平凡だった僕がNYでUDON IS ROCKパフォーマンスをするまでの軌跡【下巻NY編】
少数派は思う。
普通の幸せを手に入れたい。
多数派は思う。
英雄になってみたい。
隣の芝は青く見える。そこに正しさなどない。
あるのは己がどう在りたいかと現状のみ。
ギャップを見ようとし続けて、言葉にし、行動に移していく中で徐々に己の輪郭やディティールを掴む。
多くはすぐに諦め、どう在りたいかをみようとせず老いる。
これでいいんだ。これが俺なんだと。
多数派だった僕の人生は、うどんという少数派の武器を手にしたところから始まり、小さな勇気を重ねて大きくしていった。
無謀とも言える大きくなった「勇気」と「うどん」だけを胸に、未知の10日間が始まる。
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2017年9月14日、NYに降り立った時差ぼけ中な僕には、そんな大それたことを考える余裕はなかった。
ニューアーク空港に着くと、レンタカー受付の小太りの女性は言った。
「Are you famous man?」
英語なんて高校で習った程度で実践経験のない僕は、できる限りの苦手な笑顔でこう答えた。
「ノット フェーマス マン」
これは23年間スポーツも学問も平凡、高校受験は落ち恋も幾度と虚しく散ってきたアベレージ人間である僕が、勇気を積み重ね、凡庸に抗い続けた忘備録です。※まずは上中巻をご覧ください。
▼上陸初日編
ペーパードライバーから突如車を購入して車に住み始めてから9か月。
それなりに国内を走って、運転中に寝そうになったり、軽い衝突事故もやってきながら僕は着々と運転スキルを身につけようとしていた。
なんだこの大きな車体は、、
適当にレンタカーを選んでいた僕は焦った。
左ハンドルは当たり前として、ウインカーもワイパーも日本のと全然違うじゃないか!この10日間で何度晴れた日にワイパーを動かしたかは数知れず、、
おまけに車線も右左折も全部逆!車間もわからんしアクセルの踏み具合違う!標識全部英語だから読めん!首都高とは違った意味でハイウェイがトラウマ!
とにかく初海外なのに英語ほとんどわからんし、うどんゲリラで打ちに行くってよくやったなと当時の僕を褒めてやりたい。
時差ボケからの神奈川→千葉くらいの慣れない外車移動は初日から僕に大きなダメージを与えた。初日から正面衝突の危機もあった。
事前に知り合いに送ってあった90cmの麺切カッターと、うどん小麦、ステンレステーブルを取りに行ったのだ。
そのまま千葉→神奈川距離を走りエアビーでとってあった宿へ。
ひとまずメシやら洗剤やら生活用品を揃えた。
もちろん全部英語だから何が入ってるとか、そもそもそれが何なのかもよくわからず雰囲気で揃えた。
目の前のことだけを必死に考えることしかできなかった一日。
それでも一日ではNYに適応できなかった。
死んだように寝た。
▼ウィリアムズバーグ初打ち編
翌日、いよいようどんを作るための道具をかき集める。
初めての地。人は準備に準備を重ねる。それが成功への近道だと多く人は聴いたことがあるからだ。
しかし僕は明らかに手に入らなさそうなもの以外は「現地で何とかなるっしょ」くらいなノープランスタイル。ホームセンター的なとこに行ったりした。齢27にして、人生だいたいのことは何とかなるって信じて止まないからだ。
練るためのタライみたいなのがどうしても見つからなくて、プラの箱型の衣装ケースみたいなものにした。丸ですらないという初の試み。もちろんこの10日間、この衣装ケースでの練りはとにかくやりにくかったことは言うまでもない。
マンハッタン入り。現地調査。ひたすら銀座みたいな道。
どこでうどんを打っていくか。
「あ、トランプタワー。ここでうどん打つのか。チェックだぜ☆」
うどんは踏んでは熟成を繰り返すので、踏む→移動(熟成)→踏む→移動(熟成)という流れが自ずと導き出された。
タイムズスクエアでうどんを踏んではしゃぐ僕。
被り物たちがやってきて写真を撮らせて金をせびる。
ああ、これが外国の洗礼か。しぶしぶお金を渡す。
知人情報で、どうやらブルックリンのウィリアムズバーグの方はオシャレでいい感じらしいと聞いた。そろそろうどん打てるし、行ってみた。
人通りはさほどなかったが僕はひとまず車を路駐してテーブルを出し、うどんを延ばし始めた。
何人かが立ち止まり、見始めた。
繰り返すが英語はよくわからんのでカタコトでジャパニーズヌードル、ウドンとかなんとか言いながらうどんを打った。
そこそこウケた。
どうやらNYの人にもうどんはウケるということがわかった。
まあうどんかどうかよりこのいでたちも大きかったんだろうなと。
外を歩くための私服なんて一着も持っていっておらず、常に衣装を着て練り歩いていた。
幾度と振り向かれて「クール」と言われ続けたのにはさすがNYだと感心せざるを得なかった。
▼トランプタワーゲリラ戦線編
僕は知らなかった。
国連のサミットで各国首脳がここNYに集まっているとは。
