コントラスト
連休が明ける。
6月は毎年のように祝日がない。
ルーチンのような日々がやってくる。
まぁ、日々色々なことがどうせ起きるのだけれど。
明日は雨か。そのわりに暑い。
連休中に目途を立てたかった作業が佳境に。
まぁ、形になりつつあるぐらいだけれど。
うんうん、まぁ、この方向性でという感じ。
時間があるとはいえ連続時間では厳しいので飛び飛びに。
それが出来る期間であった。
またしばらくは少しずつだろうか。
地道に進もう。
気になっていたまま観ていなかった鬼太郎誕生ゲゲゲの謎を連休中に観た。
やけに評判が良いし、原作で鬼太郎誕生の墓場の鬼太郎第一話はもう遥か昔、中学生ぐらいの時に読んでいて、それに繋がる話だと聞いていた。
なんとなく小難しいのとかは今じゃないなぁみたいなタイミングで、とりあえず観てみるかなぁぐらいだったのだけれど号泣した。
水木しげるさんの戦地での実体験の漫画なんかも読んでいたら、より面白く感じるやつだった。
お見事だったなぁ。よくあの第一話に繋げたなぁ。
戦中戦後の時代を生き抜いた作家は現代の僕たちとは違った人間を目にしてきている。
人間の悪さ、酷さ、醜さ、そういうものを実体験してきている。
戦後もそうだよ。やっぱり弱きものは置いていかれる時代だからさ。
経済成長の影で多くの人が虐げられて、見過ごされてきた。
今のようにそれが問題視されるわけじゃないからさ。
今は多様性だとかさ、そんな問題があればすぐにピックアップされて社会問題として共有されて糾弾されていく。
光と闇のコントラストがはっきりしていた時代を生きた作家たちは強い。
弱ければ淘汰される中で作品を創作し続けてきたのだから。
まして水木しげるさんは戦傷者でもあったんだものなあ。
コントラストが低いから光から闇へのグラデーションになっている。
どこか気まずい、どこかむず痒い、どこか座り心地が悪い。
そんななんとなくフワリとした違和感が時代の病理になりつつある。
グラデーションだから立ち位置もわかりにくい。
水木しげるさんが描く妖怪たちは常に人間社会に批判的だ。
自然を破壊して、資本主義の論理で伝統まで破壊していく。
私利私欲、争いごと、見栄、嫉妬。
妖怪が現れて人間たちを懲らしめる。
ところが主人公の鬼太郎はそんな人間たちの味方だ。
妖怪たちに理解を示しながら、それでも人間たちを助けていく。
人間の持つ良心を信じているからだ。
自分の左腕を失った水木しげるさんがそんな作品を描いている。
はっきりとした悪は今もあるけれど。
恐らく日本で普通に暮らしていればそこまではっきりとした悪には中々巡り合うこともないだろう。
今、僕たちが共感するのは普通の生活の中にある小さな違和感たちだ。
妖怪たちもきっと困惑するほどの小さな違和感。
まあ、なんか妖怪みたいな政治家とか企業人とかいるけどさ。
見た目であの大臣、妖怪なんじゃね?って疑ってる人いるし。
弱くても助けよう。
そういう声が上がるようになった今の時代。
それはとても素晴らしいことだ。
小さな違和感にも気付いていくこと。
それが出来る社会であることは幸せなことだ。
ただシンプルに、その前の時代を生きた作家たちの強さに憧れる。
唐十郎さんもそうだけれど。
あの強さ、バイタリティにどうしたって憧れてしまう。
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