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それでも、人間の心を信じる①/「倫理資本主義の時代」(マルクス・ガブリエル著)

前回、途中なのに感想文を書いてしまった「倫理資本主義の時代」を最後まで読みました。
そうしたら、感想がまた長くなってしまいました。
そのため、回数を分けます。

いろいろ議論を呼びそうな内容な気がしたけど、書いてあることは、興味をそそられた。
ただ、マルクス・ガブリエルさん(以下、敬称略で「ガブリエル」)がこの本で書いていることが正しいのかどうかは、結局、わからなかった。
というか、この本を読んで、盲目的にガブリエルが正しいと思ってしまうのは、ある意味で一番この本が言おうとしていることに反している気がした。
感想としてはそんな感じである。

哲学界のロックスターってこういうこと?


ガブリエルは、哲学界のロックスターといわれているそうだ。

前回、私なりに「倫理」と「資本主義」は、どちらが論理的に先行しているのだろうか?という問いを立ててこの本を読んでみた。
ガブリエルの立場は、「倫理」が先ということでいいと思う。

むしろ、ガブリエルは、複雑な社会の中で、「資本主義」がすべてではない、ということを強調している気がする。つまり、「資本主義」を別のシステムに変えたからといって、それですべてが解決するわけがない、みたいなことをいっている。

そのうえで、ガブリエルは「資本主義」のシステムそのものを変えるのではなく、資本主義の良いところは残しつつ、道徳的価値と本質的に結びついた経済的剰余価値のあり方を考えることで、道徳的価値と経済的価値をリカップリングすべきと主張する。そして、それは可能、と主張する。

資本主義がどんどん進むことによって、富める人はますます富み、貧富の差は拡大する。強欲な人が異常に儲け、貧乏人は馬鹿を見る、みたいな異常な状況、こんなのはどう考えてもおかしいということで、それに対する解決策を出そうとしているのではないかと思う。それはよくわかる。気持ちはとてもよくわかる。

そこで、「倫理」と「資本主義」をリカップリングする。

それによって、普遍的な道徳的価値のなかで見いだされる経済的価値は、より豊かな社会に結び付き、自由民主主義を救う、だから倫理資本主義が必要。

ここまで言っている内容は、すごい真っ当なことだと思う。

行き過ぎた資本主義を見直すべきという意見はそんなに珍しいものではない。現代のあまりに強欲な資本主義は、何らかの形で改善すべきだ。

それに対するガブリエルの答えが「倫理資本主義」だったということだと思う。

そのうえで、一番ツッコミたくなるのは、「ホンマにそんなことできるんかい?」ということである。

だって、みんなお金がほしいじゃないですか。他の人を出し抜いてでも、自分が一番お金持ちになりたいって思うだろうし、そんなこと道徳的倫理に明らかに反していたって、簡単に手を染めてしまうんじゃないだろうか。
そうだとしたら、倫理資本主義なんて夢のまた夢。

それから、普遍的な道徳的倫理なんて存在するんだろうか。倫理なんて人それぞれだから、すべての人に妥当する普遍的な道徳的倫理なんて無理ではないだろうか?

要は、理想的なことを言っているけど、そんなの現実的に考えて無理でしょというのが、まあ真っ先に浮かんでくる批判なのではないかと思う。


このツッコミに対して、マルクス・ガブリエルは、どう応えているのか。

この人は、このツッコミに対して「できる!私はできるという立場をとるのだ!」と清々しいくらいに真正面から応えているのではないかと思う。

これが、この人の最大の特徴なのではないだろうか。

この絶対に批判が来ると分かっている勝負に、真っ向勝負している感じ。

資本主義がはびこり欲望に翻弄される人間、AIが進歩し人間を支配するかもしれない未来、そんな人間が人間らしさを失っていくのではないかという不安に対して、「それでも、俺は人間の心を信じる」といっている。

ある意味で無茶苦茶古風な印象もある。

こんなの絶対にツッコミどころしかない立場である。

でも、この人は、世界的に有名な気鋭の哲学者なのだろうから、めちゃくちゃ研究して、めちゃくちゃ思索を繰り返したはずである。だから、めちゃくちゃ批判が来ることも当然のようにわかっているはずである。

私は、「それでも俺はこの立場を取る」みたいなラストサムライ感というかローランド感というか、清々しさみたいなものを感じてしまった(あってるかどうかはわからないけど)。

哲学界のロックスターって言われるゆえんはこういうところにあるのだろうか。

そうだとしたら、こんなのもう、「合っているかどうか」の問題ではない(笑)。
「この立場を取るかどうか」だ。


ただ、この立場を取ることによって、導かれる帰結は明快ではあると思う。

普遍的な道徳的事実はあり、私たちはそれに従って、経済的活動をすべき、だとしたら。。。

そうだとしたら、次に検討対象とすべきなのは、「〇〇のケースの普遍的な道徳的事実は何か」となると思う。

これはすごく問いを明快にする発想だと思う。

実際この力強さというか、ある種のかっこよさすら感じさせる態度に、救われる人もいるんじゃないだろうか。そして、それによって救われる人がいること自体に意味があるような気がする。

そうはいっても、これで盲目的にガブリエルが正しいとなってしまったら、気概で押し切られただけになってしまう(笑)

実際、この本は、盲目的にガブリエルが正しい!で終わってしまってはいけないような気がする。

次回は、斎藤幸平さんの解説を見ながら、本書に対する批判と私の落としどころを探ってみようと思います。そんでもって長くなってしまった(笑)

そんなわけで、それでも人の心を信じて、「今日一日を最高の一日に




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