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noteを書くときに使ってみたいテクニック
noteの記事を書くときのテクニック?に関する個人的な好みの話。文章構造的な話です。
文章構造に好みなんかあるのか?ということですが、起承転結とかPREPとかと言うわけでもないです。noteでそこまでかっちり仕上げることはそう多くないと思います。
ズバリ言うと
ちょっと前の伏線回収
がある文章が好きです。
推理小説みたいに完璧な伏線回収というよりは、noteを書く時の文章の長さとか読み手の読んだ文章の頭の残り方を踏まえた伏線回収がされている文章が好きです。
伏線回収って言ってますが、同じ言葉が、いいタイミングでリフレインされているだけでも、好きです。
これは、noteだからこそ、効果的な側面があると思います。
書籍と異なるnoteの記事の特徴は、
・縦スクロールが基本
・文字飾りの基本は、見出しの大きさと太字変換
・行間は何行でも開けられる。
といったところがあります。
この特徴を踏まえると実際のところ、読み手はスクロールしながら同時進行で読み進めることが結構あると思います。私も、一字一字読むというよりは、スクロールしながら、印象に残った単語を拾いつつ読み進める感覚があります。
これを踏まえると、見出しの大きさ、太字、行間空けといった方法で、視覚的な読みやすさを作ることは一つの方法として効果的です。
スクロールしながら、特徴的な文字や単語、フレーズが目に入るようにすることもあると思います。
読み手は、見出し、太字を感じながら強調されている単語を拾いつつ、文章そのものを並行して読み、内容を頭に入れて読み進んでいくと思います。
このとき、読んでいる人の頭の中には読んだ内容がどんな感じで残っているでしょうか。
例えば、全部で2000字くらいの文章の場合、1500字目くらいまで読み進めるのは、内容によりますが、自分の場合、3~4分くらいで読むことが多いと思います。
そうすると500字目くらいまでに読んだことは、2~3分くらい前に読んだことになります。
このタイミングで、500字目くらいまでに書いてあったことがどの程度頭に残っているかというと、完璧に覚えていることは、まあまずないと思います。
1500字くらいまで読み進めたタイミングで、500字目くらいには何が書いてあった?と内容を聞かれても、それを答えるのは結構むずいです。
しかし、全く覚えていないかというとそうでもなくて、リフレインされるだけでも思い出します。1500字くらいまで読み進めたときに、500字目くらいに書いてあったことは残像のように残っていて、それが1500字目でリフレインされることで、残像がはっきりとした実像になる感覚。
まず、これが好きです。
実は、自分の場合はnoteを書くときにこれをやるのが結構好きでちょいちょい取り入れることがあります。
例えば、ある記事のときは、
「自分が読みたいことを書けば、自分が楽しい」という言い回しを、冒頭で使って、1200字目くらいでリフレインしました。
あと、「ああ、軍靴の音が聞こえてくる」を1000字目くらいでさりげなく入れつつ、1700字目くらいでもう一回使いました。
前から読み進めていくと微妙に忘れそうなタイミングでギリギリの残像を効果的に実像化させたかったりします。
あとは
これのときも、実は「おにぎりとウィルキンソンの炭酸水」を繰り返すというのが、やりたいという理由だけで書きました(笑)
とりあえず、おんなじ言葉をちょっと空けて使えばいいので、それだけだったらそんなに難しくないかなと思ったりします。
そして、この残像がはっきりとした実像になる感覚、これにプラスして、「あ~こういう感じでくるかぁ、一本取られた~」というのがあると勝手にめっちゃ興奮します。
(自分で言うと恥ずかしいですが、さっきのウィルキンソンの炭酸水は、「炭酸が好き」という企画に載せるというところまでをセットにしてたりしました)
これが
ちょっと前の伏線回収 です(今だいたい1600字目)
そういう意味で、昨日はめちゃくちゃ私好みのエッセイを読んでしまいました。
大人気の本田すのうさんのエッセイ。
私なんぞが分析するのは大変おこがましいのですが、昨日Ⅹで引用したら書いてもよさそうだったので(笑)、俎上に載せさせていただきたいと思います。
本田すのうさんのエッセイは、すごい読みやすくて「なんでこんなに引き込まれるのかわからない」と思って読んでしまう人が多いのではないかと思います。
