脳梗塞を起こしてから半年〜大きな気づきとなる出来事〜
シリーズ記事の途中ですが、今回は自分にとっても大きな気づきとなる出来事がありましたので紹介します。
今回の記事はそこそこ長いです。
主旨は脳梗塞の医学的なものではなく、自分の心との向き合い方になります。
僕の独白にもなり、ちょっと恥ずかしいところもありますが、僕自身かなり大きな衝撃になりましたので、誰かの参考になればいいなと思い書きました。
脳梗塞を起こしてから半年
僕が脳梗塞を起こしたのが、忘れもしない2024年の5月1日。それから半年が経った。
僕の人生にたくさんの影響を与えたはずの脳梗塞から学んだ教訓が、まだまだ活かされていないような気がしていた。
それはここ最近の心身の不調に現れていた。
今月からは半分、前の職場のお店(Y店)へと戻り、今の職場のお店(T店)を行き来する。
実はこの半年間、脳梗塞で倒れたT店の場所を通るたびに半年前の恐怖が蘇る。
これが今生とのお別れなのかも知れない。また倒れるかも知れない。
これだけの思いを経験したというのに、その恐怖や不安が克服できていない。
そして前よりも疲れやすくなってしまった。
最近の不調もまた倒れるかも知れないという恐怖が蘇ってきた。
ただ、その不調があったからこそ店長に不安を告白し、半分でも職場が変わったことは僕にとっての進展だった思う。
半分になっただけで、随分と気が楽になった。
(本当は全部変わるのを想定していたけど、縁を持った人たちが今の職場にいるので、その人たちとまだ一緒にいたい気持ちもある。僕自身は縁があってお互いが生きていれば、またいつか会えると思ってます。)
最近、北斗さんのブログやYouTubeをよくみていて、僕がもつ恐怖や不安は、『我慢』だと思えるようになってきた。
僕の心の障害になっているものが理解できて、ようやく解けてきた。だからこうやって書く気になった。
ここからは僕の解釈を交えながら書いていきたい。
『我慢』の正体とは何だろう?
日本では、我慢は美徳としても捉えられている。
しかし我慢は、自分を殺し、誰にも頼らず、甘えず、執着も依存もできない。
そこで現れてくるのは、恐怖や不安と優しさいう感情だというのが分かってきた。
恐怖や不安という感情を押し殺すために、我慢する。
優しさゆえに、気を遣って周りに気を配り、迷惑をかけない、自分よりも誰かをサポートしたい。なので我慢する。(自分で優しいというのは烏滸がましい感じがするけど)
僕の場合はさらに、自分に負けたくないという我慢があった。
自分と戦って、自分を抑圧する
怒りや悲しみという感情を抑え込んで、大人のふりして我慢する
苦手な人と向き合いたくないから我慢する
このような心のクセがあることに気がついた。
また北斗さんのブログにもある攻撃性をどこかに持っていたように思う。
強い快楽を求める
他者承認欲求が強く、特別感を欲する
自己否定や自己への攻撃性をもつ
特にメンタルが落ちてくるとこの3つが顕著になる。
人肌がすごく恋しくなったり、注目がすごく欲しくなったり、自分攻めが始まったり。
自分でもこれは本当の僕なのだろうか?と疑問に思うほどだった。
その結果、自分という存在がどこか希薄になって、自分の時間が無いと自分を取り戻せなくなってきた。
しかし我慢の正体が分かってきた。それは思い込みという幻想を見ていると感じ始めたのだ。
例えば売り場作りに専念している時に、市場からたくさんの荷物が他の部門との共有スペースに届く。
そこで僕は、自分の勝手な思い込みから、入ってきた荷物が他の部門の人の邪魔や迷惑になるかも知れないと思い込んでいた。
誰からも一度も邪魔だとか、迷惑だとか言われたこともないのに。
その結果、売り場作りを優先したいのに荷物のことも気になってしまい、そっちの優先順位も高くなって、まだやりたくない荷物の方を同時並行して進めてしまう。
勝手な自分の思い込みから、やりたい方を我慢して、やりたくないことを優先してしまった。
すると終わった後にどっと疲れてしまった。
毎日ひとりで多くの仕事を抱えていた。そのため前半で疲れてしまうと、後半の仕事が追いつかなくなって、残業や後回し、持ち越しということが頻繁に起こるようになった。
これは一例だが、似たようなことがいくつもあった。
僕の心身はいつも疲れ切っていた。
では思い込みという幻想はどこから来たのだろう。
そこを辿ると、恐怖や不安につながり始めた。
誰かの迷惑になるかも知れない。
誰かの邪魔になるかも知れない。
誰かに嫌われるかも知れない。
売り場に物が少ないとお客様に愛想を尽かされるかも知れない。
など
僕は勝手に有るかも無いかも知れない幻想を作り上げ、エネルギーを消耗していた。だからいつも疲れるのだと思った。
健康には食や住環境だけではなく、メンタルも大きく関わっていると感じる。
医学の研究であっても、プラセボ(擬似)薬が効くことがあるから、メンタルの占める割合は大きい。
ではこの幻想はどこからやってきたのか、思い当たるのは幼少期だ。
我慢を遡ったら幼少期を思い出した
僕は、一人っ子として生まれた。
周りは両親や祖父母、大人ばかりに囲まれて生活していた。
同じ年の子たちとは中々馴染めず、小学3年生くらいになるまで友達と呼べる友達はいなかったと思う。
友達になった子は精神的に落ち着いているか、年上ばかりだった。
