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「物語はここにある」と指したのは見切れた脚。

中学生の頃の記憶は、忘れてしまいたいトラウマと忘れてはいけない恩が両者濃く残っている。何年経っても忘れることのできないそれらはきっと、なくてならない自身の欠片なのでしょう。囚われることなく生きている今を思うと、少しは上手な向き合い方を開拓できたということかもしれない。
思春期ならではの葛藤を思い返すと恥ずかしく思うことも尊ぶべきこともあるけれど、青春と名付けられる何百頁を切り取っても、どうしても記憶の隅に残り続ける写真がある。
あれは確か、清水寺のどこかの細い川を撮った写真だった。

当時カメラに熱中していた父は、よく私を誘って写真を撮りに連れ出してくれた。父との関係は子供の主観から見るに、良好だったとは到底思えないものだったけれど、趣味が合うことはたまにあった。その時は私もカメラが好きになっていたし、自分の視界を自由に切り取って記録されることが素直に楽しかった。

清水内のどこかの細い川を撮ったのは父で、ただ流れる水が綺麗だったからとか、とりあえずいろいろ撮ってみたかったとか、理由に特別な意味はなかった。何でもない写真たちのその一枚が、父の顔と共に私の記憶に住みついてしまうきっかけになったのは、帰宅してからのこと。

撮影した写真を見返していると父はよく私が撮った写真を褒めてくれた。
「遠くからいろんなものを撮るんじゃなくて、あんたはこれを撮りたいって思ったのを切り取るのが上手いな」
この褒め方もよく覚えている。

私も父は写真が上手いと思っていたし、そんな父から具体的に褒められるのが素直に嬉しかった。今の私が何かを撮影する時も、この褒め言葉の影響が残っている。トリミングをする時にどこまで切り捨てよう、と試行錯誤するのが楽しい。

その日撮影したものを全て見終わり、私がパソコン画面を操作し「これが好き」と指差したのが、父が撮った何気ない川の写真だった。透き通った水流が複雑な形で止まっている。写真だからこそ見れる水の姿に目を奪われたのだろう。

「うん、パパもこれ好きやわ」
機嫌が良い時の父の一人称はパパだった。

「これな、大きく写ってるのは川やけど、物語はここにあるのわかる?」

父が指差したのは、写真の左上に見切れて写った観光客の脚。そこに何人の脚が写っていたかまでは定かではないけれど、歩行中の誰かのつま先や踵がいくつか見切れて写っていた。それを狙って撮ったのか、偶然そうなったのかは言わなかったけれど、自慢げに己の想像力を語っていたことは覚えている。

見切れているからこそ、その先にも何かが生きていて、誰かの想いも続いていて、実はこうなっているんじゃないか、と無限の物語が生まれる、と独自に解釈した。
こういう些細な瞬間は言った側は大抵覚えていない。いつだって受け手に足跡が残る。

芸術に魅せられた現在の私が絵や写真を見ると、写っていない部分を想像して楽しむことができるのは父の声と、根強い力を持つ川の写真のおかげ。父と二人きりの生活を思い返せば息苦しかったことが多いのは拭いきれないけれど、教わったものは確かにあったのだと思うと憎みだけで見てはいけないのかもしれない。一歩下がって自分の背中越しに過去を見れるようになったのは時間のおかげでもあるでしょうけれど、私自身が育んだ心の頼もしさもあると、これだけは言い切りたい。

書きながら暖色の記憶だけを捻り出してみると、当時は気づけなかった父なりの不器用な優しさもあったのだなと感じる。職場での問題がいろいろあったと後になってから知ったけれど、子供の前で仕事の愚痴を吐くところなど一度も見たことなかったし、趣味が合うことが多かった私にだけ、私も喜びそうなことを見つけては話したがってくれていた。親である前にひとりの人間だもの、問題を抱えて精神に向き合えないことだってあるわよね。この文章を学生時代の私に見せたらどう言い返されるかしら。タイムスリップして自分と口喧嘩になってしまったとしても、お互い父が撮った川の写真のことだけは頭の片隅に仕舞ってあるのでしょうね。

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