一見、自然に思ったことをすごくストレートに書いてある文体に見えます。
でも、実はめっちゃいろいろ考えて引き込む仕掛けを作っている超絶技巧派な書き手なんじゃないかと思っています。
技巧派な書き手はたくさんいると思うのですが、本田さんの場合は「一見ストレートに書いてあるように見える」というのが、すごいです。
あんまそういうこというと無粋かなと思ったりしたのですが、本田さんの特長は、一生懸命書く修行をしていることを全く隠さないことにあると思うので、たぶん大丈夫だと思って(笑)
もし、こいつ無粋だ、何を言っているんだと思ったら、この本田さんの有料noteを買って読んでいただければ納得だと思います。
で、こちらのエッセイ。
コメントにも書かせていただいたのですが、「瑣末」の使い方がめちゃくちゃ秀逸です。
読んでいただければわかる通り、冒頭とラスト(たぶん2000字くらい)に2回、「瑣末」が出てきます。
もうこれだけで、残像がはっきりとした実像になる感覚になれるわたしが好きなパターンです(笑)
で、どこが秀逸だと思ったか。
それは、文章全体を通して「瑣末」が、CHANELと記者ハンの引き換えによってすごく効果的に使われていることで、もはや「瑣末」じゃなくなっているのに、やっぱり「瑣末」にしておいたほうがいいのかよくわからない構造になっていることなんじゃないかと思います。
何をいってるんじゃ、私(笑)。
頑張って感想をいいたいと思います(笑)
まず、最初の「瑣末」は、「アクセサリーボックスの下段」のことで「上段」と対比されていると思います。で、「下段」に入っているアクセサリーをセカンドストリートに持っていく。
そのあと、セカンドストリートで売ったお金で記者ハンドブックを買う。ここの流れからサビに向かっていく部分は「瑣末じゃない」です。瑣末なことは一言も言わずにサビになってます。で、サビがまたむちゃくちゃエモいんですよ。そこからの「あなたのゴールはどこですか?」。これで、エモさマックス、ピーク。全っ然、瑣末じゃない。
そして、最後の一文で出てくる「瑣末」。
記者ハンドブックで「瑣末」のページを開いて終わるんです。これがヤバい(語彙力)
つまり、「アクセサリーボックスの下段」の「瑣末」は、引き換えられて「記者ハンドブック」の「瑣末」になった。
でも、「記者ハンドブック」の「瑣末」は、全っ然、瑣末じゃない。
文章全体を通して、「瑣末」はもはや「瑣末」ではなくなった。
もうここまででめちゃくちゃ好みです(笑)。
「瑣末」で始まって「瑣末」で終わるのに、全然瑣末じゃないって面白すぎないですか?
しかも、これだけじゃない。このラスト一文には、記事において「記者ハンでページをめくるのはどういうことか」という意味もあると思います。
CHANELのピアスもDiorのブレスレットももういらない。今わたしは、私の中になかった新しい言葉が欲しい。
新しい言葉を探しに行くということなんじゃないかと思うのです。だから、この最初の「瑣末」は、本田さんにとって、「瑣末じゃない」記者ハンドブックの中から、紡ぎ出されて書かれた「瑣末」のはず。
そうしたら、最後まで読んだ読み手はどうするか?
最初の「瑣末」をもう一度探しにいきたくなります。
縦スクロールのnoteの記事は、残像だった太字でルビまでふられた「瑣末」を探しにもう一度上にスクロールする。
で、「アクセサリーボックスの下段」の「瑣末」は、やっぱり用法としての「瑣末」なんです。ん?「瑣末」?って読んでいいんですよね、本田さん?(笑)。
最初の「瑣末」が、本田さんにとって、「瑣末じゃない」記者ハンドブックの中から、紡ぎ出されて書かれた「瑣末」だったのならば、それすら意味深に見えてきてしまいます。ちょっと深読みしすぎの感はありますが(笑)
ここまで「瑣末」って書きまくって訳が分からなくなりつつありますが、これが文章全体を通して「瑣末」が、CHANELと記者ハンの引き換えによってすごく効果的に使われていることで、もはや「瑣末」じゃなくなっているのに、やっぱり「瑣末」にしておいたほうがいいのかよくわからない構造、の説明のつもりです。
この文章構造やばすぎないですか?めっちゃ理想的で一人で勝手に興奮してしまいました(笑)
そういう意味で、このエッセイの最後の一文は、めちゃくちゃ気持ちよかったです。本田さんも最後の一文を書いてちょっと気持ちよくなってたそうです。
何が言いたいかっていうと、「自分が読みたいことを書けば、自分が楽しい」ってことです(うわー全然うまくない……)。
そんなわけで、いつか、こんな文章が書けるようになりたいと思いつつ、「今日一日を最高の一日に」