当時話題でもあったトランプ大統領の城ともいえるトランプタワー前は来た時よりも遥かに厳重警戒態勢だった。
日中や夜も、前の通りは一々許可をもらわないと通る事すらできない状態になってしまっていた。
「やべえ、初日に行っておけば、、クラファンでみんなにトランプタワー前で打つって言っちゃったよ」
何としても打つべく、僕は考えた。
「あ、早朝ならいけるんじゃね?」
アニメ漫画ヲタであり、歴史好きでもある僕の血が騒いだ。
桶狭間の戦いはご存じだろうか。
かの今川義元は大群を率いての休憩中に、信長のわずかな手勢に奇襲をかけられ首を討ちとられたのだ。
奇襲だ。これしかない。
僕は夜中に何度も起きてはうどんを踏み、生地と共に寝、また起きてはうどんを踏み共に寝る。そうやって早朝4時にはトランプタワーの前に向かった。
案の定道は開かれていた。
手始めにうどんを打つ前の準備として、うどんを踏んでみた。
ポリスに怪しまれたが、わりと難なくうどんを踏めた。
次に麺打ちだ。これは包丁=刃物を扱うので、一歩間違えれば射殺だ。
テーブルを車から運び出した。すでに街は明るみ始めていた。
静寂のトランプタワー前。
死因銃殺は免れたものの、切り終えた麺線は、職人のそれとは思えないほど乱れきっていた。
麺心一体。
麺の乱れは心の乱れ。淡々とうどんを打っていたが、僕の心はどうやら相当同様していたようだ。まだまだ心の修業が足らん。
▼ブルックリンブリッジ死闘編
次に僕はブルックリンブリッジという良さげな場所を見つけた。
車はここにつけて、テーブルこう運んで、、算段を軽くつけながら車をぐるぐるさせた。
未だに運転には慣れないが、それでも進むしかないのが未知の世界の醍醐味だ。
ランチはうどん屋。
うん、加工デンプンバリバリの海外うどんって感じの食感。
天ぷらは悪くなかった。
こりゃホンモノ食ったらNYのみんな喜ぶわ、と思った。
さて、うどんもいい感じに熟成されてきたので、いよいよ橋へ向かう。
車をつけ、予定通り、、、、
いや、麺切カッターのっけたテーブルが思った以上に重い、、
僕は何度もテーブルを降ろし持ち上げを繰り返しなんとかいい感じのロケーションまでたどり着いた。
さあ、やっていこう。
最終日にはレンタルイベントスペースでのポップアップうどん屋的なのを控えているので、その集客用ビラも何枚か持って、いつも通りうどんをおもむろに打ち始めた。
すると地元民ぽい人から観光客まで様々集まった。
僕はいつも通り流暢(笑)な英語で話した。
「ジャパニーズ ヌードル UDON!!」
これ以上の単語は出てこない。
あとはひたすら技を見せた。
けっこう見入ってくれていた。うれぴー。
イタリアからの観光かなんかだった忘れたが、このうどんどこで食えるのかみたいな感じで聞かれた雰囲気だったので、英語で書かれたビラを渡しておいた。あ、そうだ集客しなきゃ。
これまでに比べるとずいぶん晴れやかで穏やかなうどん打ちであった。
ただ唯一、テーブルの運搬は汗と体力と時間を大幅に使った死闘だった。
▼エンパイアステートビル盟友共闘編
友人の紹介でNYの会社のオフィスでうどんを打たせてくれるとのことで、僕はNYで一番高い、あのビルへ向かった。
そう、新宿のDOCOMOビルがモデルにしている、エンパイヤステートビルである。
これ、オフィスが入ってるけども観光ビルとしても機能していて、専用の展望台がある。
ただし今回はオフィス、それもかなり高層階。
僕はいつも通り日の丸鉢巻巻いて、テーブルを業者のようにエレベーターに運び込んだ。
なんてこった\(^o^)/
NYを一望できる。
僕は一瞬社長の気分になった。
さて、僕には相棒はいないが(撮影のハヤシさんはある種の相棒)
唯一何度も時を同じくしてきた盟友がいる。三味線奏者の森さんだ。
僕のオリジナル曲の中にも森さんが弾いた三味線音が入っている。
僕がNY行くってのでクラファンでも支援してくれて、なんと自費で駆けつけてくれたのだ。森さんの仏具合はちまたではもはやデフォだが、この時あらためて神だと感じた。
森さんは三味線奏者とは言ったものの本業は医療関係で、めちゃくちゃ硬いお仕事してるのだ。僕みたいなチャランポランでは決してない、社会的に全うな人。それがNYで目の前に現れるのだから凄い。
この4年後に僕はシングルマザーの人と結婚するのだが、実は森さんも同時期にシングルマザーの方と結婚することになる。深い関わりがあるわけではないのだが、縁を感じざるを得ない人。それが森さんだ。
エンパイヤステートビルを後にし、僕は森さんとチェルシーマーケット付近にて合流した。
基本ノープラン野郎の僕の、NYで3つしかない予定の一つ、エンパイヤステートビルでのパフォーマンスの時が迫っていた。
搬入をせっせこ済ませ、鉢巻を巻く。いざ
日本人の社長と多国籍な社員の方たちに見守られ、森さんとのパフォーマンスが始まった。
池袋芸術劇場横ステージやフジロックから一切変わらないただ一つの曲が流れ始めた。
幾度と合わせている森さんと僕のユニゾンはシンクロ率100%だった。
