ニヒリズム思考のすすめ

最近、生きるモチベーションがわかない。
人生の目標がないからかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
とにかく楽をして生きていたい、いや生かされていたいと言った方が適当なのかもしれない。

僕は人が苦手である。色々なトラウマがあるからだ。
毎日電車に乗っていても周りの視線がヤマアラシの針のように突き刺さる。
だから僕はいっつもがらんどうの車両を見つけてはそこに避難する。
本当に人が苦手だ。大衆としての面持ちの人間が。

でも”人”は好きだ。特定の誰かとしての人間が。
そいつらとはなんでもできる。もちろん生行為もできる。

不思議だな。人は苦手なのに”人”は好きである。
I do not like human being, but I love the person.
特定の人間としての面持ちが好きなら、なぜ不特定としての人間の面持ちを嫌うのだろう。わからない。

よくわからない”外”の人間とは目すら合わせられない。会話をしようとすると挙動不審になって自分が自分でなくなる。
だいすきな”内”の人間とは夜通し裸で抱き合ってもいい。相手がいなくなると僕は僕でなくなる。

だったら、そういう”行為”をした人間が”内”でしなかった人間が”外”かと言われるとそうでもない。”内”の人間でも拒むことはあるし、”外”の人間でも赦すことはある。本当に人間関係て疲れる。

話を戻そう。

僕は生きることに関して無関心である。
ただ時計の針をじっと見つめていれば過ぎていた、それぐらいの認識ではある。生きればいい、じっとそっと受動で。

でも、それが翻って苦痛なのだ。
なにも、しない。できない。こんな空っぽな人間としての僕が。
語弊があった、しない、できない、ではなく、できなくされているのだ。
他人からの消極的な同調圧力ととらえてもいい。
僕はHSP(俗にいう繊細さん)である。
だから電車も怖いし、渋谷スクランブルに行った日には卒倒しそうで。
他人の目が怖い。誰もが僕の行動を見ている気がする。
いや、決して僕は岩間好一なんかではない。
でも、他人の目がただひたすらに怖い。
僕の一挙手一投足をその目でとらえて、はてしない無機質のデータへと
変えられている気がするのだ。
だから、ぼくは、しない。できない。


こんな人間で生きてていいのだろうかと時々当惑する。
ただ時間だけが過ぎ馬齢を重ねるばかりである。
いっそのこと川の底へと沈んでしまおうかと思っているが、
それも、しない。できない。

僕は臆病だ。
一晩でセックスできる人間もいるのに、社会の大多数の人間が大嫌いだ。
電車なんか脱線してしまえばいい。僕が救われる。いや、
他の誰かも救われるかもしれない。
実際どうだろうか。
社会の大体の人間が毎日過酷な重労働を強いられ、好きでもない人間におべっかをつかって忖度をしている。
みんなつかれてるはずだ。
でもなんでだろう。
僕だけが疲れてる感覚に苛まれている。

みんな疲れてるはずなのに。

だから僕は将来へのモチベーションがわかない。
世間は暗澹であり、人間は性悪説に基づいている。
たった10年先のことすらいとも簡単に予測できてしまうのだから
誰がこんなくそったれな世界で生きようとするのか。

誰か僕を、その優しい手で、肌さわりで、救って、ください。



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