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流れるプールにのっているだけでは泳げるようにはならない。 6/29

ニュースで小池都知事の入院と静養が発表されてた。
コロナが流行ってから1日も休むことなく働いていたら、そら体調も崩しますよね。本当にお疲れ様です。ご自愛ください。

このニュースで気づいたことがある。
それはネットニュースのコメント欄で散々批判していた人達がこぞって掌返しをしていたことだ。
たしかに静養される方に追い討ちをかけるような言葉は人としてどうかと思う。だだ、あれだけ今まで「辞めろ」「消えろ」などいった言葉を投げかけてた人が急に掌返しするのは見てていい気分はしない。

このニュースだけではなくて、最近はこの掌返しパターンが多すぎる気がする。実際に悪いことをした人が批判されたり、良いことをした人が称賛されるのは当然だけど、一部の天邪鬼な人たち(俗にいうアンチ)はそういった秩序を乱すような発言をネットやSNS上で残していく。最近の人気youtuberの炎上の件もそうだ。

ここで私が問題だと思っているのは、「アンチがいること。発言すること。」ではない。アンチというものは昔から存在していて、実際いろんな人間がいるのだからそういった人がいない方がおかしいのではないかと思う。

では何が問題だと感じているのか。

それは「アンチ(他人)が言ったことを鵜呑みにすること」である。ここで(他人)としてるのはこの話は特別アンチに限ったことではないと思うからだ。

最近のネットはあまりにも「便乗」が多すぎると思う。他人の発言に対して自分で考えることなくオウムのように繰り返すだけなのはあまりにもお粗末ではないだろうか。そう言ったことが現在のネット上で非常に多くあるのではないかと思う。

このような背景にはネットやSNSのコメント欄のいいねなどといった機能が影響していると思う。「皆が共感している発言に自分も共感しておこう」という集団心理的なものが少なからず存在しているのではないだろうか。

このような人たちがたくさんいることによって特に思考されていない宙ぶらりんな発言があっちこっちいっていることで「軸」のないものとなり、ネット上の掌返しが頻発していると私は思っている。共感が可視化された分、自己で思考することなく便乗してしまうのは考えることを放棄していることと同じことだ。

いまのネットやSNSは便利になりすぎていて、自分で考える、判断することがいらなくなってきている。そのような世界で自分で選ぶ、考える、判断するといった当たり前に聞こえることがすでにできなくなっているのかもしれない。勿論、この文章を書いている私自身にも当てはまることだ。皆さんも今一度思い返して欲しいと思う。

流れるプールに乗っているだけでは泳げるようにはならない。

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