世界の創られ方と小さな生活とファイナルファンタジー
先日、社会派のお友達と争いごとの苦手なお友達が言い合いになった。
完全にかやの外だった私は黙って2人の話し合いを見つめていた。
こういう状況に触れることってたまにあって、
そのたびに思い出すゲームがある。
ファイナルファンタジーXIIIだ。
はっきり言って全容がどんな話だったか忘れてしまった。
でもその中でこころに残る
こんなこんなやりとりがあったんだ。
主人公が漁村を訪れた時に村民から
「遠い世界の戦争のことをここへ持ち込まないで。平和に暮らしたいの」というニュアンスのことを言われるのね。
それに対して主人公はこのように返した。
「あなた方が平和に暮らせるために、俺たちみたいなのは戦いたい。
そんなやつらがいるってこと、少しだけ頭の片隅においてくれたら嬉しい」
全然違うセリフだったと思うけど、
とにかくそんなニュアンスだったの。
当時中学生だった私はものすごく衝撃を受けたのね。
《私がこうやって平和に暮らしてる裏には、その過去には、平和を手に入れるために頑張ってる人がいるんだ。
いろんな権利を主張できるのはそれを勝ち取ってくれた人がいるからなんだ!》
と初めて実感できたの。
ゲームって偉大だねぇ。
人って興味のあるものからしか
なかなか学べないから、
子供の興味のある分野にこうやっていろんな考え方や物差しを挟み込んでくれるのってとっても意味があることだよね。
さて、話を本筋に戻しまして。
社会のために、
この先を生きる人々の為にと
今自分がおかしいと思ってることに声をあげ戦ってる人にさ、
「そんなことする暇あったら自分の周りの人を幸せにすることに時間使いたい」と言い捨ててしまうのは、
すごく残酷でデリカシーのないことだと思うの。
その生き方があってもいいし、
そうやってなりふり構わずに大切な人のことだけに集中しないとやっていけないことあると思う。
でも見方を変えると
「大切な人のことだけ考えられる生活」は、
今まで声をあげてきてくれた人たちの上に成り立っているのよね。
一口に「声を上げる」と言ってもそこにはいろんな立場や考え方があって軋轢や意見違いから起こる争いもあったと思う。
でもみんな、
より良い世の中を目指してることは変わりなくて。
諦めることなく考えをぶつかり合わせながらここまで進んできたんだと思うんだよね。
それってすごく大切なことだと思う。
ほんの少しでもみんなが少し先のことや少し遠い立場の人を考えられたらいいな。
余談だけどファイナルファンタジーXIIIの主人公は私の中で歴代一位の厨二キャラだと思ってて、
情緒の振れ幅が最高に青春で大好きです。
お わ り