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#今日一日を最高の一日に

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「今日一日を最高の一日にするために」どうしたらいいか考えたことを毎朝更新中。だいたい思いつきとか読んだ本とか。読んだら今日がちょっといい一日になるかも。
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2024年10月の記事一覧

共同運営マガジンに参加したほうがいいのかどうか問題について

もしかして、タブーな問題? noteには共同運営マガジンという機能があります。 複数のクリエ…

人はなぜ「準備」をするのでありましょうか 「伝えるための準備学」(古舘伊知郎著、…

 男は、無口な少年でした……  お喋りな母と姉に圧倒され、「男は無口なほうがいい」と言わ…

noteを書くときに使ってみたいテクニック

noteの記事を書くときのテクニック?に関する個人的な好みの話。文章構造的な話です。 文章構…

「いじめられる側にも原因がある」という言説について、その本当の問題点とは

note巡りをしていたら、このテーマを書いている記事を見つけて、そこから、興味がわいて、「い…

コメントを書くルールが知りたい

66日ライランで大変お世話になったヤスさんが、 #私の書くルール という企画をされている…

#自分語りは楽しいぞ 的な話をあえてするとしたらこんな感じ?

みくまゆたんさんの企画 「読み手」のことはあまり考えずに、自分の書きたいことを書くという…

敬体(です、ます)と常体(だ、である)の使い分けについて

以前、noteなどの記事を書くときに敬体(です・ます)にするか、常体(だ・である)にするかどちらがいいかという話題があった。 私は、正直どちらでもいいかなと思っていて、あまりこだわっていない。敬体で書いた記事もあるし、常体で書いた記事もある。 そんななか、この違いについて考えたことをなんとなくつらつら書いてみようと思う。 まず、敬体(です、ます)は、「敬語」ということになる。敬語ということはざっくり行ってしまうと相手を立てているということだと思う。 もっというと、読み手

考えないで書く

最近は、前より書くことが減った。 毎日投稿をしていたときは、うまくかけているのか書けてい…

え?いつまで学生時代と同じ勉強法やってんの?脳の仕組み変わったんですけど

もつにこみさんの「書もつ」というマガジンに掲載されていました。 勉強法の本です。 勉強法…

百年の紙

 1924年9月29日は、先崎銑十郎が死亡する五日前だった。  もう長くはない。遺言書を…

はじめてstand.fmをやってみました

はじめて、stand.fmというものをやってみました。 この前、人前であいさつをしていた時に感じ…

「嫉妬論」(山本圭著・光文社新書) 「嫉妬」というやっかいな感情の付き合い方と現…

※約6000字です。 「羨ましい」 という気持ちは、誰しもが避けられない感情の発露である。 …