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モノカキングダム答え合わせ④【kuwanyaさん】

モノカキングダム2024。自分の立場を完全に棚に上げて「モノカキングダム過剰考察」なるものを書き、モノカキングダム2024の入選作品の考察をしています。


エントリー作品です。

たまってきたので、マガジンを作成しました。

すでに総文字数2万字を超える勢いです😂

「答え合わせ」と題した考察記事ではありますが、これは決して一つの絶対的な正解があるという意味ではありません
いいと思ったところを言語化してみることで、今後の糧にしてみようという試みです。

今日の以外ですと、あと4つです。大変僭越ながら、今後は、入選作品についても考察してみたいなあと思っています。

私の場合、年末年始のほうが時間が取れそうなので、その期間に書き進めていこうを思います(積読本は増えそう笑)。あまり年末年始をはっきり区切ろうという概念がなく進めてしまっています(笑)

母の最期の愛を、しかと受け止める|まつぼっくりさん
小学2年のボイスメッセージ|ササガキ さん
青春低音生活|三毛田さん
あなたの「こえ」のその先で、会えたら|短編小説|shiiimo5児の母 さん

もし、上記の方の中でやめてくれという方がいたら、こっそり教えていただけると幸いです……

そして、ありがたいことに、私の考察を見ていただいて、自分の記事も書いてほしい!というリクエストが複数ありました。物好きな人が多いですね(笑)
なので、年明けにお年玉企画(?)ということで、あなたのエントリー記事を考察しますシリーズをやってみようかなぁと思っています。詳細は、年明け(って明日か笑)にお知らせしようと思いますので、少々お待ちください。

さて、ダラダラ語りはこのくらいにして、今回は衝撃的だったこの作品を取り上げてみたいと思います。



声の届く先 【kuwanyaさん】

今回は、kuwanyaさんです!

今回のモノカキングダムで初めて、拝読いたしました。なので、この文章がkuwanyaさんの文章で初見の文章でした。

今年のⅯ-1で初見といえば、バッテリィズ、エバース、ジョックロックあたり。この中でいえば、kuwanyaさんはエバースに近いような気がしています(一方的な評価ですが……)。エバース面白かったですよね。あの複雑性が、雑味なくすんなりと入ってくる……もう一本ネタ見たかったなぁ。

先に、kuwanyaさんの文章に最初コメント書いた時のコメントを入れておきます。

なるほど。当初案は別記事2つだったんですね。

改めてじっくり考察すると当時見えていなかったことが、見えてきたように思えました。

そんなわけで早速中身に入ってみますね。

書き出し

五、六年ほど前の今ごろか、我が家で命の炎が一つ消えようとしていた。バーニーズマウンテンドッグのドンは、ほんの数ヶ月前まであんなに大騒ぎしていたのに、急激にものが食べられなくなり、自分で立つこともままならず、臭い息を吐くようになった。胃捻転だと医者は言った。もってあと一週間ほどだと。

声の届く先 より

さあさあ、どんな書き出しかって、もう、ぱっと見でハイセンスですね。みなさんねぇ、書き出しがね、秀逸すぎるんですよ。

一文目は、つかみ。二文目がやや長文。三文目、四分目がトントンと短文。
全盛期の巨人の上原みたい(?)ですね。第一球、投げました。直球ズバン、ストライク。一球目でいとも簡単にストライクを取るスタイルです。

第二球、投げました。変化球。この一文がフックだと思います。まず目を引く「バーニーズマウンテンドッグ」のワード。ここを「大型犬」ってかかないし、逆に「とても可愛がっていた」というふうに修飾語を使っても書かない。「バーニーズマウンテンドッグ」がワードチョイスの解像度として最適すぎると思いました。

そして、「臭い息」
これが完全にkuwanyaさんのこの文章がスタートするトリガーになっているのではないかと思いました。
このワードを入れるのって意外と勇気がいると思うんですよ。ちょっとだけグロテスクというか、いやよく考えるとそこまででもないんですが、比較的クリーンな感じを重視するnoteの中で、この言葉のチョイスする人は意外と少ないと思う。でも、それをさらっと普段使いのワードのように入れた。これによっていったん目が止まります。そして、身体的に後からリアルが付いてくる。ちょっと純文学っぽいのかな(そもそも純文学とは……あまり読まないのでわかりませんが……)

