「 パジャマが纏うもの 」
古びたパジャマ
わたしには、THEパジャマ的なパジャマがタンスに数枚ある。
しかも、もう20年くらい前のもの。
雪の結晶が全身にちりばめられたもの、赤いチェックのもの、キャラクターのもの。
もちろん、今も着ているのだが、これらが捨てられない理由は何だろう?
着心地?くたびれ感?愛着?
どれも正解かなぁ。
全ては20年前のある時期に買ってもらったもの。
その時期の体験は、わたし自身にとって大きく、人生の中でも必要な小休止だったと思う。
謎の高熱
高校を卒業したわたしは、田舎の実家を離れて、関西の大学に進学した。
大学1年生になり、自由を手に入れたわたしは、1人暮らしも、勉学も、サークルもアルバイトも、一気に手を出してみた。
仲の良い友人も出来、勉学も必死ながら何とかついて行き、その生活にも少し慣れてきたと思っていた冬に、わたしは謎の高熱に襲われた。
最初は病院にも行かず、と言うかガラケーと自転車しかなかった田舎育ち、世間知らずのわたしには、自分で病院を探して行くという方法すら難しかった。
心配してくれた友人がおにぎりと栄養ドリンクを差し入れしてくれたけど、それをほとんど口にすることが出来ないまま数日経ち、その友人に聞いた内科で何とか受診することに。
曖昧な記憶だけど、その時は、急な坂道を自転車をこいで、何とか病院に辿り着いたような気がする。食べれていないから点滴を打とうか、と言うことになり、点滴をうってもらって帰宅した。
これで安心だろうと思ったのも束の間、その夜全身にサークル上に皮膚が盛り上がる蕁麻疹が現れた。
箱の中でぬくぬくと育ったわたしは、ただでさえ高熱で心が弱っていたのに、得体の知れない蕁麻疹と、経験したことのないだるさに、自分がどうなってしまうのか恐怖を覚え、しくしくと泣いていた。
母に連絡したところ、明日すぐにタクシーで病院にもう1度行きなさい、とタクシー会社と電話番号を調べてメールを送ってくれた。
翌朝、タクシーで病院に向かい、状況を伝えて血液検査をしてもらい、一旦タクシーで家に帰り休んでいると、病院から電話が。
血液検査の結果、状況がかなり悪いからすぐに入院の用意をして病院に来てほしい。大きな病院に紹介するから、ということだった。
その時にはしんどさもピークで、脱いだ服をそのまま床に敷き、這って生活しているような状態だったので、タクシーを呼んで病院に向かうのも一苦労。
病院で告げられたのは、よくわからない漢字が並んだ病気。とりあえず、肝臓の数値が良くない、と言うことしかわからなかった。
紹介状を書くから、大きな病院に向かってほしい。救急車で運ぶこともできるし、タクシーを呼んでも良いけど、どうする?
と看護師さんに聞かれたものの、世間知らずのわたしは、救急車を呼ぶとお金がたくさんかかるのかもしれないし、こんなので救急車で運んでもらうなんて申し訳ないことかもしれない。
そう思ってしまい、タクシーで向かうこととなった。
踏んだり蹴ったり
病院に向かうタクシーの中で母に電話をした。どうやら肝臓が悪いらしいから、今大きな◯◯病院に入院する為に向かってる。そう伝えると、肝臓というワードが母には重く響いたようで、慌てて母の仕事を丸々1ヶ月休めるよう手配し、本数の少ない特急電車と、新幹線を乗り継いで病院に向かってくれることとなった。
母の反応で初めて、あれ?わたしはもしかしてとても悪いのか?肝臓ってそんなにまずい場所なのかな?と不安が募るように。
大きな病院に着いて総合受付で紹介状を出した時、タクシーで向かうと選択したことが、痛恨のミスだとわかった。
受付の方は紹介状を確認し、循環器内科の外来で受付するように指示した。
ヨタヨタと迷いながら着いた外来窓口で、看護師さんに紹介状を渡し、今日からこちらで入院すると聞いて来たこと、とてもしんどいことを伝えた。
忙しそうな看護師さんは、弱っているわたしに容赦なく、
「入院するかどうかはこちらが決めます!そんなしんどいの!?紹介状確認します。とりあえずそこに座って体温を測っておいて。」
ときつい口調で言い捨て、奥へと消えてしまった。
弱ってるながらに、このくそばばぁが!と思ったとか、思ってないとか。
戻ってきた看護師さんに体温計を見せると、態度を変えた彼女は
「熱がかなり高いね。書類も確認したけど、だいぶしんどいね、こっちのベッドで休んで待ってて。」とやっと診察室の横のベッドへ案内してくれた。
それから長らく放置された後、医師と思しき人がやって来て、だいぶ悪いから、24時間点滴をするよ、と言って手首の表側に針を刺した。
手首に電気が走るような痛みがあり、グリグリと刺そうとした後、上手く入らなかったようで、手首の裏側に刺し直された。
この下手くそがぁ!と思ったか思わなかったかは覚えていないけど、その後しばらく手首がしびれるようで、ボーッとしながらも、踏んだり蹴ったりだと泣きたくなった。
病院に着いて果たして何時間待たされたのだろう。
遠くの方で聞き覚えのある声がした。母の声だ。地元からこの病院まで、おそらく4時間弱はかかる。そこで、わたしは4時間以上ここにいるんだとわかり、やはり救急車で来るべきだったんだと後悔した。
