二重憲法・二重国家体制としての戦後日本

 戦後の日本では、憲法観・国家観について相容れない異なる考え方をもつ人たちが共存している。

一方は、明治憲法(大日本帝国憲法)のうち、自分たちが改正してもいいと考えている条項のみを改正した憲法が、本来のあるべき日本の憲法であると考えていて、戦後憲法・戦後民主主義体制に否定的な考えをもつ人たち。

 もう一方は、基本的には戦後憲法・戦後民主主義体制に肯定的な考えをもつ人たち。

前者を“明治憲法”派と表記し、後者を民主憲法派または戦後憲法派と表記する。戦後憲法派と表記したときは、憲法9条改正に反対する人たちをあらわし、民主憲法派と表記したときは、憲法9条改正を主張するリベラル改憲派も含んだうえで、戦後の民主主義体制を肯定的に評価している人たちをあらわすこととする。

 ただし、このような分類は、戦後の憲法[体制]に対して肯定的な感情をもっているか、否定的な感情をもっているかという極めて大雑把な分類にすぎない。

一口に“明治憲法”派といっても、大日本帝国憲法をそのまま復活させるべきと考えている極右派から、大日本帝国憲法を大幅に改正して、現行の憲法にちかいものにすべきと考えている人まで、理想とする憲法の具体的な内容についてはかなり幅広い考え方の相違があるだろう。

 同じように戦後の憲法を肯定的に評価している人たちも、憲法9条は改正すべきと考えているリベラル改憲派から、現行憲法の条文は一言一句変えてはならないと考えているガチガチの護憲派、さらには天皇制の廃止を主張する人まで、かなり幅広い考え方の相違がみられるだろう。

  *注記

 リベラル改憲派は、戦後憲法そのものに対する感情から次の2つのタイプに分けられるだろう。

1つは、戦後憲法そのものに対しては否定的な感情をもっているが、大日本帝国憲法を大幅に改正して、9条以外は現行の憲法にちかいものにすべきと考えている人。

もう1つは、戦後憲法そのものに対しては肯定的な感情をもっているが、憲法9条は改正すべきと考えている人。

 ここで提示した、“明治憲法”派・「民主憲法派/戦後憲法派」という分類は、憲法の具体的な内容についての価値観よりは、戦後の憲法そのものに対して、あるいは戦後の憲法体制に対しての価値観から分類した側面もある。

(ただし、“明治憲法”派は、個人の自由に対して否定的な考えをもつ国家主義的な考えの人が多いが、「民主憲法派/戦後憲法派」は、個人主義や自由主義など欧米のリベラル・デモクラシーの価値観を肯定的に評価する人が多いといった点など、思想・価値観による違いもみられる。)

 “明治憲法”派が、政治や社会に対してたいした影響力をもたない少数派であったのなら、さしたる問題は生じなかっただろう。だが、政治権力の中枢で主流派・多数派となったのは常に“明治憲法”派だった。

 憲法を遵守すべき立場にある政治家や官僚たちが、自分たちが遵守すべき憲法に対して否定的な感情をもっているという状況。

55年体制成立以降、ごくわずかな例外期間を除いて与党の立場にいた自由民主党が、自主憲法の制定、現行憲法の改正を掲げているという状況。

国民の多数派は、政権は自由民主党に任せるという選択をしたが、自民党の掲げる自主憲法案や憲法改正案は必ずしも支持していないという状況。

 以上の点から戦後の日本の政治状況は、二重憲法体制・二重国家体制にあるといえるだろう。

○二重憲法・二重国家体制の成立

 なぜ、このような二重憲法・二重国家体制が生じたかといえば、それは戦後の憲法が占領軍の力によってつくられたからだろう。

アメリカに占領されなければ、日本人の間で明治憲法体制を維持・継続させようとする右派・保守派と、国民主権の民主的な憲法体制をつくろうとする左派・リベラル派の戦いが政治・言論の世界で繰り広げられただろう。

 両者の戦いが武力闘争にまで発展すれば、幕末以来の内乱状態におちいった可能性もあった。だが、現実には、敗戦の結果アメリカに占領され、占領軍の力で国民主権の民主的な憲法がもたらされたため、両者による戦いが全面化することはなく、流血の事態におちいることなく、民主的な憲法体制が成立した。

 だが、国民主権の民主的な憲法体制を、日本の国民自身の力でつくりだすことができず、外国の占領軍の力でそれがもたらされたため、“明治憲法”派と民主憲法派の対立が、いびつな形で戦後70年間も続くこととなった。

 アメリカに占領されることなく、“明治憲法”派と民主憲法派の戦いで“明治憲法”派が勝利していれば、日本の憲法は、大日本帝国憲法のうち、右派・保守派が改正してもいいと考えている条項のみを改正したものになっていただろう。そうなっていた場合、日本の憲法は自由民主党の作成した憲法草案にちかいものになっていたかもしれない。