世界観って細かいところに宿るのかもしれない、そんなことは三宅香帆さんもnoteで書かれていました。

2文目の変化球が一気に世界観に入り込める一文なんですよね。まだ、kuwanyaさんの文章は初見なのに、もう世界に入ったかのような感覚に陥ります。

そして、短文を2回続けるんです。3球目ストライク。ズバッ。4球目、ズバッ。空振り三振、バッターアウト(笑)


完全にしてやられた冒頭でした。


中盤①

(中略)鮮やかな三色の毛並みは依然として滑らかな手触りで、それがいっそう悲しかった。ひゅうひゅうと臭い息が漏れる。何度嗅いでも慣れることはない。死の臭いが漂っていた。

 夜は深更に入っていたが、俺たち家族は、ひっそりとしてそのときを待った。(中略)

声の届く先 より

ここの2段落、「まだ、死んでほしくない、でも、がんばれという声を掛けることもできない、もうあきらめかけてそのときを待っている、でもその時は来てほしくない」という複雑な心情と描写。よくこの分量で描き切るなあと……

大人は諦めかけているというか諦めているんですよね、本当は諦めたくないけど仕方ない…

そこで、入る次の一文

オギャアオギャア



 赤子の泣き声が、夜のしじまを切り裂いた。その瞬間、俺たちは姉の次男の方ではなく、ドンの顔に釘付けになった。

声の届く先 より

ここに「声」です。

鳥肌が立ちます。そして、「赤子の泣き声が、夜のしじまを切り裂いた。」の一文。あーこれは、めっちゃ書くの好きな人じゃないと書けないわ(笑)。

間、「声」のタイミング、もっていくまでの描写、……実際に起こった奇跡を奇跡的な展開で昇華させていきます。


中盤②

その後、1年ほど生きたドンの最期です。


寝転んでいたドンの体は俄に激しく痙攣し、虚空を泳ぐように足をかき回して、ウォンと高らかに一声吠えたかと思うと、大きくのけぞってそのまま逝ってしまった。繋ぎ止められた魂の最期の咆哮であった。

声の届く先 より

ここは言わずもがなですが、冒頭の「死にかけの生」と真逆です。逆説的かもしれませんが、「生きる力に満ちた死」といったところでしょうか。

「生と死」という重厚なテーマの対比をわずか1000字程度でここまで描き切るなんて……そして、それを切り裂いたのが、未熟だと思っていた赤子の「声」……今回のテーマをクリティカルヒットに使いきる「声」です。

もうこれ大正時代の文豪が書くようなやつじゃないですか?noteにこれ入れてくるのズルいっすよ(笑)

ドンの体が少しずつ固まっていくのに合わせて、俺たちの号哭の声も歔欷の声に変わっていった。

声の届く先 より

「号哭」も「歔欷」もわからなかったので調べました(笑)
この細部の描写も、抜かりがないです……。というか、細部にこそこだわるべきというような気概すら感じます。


そのあとのシーン

 ドンには最後まで振り回されたね。
 そうだね、ずっとやかましくて、バカで、家も散々荒れ果てたね。
 やっと静かになったと思ったら逝っちゃったな。
 でも、この一年は本当に元気でよかったよね。
(中略)
 ああ、そう、アビーといえば、アビーが死んじゃったときのことは忘れられないのよ。
初めてのペットの死だったもんね。
 うん、いや、もちろんそうなんだけど、アビーが死んじゃって、お母さんすごい落ち込んで、しばらくずっと元気なくて、でもそのときにあんたが言った言葉がずっと残ってるんよ。
 え、なんだろ、全然覚えてない。
 あ、そうなの?こんなにお母さんには刺さってるのに。
 なんだろな。

声の届く先 より

訥々と語りだすkuwanyaさんと母。ここは、その会話やり取りのシーンです。
ここで気になるのはかぎかっこ(「」)を使っていないということ。これはどうしてなのかって考えたくなりますね(え?ならない?)。
ぽつりぽつりと話し出す様子、会話が交錯するというよりは、一人が話して、それが終わってからもう一方が話すというやり取りを繰り返す様子。そんな心情を描写するためという見方もできるかもしれません。