どうやら母は、とっくに入院していると思い、総合受付で本日から入院していることと、わたしの名前を伝えたそうだが、そんな人は入院していない、と言われたそう。外来で名前を見つけてもらい、まだ入院出来ていなかったことに驚いていた。
医師の説明を受け、最悪の事態も事前に説明された母は、とても心配そうにわたしが寝ているベッドにやって来た。
母の顔を見れたわたしは、その日初めてホッとできた。
ただ、もうその時はしんどくて歩くことさえ出来なかったので、車椅子に乗せられ、やっと病室に案内してもらえた。
人生初の入院生活
発熱から約1週間後に、わたしはウイルス性の急性肝炎と言う診断で入院した。今でも正式な病名は覚えていないが、普通の人なら風邪程度の症状で終わる軽いものが、免疫が落ちていたせいで、重症になったそう。
入院出来たからもう安心だと思っていたわたしは、その後たくさんの症状に悩まされた。顔のむくみ、下がらない高熱、腹痛、嘔吐、ひどい鼻詰まりと激しい喉の痛み。胃痛。肝臓が弱っていた為、薬を処方してもらえず、24時間点滴で栄養を補給し、ひたすら横になって自然治癒を待つしかなかった。
これ以上肝臓の数値が悪くなると、劇症肝炎が疑われ、死に至る可能性が高い、と母が説明されたようで、毎朝血液検査で数値のチェックが行われた。
症状が出る度に各科に連れていかれて検査。超音波検査や胃カメラなど。そして高熱を下げる為に、坐薬。入院生活が数日経つ頃には、あまりにしんどかったので、女子大生のわたしも、恥じらいさえなくなり、ナースコールを鳴らして坐薬を依頼しては、看護師さんが到着するまでの時間、下着をおろして待っているような状態だった。
毎朝2本ずつ採られる採血も、心地良ささえ覚えていた。危ない、危ない。
入院していた担当の看護師さん方は、皆さん本当に優しくて、お姉さんのような存在で信頼出来た。
入院生活中もずっと、外来で最初に対応してくれた看護師さんのことを、あのくそばばぁが!と思っていたとか、思っていなかったとか(笑)
ささやかな楽しみ
1ヶ月の長期休みをとってくれていた母は、わたしのマンションに寝泊まりし、毎日面会時間めいいっぱい病室で付き添ってくれていた。
入院した夜、わたしのマンションに入った時は、泥棒でも入って荒らされたのかと思ったそう。服やタオルが床に敷き詰められていて、わたしの壮絶な1週間を感じたようだ。
入院生活に合わせて、母はパジャマを買って持って来てくれた。最初は着替えに1枚。わたしの容態が落ち着いてくる頃には、母は色々なショッピングセンターやスーパーに出向き、可愛いパジャマを探して来てくれるように。
そこで一気に増えた、前開きのTHEパジャマたち。
あそこはあまり可愛いのがなかった!とか、あそこにはこんなお店があったよ!と、色々探して来てくれ、わたしの知らない外界の情報を聞くのも、入院生活のささやかな楽しみとなった。
もう1つの楽しみが、母が夕飯に何を食べたか、と言うこと。喉の痛みと食欲不振で食べられなかったわたしは、母が病院を後にして、何を食べたのかを聞くことが楽しみだった。退院したら、そこに食べに行こう!それを食べよう!など、退院後の楽しみも募った。
そして約2週間の入院生活を終え、退院出来ることとなった。
とは言え、完治ではなかったことと、落ちた体力を戻す為、大学はそのまま休み、実家へ連れて帰ってもらい療養することに。
パジャマが纏う想い
それから20年経った今も、まだその時のパジャマを着ている。
途中、社会人になっておしゃれさを求めたわたしは、ふわふわな可愛いパジャマに浮気した時期もある。
それでも捨てられなかったのは、なぜだろう?
当時、病気になった理由の免疫力低下は、体力もあるけど、精神的に弱っていたことも大きな原因だったのでは?と思う。
大学生活は友人にも恵まれ、とても楽しんでいたけど、その反面、自分なりに多くの挫折も感じていたり、心にある向き合いたくない葛藤に悩まされてみたり。
その状況を一旦リセットしてくれたのが、病気だった。元気な人であれば風邪程度の病気で、幸いわたし自身も1ヶ月くらいで元気になれた。
あのままだったら、やさぐれたわたしは、周りの心を傷つけていたかもしれない。
ホームシックには全くならなかったけど、病気になることで、もう1度親に甘える時間が出来、知らず知らずのうちに、寂しさと心の疲れを癒やすことが出来たのだと思う。
「挫折、葛藤、孤独、愛、安らぎ、感謝」
あの時のわたしにとっては、きっと必要な体験であり、それらの想いを全て纏ったパジャマだからこそ、身を委ねるにはこれ以上ない最良のパジャマなのかもしれない。
バンバン断捨離して服が手元に無くなるタイプだけど、なぜかこのパジャマたちは捨てられない。まだもう少し、その想いに甘えていたいのかもしれないなと、自分の奥底に眠る子供のわたしを感じている。
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