 一方、“明治憲法”派との戦いに民主憲法派が勝利していれば、彼らが憲法制定権力となり、日本人自身の力で現行憲法と同じような民主的な憲法が制定されただろう。

(ただ、その場合でも、敗戦・占領という経験をしなかったら、軍隊の保有と交戦権を否定した憲法はもたなかったと推定できる。先制攻撃を禁止した条文は制定された可能性もあるが……。)

 “明治憲法”派との戦いに民主憲法派が勝利していれば、余程のことがない限り、民主憲法派が国会で多数派を占めていただろうから、政治権力の中枢にいる政治家たちが、自分たちが遵守すべき憲法に否定的な感情をもつという喜劇的な状況は生じなかっただろう。

○“明治憲法”派のジレンマ

 戦争末期、あるいは終戦後、民主派による革命や武力クーデターが成功し、民主憲法派が権力を握っていたら、彼らによって民主的な憲法が制定されていたかもしれない。

 だが、戦争終結後も政治権力の中枢にいたのは、明治憲法体制を継続させたいと考えていた右派・保守派であり、アメリカ占領軍が、彼らの意向を無視し、彼らが望まない憲法を彼ら自身の手で制定させるという形をとったために、右派的・保守的価値観をもった政治家や官僚たちは、自分たちが望まない憲法を占領軍によって押しつけられたという不満・鬱屈をかかえ続けることとなった。

 国民の多数派が“明治憲法”派と同じような考えをもっていたのなら、彼らが制定しようとする憲法案(それが自主憲法という形をとるのか、現行憲法を改正するという形をとるのかは不明だが)はより多くの人に受け入れられただろう。

 だが、国民の多くは右派・保守系の政治家たちが唱える戦前回帰的な憲法案よりは、戦後の憲法の方をより良い憲法であると判断したために、彼らの主張は一部の国民にしか受け入れられなかった。

 国民の多くは、憲法の制定過程や誰が憲法の原案をつくったかということよりも、憲法の内容の方を重視しているので、右派・保守派の唱える「押しつけ憲法批判」や、「占領国による憲法制定は国際法違反だ。」という主張は一部の国民にしか支持されなかった。

○顕教としての戦後憲法・密教としての“明治憲法”

 戦後の憲法は国民の多数派に支持されるようになったが、政治権力の中枢には、依然“明治憲法”派が主流派・多数派として存在しているという状況は続いているだろう。特に政治家に関しては、護憲を旗印にした政党・政治家は憲法改正の発議を阻止する3分の1以上の議席を占めるのが精一杯だったといえる。

 “明治憲法”派にとっての戦後憲法とはただの飾りであり、自分たちが遵守しなければいけないものではない。必要であれば戦後憲法などは無視してもいいと考えている節もある。だから、時として戦後憲法の価値観からすればあきらかに憲法違反としか思えない行為を、合憲である、憲法違反ではないと主張して実現しようとすることがある。

 しかも最高裁の判事の中にも、“明治憲法”派と思える人が何人もいて、戦後憲法の理念・価値観からすれば違憲としか思えない行為を恣意的、強引な憲法解釈で合憲と判断するケースがみられる。

もっとも、違憲としか思えない行為を合憲と判断しているのは、政府や自民党の意向に添った判決を出さないと出世できないという仕組みが出来上がっているからだとも考えられる。

 さらに言えば、司法が行政から独立しているという三権分立の制度自体が、顕教としての戦後憲法体制の象徴であり、統治構造の実態は、司法は行政の下にある“明治憲法”体制であり、最高裁判所の役割は、顕教としての戦後憲法からすれば違憲にあたる行為を恣意的な憲法解釈、強引な憲法解釈で合憲と判断し、どのような解釈をしても合憲と判断できないときは、憲法判断をしないことによって政府・行政機関の行為を容認することにあるのかもしれない。

  *注記

 昨今の、集団的自衛権が合憲か違憲かをめぐる混乱しているとしか思えない状況も、「顕教としての戦後憲法・密教としての“明治憲法”」という概念をもちだせばすっきりと理解できる。集団的自衛権が合憲であると発言している人の多くは“明治憲法”派であり、彼らの頭の中にある真の日本国憲法には「憲法9条」などという(彼らにとっては)馬鹿馬鹿しい条文などは当然ない。

 政治家や官僚が遵守しなければいけないのは、顕教としての戦後憲法ではなく、密教としての“明治憲法”であると考えているから、彼らにとっては、集団的自衛権の行使は当然合憲となる。

○戦後憲法と明治憲法の神仏習合体制

 戦後憲法と“明治憲法”の二重憲法状況は、政治家・官僚だけではなく国民の中にもみられる。国民の多数派は、“明治憲法”派の唱える憲法案よりは戦後の憲法の方を支持しているようにみえるが、戦後憲法の価値観からすれば違憲としか思えない政策や法律・条例を支持しているケースもある。

 国民の多数派は、“明治憲法”派の唱える憲法案は支持していないが、戦後憲法の理念や価値観を内面化しているようにもみえない。日本国民にとっての憲法とは、戦後憲法と明治憲法、部分的に矛盾している箇所のある憲法をともに支持している、ある種の神仏習合体制といえるような気がする。