しかし、かぎかっこを使わなかった最大の理由は、おそらくこれです。

そう、この文章を鮮やかにピークへと持っていくこと。いかにして、K点超えのピークに持っていくのか――

上記の引用の次がこれです。




「大人のお母さんがずっと悲しんでたら、子供の僕らが悲しめない」

 ってあんたは言ったんだよ。

声の届く先 より

「大人のお母さんがずっと悲しんでたら、子供の僕らが悲しめない」

この文章は、ここだけにしかかぎかっこを使っていないのです。

しびれますねぇ。やっぱりですね、持っていき方なんですよ。
二つ目の「声」、キラーフレーズにこれ以上のないもっていき方です。

子どものkuwanyaさんの発言は、そこまで意識していない何気ないものだったのかもしれません。しかし、母には気づきと救いを与えた。未熟だと思っていた子が発した声が、母を救う。ここも奇跡だったんです。私たちは普段気がつかないから、かぎかっこで囲われた。私たちも救われました。

あ~もう、K点超えました。超えたけどまだ続きあるみたいですよ(笑)


かつて俺が発した声が母を救い、そのことを母がずっと大切に胸にしまってくれていた。それを今、人生で最も悲しい局面の一つであるこの今、母の声を介して知ることができた。

 人生にはこんな幸福な瞬間があるものなのか。

声の届く先 より

ここで「人生にはこんな幸福な瞬間があるものなのか。」とおっしゃられたのです。

これは、すごいです。マジか。でも納得です。納得させられてしまうのがすごいのです。

死を前にして、「幸福」を描くって並大抵のことではないと思うのです。
そのロジック(という言葉が適切かはわかりませんが)には、とても丁寧な積み重ねが必要になってくるはずです。この部分は一歩間違えればただの不謹慎、サイコパスになってしまいかねません。
kuwanyaさんは、それをこの文章で、誰もが十分に納得のできる形でやってのけました。

だって、「愛犬の死を前にして幸福を語れますか?」どう考えてもすごいでしょ(笑)


終わらせ方

 生まれたばかりの赤子の声が、病の犬の生を最期の咆哮まで導いた。
 かつて子供が発した声が、母という大人の声を通して大人になった当人を慰めた。

 今日誰かの呟いた声も、きっとどこかに届くのだろう。

声の届く先 より

kuwanyaさんはもともと、赤子の声と子どもの声を別の話で書こうとしていたそうです。それを組み合わせてここまで仕上げています。

M-1で優勝した令和ロマンが決勝戦のときのネタを完全版でyoutubeに上げています。
この完全版のネタは、4分間のM-1に対して長い。もっとゆったりと楽しめる。長尺のネタに仕込んでいます。

モノカキングダムは文字数が1000字から2000字です。なので、たくさん書きたがりの人は、いかにして2000字内に収めるのかとともに、2000字以内でいかにして伝えるのかということがキーポイントになってくると思います。

おそらくkuwanyaさんは、2000字程度に合わせてかなり内容を凝縮させたはずです。そして、この作品の意図は、どれをどこまで書いたら伝わるだろうかと。
たぶんですが、それを伝えるために書いたのが、最後の三文だと思います。

未熟だと思っていた者の不意の声が、奇跡を起こす、誰かを救う、生と死の交錯する場面で幸福を引き出した、この鮮やかさ、共通点、連関性……これは二つの物語を声を通して連結するために必要な記述だったと思います。逆にいうと別々の物語であればこの三文は必要はなかった。

kuwanyaさんはここでは、本作品をモノカキングダム仕様に合わせてきたというふうに見ることができるのではないかと思います。

この文章も勉強になることたくさんあったわぁ~。いや~どの作品も濃密で、語れることがあまりにも多すぎます。

kuwanyaさん好き放題書かせていただきありがとうございました!!


そんなわけで、続きは年明け、良いお年をということで、2024年最後の「今日一日を最高の一日に」



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