言ったものだけれど、もうしゃがんで用を足すことも少なくなっている現代で、座って済ますことを他に言い換えれないものだろうか、と答えの出ない問いに彷徨っている間に立ち上がった。
もう一度蝶は吸い付くようにお尻を飾る。

布団に裸足を帰らせた時の温もりを感じる度に、苦手な冬に一瞬恋する。


常夜灯の暖色に包まれた寝室の天井を見つめていると、幼い頃に母と一緒に寝ていたのを思い出す。眠る前、母はよく紙芝居を読み聞かせてくれた。

近所の図書館に行き、私が紙芝居を選んでいる間、母は少し離れた場所で私に背を向けて何か読んでいた。何を読んでいたのか聞いたことはなかったけれど、この頃の図書館を思い出すといつも母の後ろ姿が浮かぶ。あの頃は寝る時間が好きだったはずなのに、今は悩まされることが多くなってしまったわ。
きっと小学生で低学年だった。母と一緒にお風呂に入り、母に髪を乾かしてもらっていた当時は母が選んでくれたボクサーパンツを履いていた。暑い暑いと言って下着一枚でリビングにいた時間もあった。お風呂上がりでさっぱりスッキリした夜は明日の早起きに苦痛は感じていなかったし、自分で選んだ紙芝居が母の声で楽しめる就寝前がとにかく楽しみというだけ。自然な眠気を帯びれば身を任せて一日を終える。

懐かしさに浸り体を捩る。自らお尻を撫で、いつの間にこんなに時間が経ったのだろうと惜しむ。私はもうティーショーツでお尻を咲かせるほど大人になった。可愛いの視野も広まったみたい。


時計を見ると二十三時を回ってしまっていた。早く寝なくては。早く寝なくては...なんて感情は遠足前だけにあればいいのに。

スマホから流れる漫才の声を子守唄代わりに、いつの間にか眠ってしまっていた。朝の寒さに負けそうになりながらも、なんとか軽いストレッチだけを済ませて立ち上がる。脱いだパジャマは乱雑に置かれ、砂漠の如く滑らかな波を魅せた素肌は、常夜灯の暖色で美しい影を生み出している。ティーショーツを上げ直すと、お尻に食い込んでいく生地が背筋を正してくれる。私はこの瞬間が好き。よし、と気合いが入るような、背中を押してもらっているような快感。

五時四十分。母は今頃、私とお揃いのマグカップで珈琲でも飲んでいるのだろうか。久しぶりに母の声が聞きたい。
職場までの道中、母と二人で暮らしていた時のことを思い出した。休日の朝の母はそれはそれは優雅で、天女のような優しい起こし方をしてくれる。手を握り、頭を撫でながら柔らかい声で「おはよう」と言ってくれる。そんな素敵な起こし方をしてくれるもんだから、もう一回柔らかい朝を味わいたくて二度寝しようとしてしまう。でも母は私を起こす切り札を持っている。たまごトースト。私の大好物。どこのたまごトーストでもいいわけじゃなく、母が作ったそれが大好物なのだ。その匂いが漂えば体は素直に起き上がってしまう。

思い出すとキリが無い。昨夜の入眠前から翌朝の出勤までと、母の回想が同じくらいになってしまった。けれども、こうして人は思いを巡らせて色褪せない記憶を持って生きていくのでしょうと悟る。


秋風が私を追い越し、冬を急いでいるようで追いかけてしまいそうになった。臀部を羽根のように魅せる蝶で私は、どこまでも駆けて行ける気がした。

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