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ギリギリ合格の苦労と特別な幸福
合格基準点の前後数点の中には、結構な割合の受験生がひしめいている。
僕自身が公開可能データを所持していないので明示は出来ないが、当時僕がこの情報を耳にした時は
「そんなに集まっとんの、こわっ。というか大学教授の問題作り上手過ぎる!」
と思ったぐらい密集している。
その事実は、大学入試が本当に接戦であることを、小さなワンミスがクッキリと明暗を分けることを、自分に出来ることを時間内にやり切るのが如何に大切かということを、まざまざと示している。
因みに、僕自身は紆余曲折を経て結果的には十数点プラスで合格した。
紆余曲折の一部については既に雑談済である。
しかし、余裕は全く感じられなかった。
例えば、二次試験の数学の配点は理学部の場合一問50点である。10点が如何に簡単にひっくり返る点数なのか理解してもらえるはずである。
ギリギリ合格をする受験生というのは、合格発表に至るまでの道中においては、正直生きた心地がしない。
強制的常在戦場状態である。凄く削られる。
受験勉強を始めた時からギリギリを目指す方はいない。
もし貴方がそれに該当しているならば、今直ぐに止めることをオススメする。
努力というのは、相当熱心にやり込んでも自分が見据えていた景色の少し下ぐらいに着地してしまう。
一般的なユルフワ努力ならば、尚の事得られる成果は少なく着地点もグンと下降する。
心が折れて努力を止めない範囲で可能な限り上を見ながら日々取り組む。
そうすれば気が付いた時には壁を越えていることもあるし、終盤に差し掛かった時に補正や妥協をする余裕も生まれやすい。
ギリギリ合格勢は、試験が近付き現状と合格の距離感が具体的に見えるにつれて、結構細い所に糸通さないとヤバい?などの気持ちが強くなってゆく。
そんな中で迎える本番でも、どこかの科目で大幅なリードを奪えてホッと出来る瞬間などはまず訪れない。凄まじいプレッシャーの中で、自分の力を出し切らないといけない。
そんな心労続きのギリギリ合格勢ではあるが、ギリギリ合格ならではの幸福ポイントが一つだけある。
それは『合格日に至る迄の努力が隅から隅まで何一つ無駄なく繋がって全て報われた』かの如き強烈な嬉しさや喜びを感じられる点である。
傾斜で入るセンター試験に向けた勉強が、二次試験終わり際での一問解き切るに至った咄嗟の判断が、本番の問題に偶然繋がった友との雑談や教師の何気ない一言が、適切な判断や時間的余裕の礎になった模試や過去問が、休み時間の最後に見た資料が、積み重ねてきた思考が。
どれか一つでも欠けていたら、数点落としていて合格に手が足りていなかったのではないかと。
合格発表の日に自分の番号が記載されていることを目にして、走馬灯のように流れてゆく記憶を振り返った時、凄まじい寒気と共に圧倒的な喜びと達成感が全身を襲い、自分に携わってくれた方々への感謝が湧き上がってくる。
これはギリギリだからこそ得られる幸福と言える。
まあ圧倒的スコアであろうとギリギリスコアであろうと、合格したことに変わりはないし達成感はある。というか前者の方が良いは良い。
それに如何なる感情を抱くかは勿論各々で異なる。
しかし僕自身の経験や情報を踏まえると『スコアが圧倒的な程安堵の気持ちが、スコアがギリギリな程純粋な喜びの気持ちが』合格時に強く湧き上がるように思う。
大学入試本番が迫ってくる中で、必死に出来ることをし続けている貴方。
気が付けば試験本番になり、今会場に座っている貴方。
ギリギリ足りないかもしれないと、自分の実力を相当完璧に出し切らないと合格出来ないかもしれないと、不安を感じている貴方。
苦しい中でも努力し続けてきたギリギリの貴方には、他の受験生の誰よりも全てが強烈に報われる合格を手にする権利がある。
歩いてきた道程全てが光輝く瞬間を、絶景を目の当たりに出来る可能性を秘めている。
試験本番が終わるまでは、前だけを見て進み続ける。
自分自身の幸運を願うのは、最後の最後にオマケ程度にやる。
貴方がやるべきことは唯一つ。
『今という瞬間からの最善を尽くせ!』
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