大人に囲まれていたから、頼るのは大人しかいなかった。常に大人の顔色を伺っていた。
子供の浅はかな考えで、大人に嫌われてしまったら生きていけなくなると思っていた。
その恐怖や不安に怯えていた。
だから、大人の前では『我慢』していい子にしてきた。
小学校の三者面談で、母が僕の長所として書いたのは、『おとなしく優しい』だった。
はっきりと思い出した。
僕は我慢していい子を演じていた。
幸いにも両親の仲は円満だったから、そうじゃなかったらもっと酷いことになっていたかも知れない。
思わぬところにまで遡って答えが出てきた。その気持ちをじっくりと味わうと、幼少期の自分をハグして、頭をよしよしと撫でてあげたくなった。
自分の心と向き合ったんだなと思った。
妻にこのことを話したら、自然に涙が溢れてきた。
そうしたところ、最近不調だった右足、右肩周りの痛みが和らいできた。
どうやら『我慢』からくる『緊張』に気がついたようだった。
これでは病気になるのも納得だと思った。
こうして職場で倒れた恐怖や不安も、僕が作り上げていた有りもしない幻想だと思えてきた。
倒れたのは我慢して働き過ぎたのが一番の要因だったと思う。
脳梗塞は自分を見直して、変えるきっかけとなった良い出来事だったと、昔の自分と仲直りしよう。
自分と向き合い仲直りする
自分が自分と我慢して戦ってきたエネルギーを、誰かの役に立つエネルギーに使おう。
それが僕が進む方向だと思えてきた。
きっかけを感じたのはイス軸法®︎の体験会をしていた時だった。
イス軸法®︎を誰かに教えて、みんなが喜んでくださるのを見て、楽しい、嬉しい、やって良かったと心から思える瞬間がいくつもあった。
体験会をする前は、「誰も集まらなかったらどうしよう」とか「うまくいかなかったらどうしよう」とか、起こるか起こらないかも分からない不安に囚われた。
その不安を乗り越えて、フライヤーを作り、SNSやお店で募集をする。
最初からうまくいく人なんていない。
集まらなくてもいいから回数を重ねて、少しでもフライヤーが目に留まる機会があるなら、続けていこう。
いつしかそう考えるようになった。
体験会を始めてみると、毎回数人でも参加してくださる方が現れた。
自分が心から楽しいと思うことをして、みんなから感謝される。
この上ない喜びだった。ここに我慢は無かった。
我慢している自分に気がついて、その自分と仲直りする。
無駄に使っていたエネルギーを幻想ではなく、我慢して抑え込むのでもなく、コントロールして誰かの役に立つように使う。
暗闇から光が差し込み、新しい僕が昔の僕を暗闇から連れ出してくれるように思えた。
そして11月3日。辞令が出てから初めてT店へ出勤した。
人員が欠員してしまい忙しくなるかと思ったが、『何とかなる。なるようにしかならない』という思いの方が強くなり、仕事をするととても順調に進んでいく。
以前の僕だったら『人員が少ないから急がないと間に合わない』と考えていてバタバタしていたと思うが、開店前までにやるべきことがすんなりと終わった。
僕の中では美学として、開店前までに8割の売り場の完成度を目指していたが、『無いものは無い』『できないことは仕方ない』と開き直ってみた。それが心に余裕を生むきっかけになった。
『8割の完成度』もきっと、僕の中の我慢の一つだったのだろう。
その後は何かちょっと嫌だなと思ったことを見つめ、それはどこから来ているのだろうと俯瞰すると、心に余裕が生まれて落ち着いた。
午後からは自分一人になったが、焦ることもなく、物事が自分の無理のないペースで終わっていく。
ああ、今まで有りもしない幻想を作っては、そこに無駄なエネルギーを注ぎ込んでいたんだなと思った。
疲労度がとても少なく、我慢して頑張って仕事をしなくても良かったんだとようやく気がついた。
我慢をやめる効果は絶大だったと思う。不幸や不調は自ら作り上げていたのかも知れない。
まとめ
自分と向き合うのは大変で、めんどくさくて、苦しい思いをしますが、僕は早ければ早いほどいいと思っています。
というのも、過去にあった出来事に対して思い出して向き合う必要があるので、年齢を重ねるほど出来事が増えていくからです。
そして、自分の心の反応に気がつくだけでもラッキーだと思います。
大抵の場合は認めたくなくて反発したり、塞ぎ込んだり、逃避したり、自暴自棄になったりするからです。
自分はどんな時に心がざわつくのか、どんな時に嫌だなあと思えるのか、その大元はどこからきているのか?
歳を取って、キレる大人がいるというのを度々耳にします。その人も我慢を重ねた結果、攻撃性が出てきたのかも知れません。自分と向き合うことができれば、我慢の正体が見つかるのではないでしょうか。
出来事に対しての向き合い方は、ただ向き合うだけだとうまくいかないことがあります。
起こった出来事を映画のスクリーンやテレビに映して、それを観客席やリビングから第三者の視点で眺めてみると、客観視しやすくなります。
すると意外と、苦しかった思い出、辛かった思い出が人ごとのように思えてきます。
それをありのまま受け止めて、感覚を味わってみてください。
きっと何か分かるはずです。
僕は、人はいくつになっても成長できるのと信じています。僕もまだまだ道なかばです。
この記事が誰かの参考になれば幸いです。
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