第十三話: 解散!
さて、私のこの話は一応仕事の内容だけは決まっている状態で突然ラオスにたった一人で飛ばされてドンガラな工場に備品を買い出しして、必要な役所に届け出をだしたり、ワーカーを雇ったりしてやっと工場らしくなってきたなという所までは以前までの話でお話をしたと思うのですが・・・
私がラオスに飛んだのは2020年1月の話です。
1月にラオスに行ったときはまだ、
『なんか中国の武漢でウイルスが漏れ出して大変な事になってるらしいよ?』
程度だったのですが、私がラオスに来てしばらくすると、それが日本でも見つかって大騒ぎになっていたわけで。
でもまぁ、政府発表上ラオスには感染者は居ないと。
あー、日本は大変なんだなぁ程度にしか思っていなかったのですが、3月になっていよいよこれは世界的にヤバい奴だと。
3月の下旬になって、ラオス政府も危機感を感じたのか、連日感染者数の報告が上がってきたり(と言っても政府発表上1人か2人。合計で。)でも、この数値も結局公的な病院でそれらしい病状の人を検査しない限りは、ただの風邪ってことになっているんだと思うのですが。
それでもお隣のタイやベトナムの状況を踏まえて、ラオスも国境を閉鎖するぞと。
更に
4月1日から外出禁止令
だと。
しかもこの外出禁止令がいつまで続くのか分からない。
ちょうど、本格的にワーカーを雇用して工場を稼働させてから3か月が経過しようとしていた事もあり、この状況に対しての私の判断は・・・
・・・はい、それでは会議を始めます。
この先の状況が全く読めない状態なのと、これから先の見通しが全く立たなくなってしまったので、外出禁止令が出た事も踏まえて、
一時解散します!
もし、会社が業務を再開できるようになったら、その時は皆さんを試用期間無しで正社員として雇用するので、その時はまた皆さんに連絡します。
ただ、業務を再開する目途が立つ前に他の仕事が見つかるようであれば、そちらで働いた方がいつ再開するか分からない状態のこの会社を待っているよりも、お金も稼げるし、その方が良いとも思います。
と、言う話をワーカー全員に通達しました。
今改めて考えても、ワーカーは全員残ってもらう事が最善だったのではという考えもあったのですが、その事でいつ再開できるか分からない現在の状況に縛り付けておくことの方がワーカーのこの子達にとって良い事なのだろうか。3か月一緒に働いてみて、ワーカーの子達はみんなとても素直だし、楽しく働けていたからこそ、他の職場でもこれから先うまくやっていけるんじゃないかと。
その辺の判断からの決断でした。
基本的に私は日本の本社から駐在を言い渡されただけの立場ですし、日本側の意向と言うのも色々あったとは思いますが、その時自分自身が考えていたのはこちらからメールしない限りは連絡すらしてこない日本側の会社よりも、
自分で直接面接して
一緒に仕事して
たった3ヶ月の間で今の日本の社会では考えられない人付き合いをしてきたワーカー達の人生の方が大切でした。
そんな訳で会社を一時閉鎖させる為の準備と、それまでに生産した製品の出荷、社内の整理なんて事をやろうとしていた時に、
在ラオス日本大使館のチャーター便でビエンチャンから羽田への直行便を出す
そんな話が舞い込んできた。
その当時の状況を整理すると、
①帰っても危険な事に変わりはない。
②帰国ルートがタイ経由となると、乗り換え時に待機してることの方が危険。
③でも、感染すると検査病院がパクセーに一ヶ所しかなくて、更に感染確認されたら首都ヴィエンチャンに行かないと収容出来る病院が無い。
①そうなんです、感染者数が5人以下の国に居た方が安全なんじゃないかって話ですよね。こんな状況で日本に帰った方が危険度高いし、帰国したとしても日本国内に住所の無い状態で実家に帰る?職場は東京ですけど?って話ですし。
②その当時のタイがちょうど感染者数が増えていて、トランジットでタイに行ったところでタイの空港内で貰っちゃったら目も当てられない状況な訳です。そもそもタイの空港も感染から逃げる為に現地駐在の方々、他にも観光客の人たちが空港から帰国しようとしている中で感染する可能性がゼロではないと。
③これが一番この国で生活していて恐ろしい部分だったのですが、万が一感染してしまうと、その当時の収容先がビエンチャンの国立病院でしか受け入れできる施設が無い訳で。発覚した数人の感染者もそのビエンチャンの国立病院のクリーンルームみたいな場所に隔離されるだけ。今から考えてみたらその当時なんてどうしたら良いのかなんて分かってなかったのは世界中同じだったのだとは思いますが、それでも確実なのはラオスで感染したら、死ぬなと。
ただ、そのチャーター便がいつ出発するのかもまだ全く決まってなかった。
恐らく3月末から4月の上旬位?
本当にその程度の情報しか無かったので、続報を待ちながら、会社の一時閉鎖に関しての準備を進めることに。
一応、日本側には
日本も危険なことは理解していますが、ラオスで感染したら本当に命に関わるので帰国させてください
と、Skypeで社長に直談判して帰国費用の確保をして貰う事が出来た。
そんなこんなで、ちょうど従業員の試用期間90日が経過した3月の末、大きなレストランで食事をする事は出来なかったので、私の自宅で解散パーティーをする事に。
朝会社に集まって最後の清掃をして、社内での作業を終えて、数キロ先の私の自宅にスタッフそれぞれが買い出しをしてきてくれました。
・・・なんか、ワーカーが買ってきた米袋の中で暴れてるのが居るんですが。
と、まぁここから会社の解散パーティーと、帰国のチャーター便に果たして乗れるのかどうか!?と、言うお話に繋がるのですが、今回はこの辺で。