大皿に茹で上がったうどん刺しを盛り付ける。
群がる社員の方々。
トランプタワーや路上で散々うどんを打ったが、食べてもらえた数少ない機会が訪れた。やっぱりうどんは食べてもらえて完成だなとあらためて感じた。日本以外でも通じる美味さなんだと自信は勢いづいた。
気持ちよく演奏して、楽しんでもらって、そっからまた食べて感動してもらう。こんなウィンウィンなうどんライフは他にない。
あらためて僕はうどんに生かされうどんに感謝した。
▼無限パフォ―マンス激闘編
NY遠征も大詰めを迎える。
エンパイヤステートビルでの掴みを胸に、エンドレスで打ちまくって提供しまくる「ポップアップパフォーマンスうどん屋」がブライアントパーク前のイベントスペースに出現した。
この日のために事前に声をかけていた人たちに手伝ってもらい、路上でビラ配りまくって、準備して、森さんコンビでパフォをやる→地下のキッチンでうどんを茹でて盛り付けて戻って提供する→パフォ→茹で→パフォ→茹で
とは言っても茹でている時間にパフォして、終わったら麺見に行って、もういちパフォできるか見極めてやるかやらないか判断。手伝ってはもらったが、基本的にパフォも茹でも僕がやる職人場なので、地下と地上のほぼワンオペは無限地獄だった。
ここではNYで一番多くの人にうどん打ちというものを見てもらい、本物のうどんを食べてもらえた。
ゲリラは気持ちよかったが、楽器演奏にない食べてもらえるという重要性をあらためて感じた。
全日程を終えた僕は倒れた。やっと気を抜ける。
数分して起き上がり、考えた。
最初に思ったことは自分でも意外だった。
「これは1人ではできなかった」
初めてのBBQ場での出張で自分というものを認められた気がした。
それからこれまで何だかんだ一人で全部やってきたという気持ちだったが、今回のNY遠征においては、クラファンを立ち上げる時から、支援をいただいた時、NYでは物理的に一人では何をどうやっても不可能だった。成し遂げられなかった。
▼終章 最後に僕が言いたいこと
このNY遠征がこの後僕に何をもたらしたか。
スーパースターになったわけでも、儲けたわけでも、小野ウどんが売れたわけでもない。帰ったら何でもない日常がただ待っている。
これまで通りに出張を続けるだけだ。
それでもこのNY遠征は僕に多くの大事なことを示してくれた。
まず、ここ約30年で一番多くの初めてに出会った10日間だった。
初めてのことというのは緊張、ストレスを与え、踏み込む度胸を試される。
その代わりにかけがえのないものを得ることができる。
まあ今回はいちいち考える暇もなかったんだがw
踏み込んだら想定しなかったことに出会える。
驚きがある。
だから見えない闇を歩くのはやめられない。
予定調和はクソくらえなんだよ。
人生てのは、予定調和から外れたところに面白みがあるってことに原付旅で気づいて、うどんで実践し確認していったんだ。
振り返らなかったんじゃない、前しか見る余裕はなかった。
誰にでもできることじゃない、面白いと思ったから。
それは俺自身の血肉になると思ったから。
好奇心。
だいたいのことは何とかなるってこと。
案ずるより産むが易し。
勇費勇積の果てにたどり着いたのがNY。
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大切なことを色々と書き記してきたつもりですが、2021年、NY遠征から4年した今の僕が最後に伝えたいことは「考えない力」です。
今の時代、いや、これまでだって考える力は大事だった。
TBSのドラマ「ドラゴン桜」でも言っている。
「東大が求めるのは自分で考え本質を見抜く力だと。」
思考力はこれから何が起きるかわからない混沌とした時代により求められる。どんな状況にも対応していける力を。
でもその思考力はまがいなりにも多くの人間が持っていると思っている。
それでも自分が何者かわからない、何がしたいのかわからない、どうしたらいいかわからない、将来が見えない、不安だ、そういう人が絶えない。
んでそういう人は溢れこれからもドンドン増えていくと思う。
んでそんな社会に対して僕がいいたいのは、思考力の次に大事だけど見落としがちな「思考を意図的に止める力」だと思っている。
結局僕より多くのことを知っていて、考える力もあってちゃんとしてるのにウズウズしちゃってる人は考え過ぎなんですよ。
考えるのが大事って言われたからといって、考えるだけやってればいいわけじゃない。まあこれも考えればわかるかもしれませんがw
モヤモヤしてたり一歩踏み出せない人。
ふと、考えるのをサボってみてください。
んで力を手足に与えてみてください。
やってみるんです。
そうしないとわからないことでこの世はまだまだ溢れています。
世界は捨てたもんじゃないっすよ。
平凡だった僕がNYでUDON IS ROCKパフォーマンスをするまでの軌跡
完
小野ウどん
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