 典型的なのは、公立学校の教師に対して君が代の斉唱が職務命令された時の事例だろう。

憲法19条の良心の自由には、国歌を斉唱する良心の自由とともに、国歌の斉唱を拒否する良心の自由も含まれているというのが一般的な解釈だろう。

そして、憲法19条の良心の自由は公立学校の教師に対しても認められた権利だというのが一般的な解釈だろう。

 戦後憲法を肯定的に評価している人たちにとっては、公立学校の教師も当然国歌の斉唱を拒否する良心の自由が保障されていると考えているから、君が代の斉唱を拒否した教師を職務命令に従わなかったとして処分することは憲法違反だと考えるだろう。それ以前に、国歌の斉唱を職務命令すること自体を憲法違反だとみなすこともできる。

 だが、公立学校の教師にも国歌の斉唱を拒否する良心の自由が保障されていると考えている国民は多数派とはいえない。公立学校の教師に国歌の斉唱を拒否する良心の自由などは認めるべきでないと考えている人はかなり多いかもしれない。

特に、公立学校の教師に君が代の斉唱を職務命令し、従わなかった教師を厳しく処分する方針を実行した元東京都知事の石原慎太郎や元大阪府知事の橋下徹が高い支持率や人気を保っていた事実をみると、戦後憲法の良心の自由の価値観が、どれだけ国民の間に浸透しているのか、疑問を持たざるをえない。

 他にも、最高裁によって違憲状態と判断された、1票の格差を放置した選挙区割が何十年間も続いていても平気であったり、戦後憲法の理念や価値観が多くの国民に理解されていないケースはいくつもみられるだろう。

(最高裁の判事が、違憲でなく違憲状態という表現をしたこと自体にも、戦後憲法の理念や価値観が、裁判官自身にも浸透していないのではと思わせる。二重憲法体制、憲法の習合体制が他ならぬ司法機関にもあてはまっているのではないだろうか?)

○二重憲法体制の行方

 “明治憲法”派は、戦後憲法の条文が1つも改正されていないという点で勝利してはいないが、戦後憲法を部分的に形骸化させたといった点で、敗北もしていない。一方の戦後憲法派も、戦後憲法の条文を1箇所も改正させなかったという点で敗北はしていないが、戦後憲法が部分的に形骸化したといった点で勝利したともいえない。

 戦後の憲法状況は、異なる価値観・憲法観をもつ勢力が綱引きをしているが、どちらも勝利できない膠着状態が何十年間も続いているような状況といえる。

 今後、二重憲法体制がどうなっていくか、短期的なケースと中長期的なケースにわけ、いくつかのパターンを想定してみる。

  *注記

 現在の私は、憲法9条の改正を戦前回帰路線とみなす立場をとっていない。ここでは9条以外のリベラル・デモクラシーの価値観に基づいた憲法がどうなっていくのかを想定している。

 また、近年では国会を一院制にしたり、統治構造を中央集権制から地方分権制にしたりといった、従来の戦前回帰的な憲法改正案とは異なる改正案も提唱されている。ここでは、そのような憲法改正案は戦後憲法体制、あるいは民主憲法体制内の憲法改正とみなして、戦前回帰的な憲法改正案とは区別しておく。

・短期的なケース

1 憲法が、“明治憲法”派の望むものになった場合

2 現行憲法が改正されない場合

・中長期的なケース

短期的に1のケースのとき(憲法が、“明治憲法”派の望むものになった場合)

A “明治憲法”派の望む形の憲法が何十年も続いていく

 最終的に“明治憲法”派が勝利したといえる。

戦後の憲法は、結局、占領軍の力添えがあったからこそ実現できたのであり、日本人自身にはこのような憲法をつくることはできなかったといえる。

B 再度、民主的な憲法に改正される

 “明治憲法”的な憲法を、日本人自身の力で民主的なものに改正していく過程を通じて、多くの日本人の中にリベラル・デモクラシーの理念や価値観が内面化していく。国会で多数派を占めるのは民主的な理念や価値観をもった政治家となり、“明治憲法”派は政治や社会にさしたる影響力をもたない少数派になっていく。

短期的に2のケースのとき(現行憲法が改正されない場合)

A 中長期的には“明治憲法”派の望むような形の憲法になる

 最終的には“明治憲法”派が勝利したといえる。

B 憲法は改正されないが、現行憲法の一部形骸化状態は続いている状態

 二重憲法体制が、今後何十年間も継続していくケース。

“明治憲法”派が、依然、権力中枢で力をもち続け、リベラル・デモクラシーの理念や価値観が、国民の多数派には内面化されない状況が続いていく。

C 民主憲法体制が定着する

 民主的な理念や価値観をもった政治家や官僚が、国会や権力の中枢部で多数派となり、“明治憲法”派が少数派となった状態。国民の多数派の中でリベラル・デモクラシーの理念や価値観が内面化していく。

 ただ、この場合、成果が目にみえる形であらわれないので、民主憲法派の目標が達成したかどうかわかりづらいという難点がある。

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