棋士編入試験と問題点

 先日、西山女流の棋士編入試験第五局が実施された。
 評価値こそ居飛車側に傾いている時間が長かったものの、人間的には難しく拮抗した中終盤であった本局は、対抗形の激戦と呼ぶに相応しい一局であった。
 編入試験の結果こそ残念ではあったが、素晴らしい将棋であった。本当に素晴らしかった。
 両者の健闘を讃えたい。


 勿論なのであるが、今回のような一局においても、棋士の皆さんは本気である。
 大衆の中には、今回ぐらい……とか明確に負けを祈ったりとか、酷い場合は誹謗中傷のコメントを書き込んだりする輩もいた。
 残念ながら、目先の現象ばかりを見て、本質が全く見えていないと言わざるを得ない。
 当然本気で臨む理由は沢山あるし、棋士によっても異なるとは思うが、今回は主だった大切な理由を一つ取り上げる。

 仮に今回手加減や八百長をしてしまうと、これから先の数多の真剣勝負全てに疑惑が生じてしまう。折角の真剣勝負が雑念によってボヤケてしまう。
 目先の一局と本気で向き合わなければ、結果的に将棋界の過去も未来も汚してしまう。
 そうなってしまった時の被害は様々な形で表出し、影響の大きさは計り知れない。
 それを棋士の皆さんは分かっているので、目の前の一局と真剣に向き合っているのである。

 尚、蛇足ではあるが、見る人が見れば内容や動作的にも気が付けてしまう。
 昔のラフだった頃とは異なり、今や映像も解析ツールも広く公開されプロとトップアマの棋力差も少しずつ狭くなっている。
 多角的な多数の視点で分析されれば、簡単にバレてしまう。


 さて本局に伴って話題に上がったのは、編入試験制度の見直しである。
 将棋連盟や所属棋士の為に制度をより良くしようと見直す姿勢は非常に良いことである。
 しかし見直しを大衆に促されたから突貫でやろうとしているのであれば、一度落ち着いた方が良い。
 そして大衆には反省をしてほしい。

 例えば「新四段が悪役になっているから変えた方が良い」と発言している大衆は、見当違いである。
 何故なら試験官は何も悪いことをしていないのだから。にも関わらず、物事の本質が見えない愚者が勝手に叩いてるだけなのである。
 試験官は悪役ではないし悪役になってもいない。勝手に悪役に仕立て上げている無能大衆がいるだけである。

 そして今回の場合、試験制度や試験関係者が特別何か悪いのではなく、受け手である愚者が悪い。
 従って、それらを全員塵にすることが、一番妥当で綺麗サッパリ解決する方法である。
 しかし実際問題として、大衆の方を遍く変化させるのは無理難題である。人間が説明して理解し伝わるようならばこんな悲惨な社会にはなっていない。
 だから仕方なく自分達の方を変えようとしているのである。そして今の制度という選択肢を愚者によって放棄させられかけている。

「試験官が悪役になっている」のではなく「試験官が勝手に悪役に見られてしまっている」のである。
 そして自発的改善の変化ではなく、大衆によってまた一つ自由を剥奪されたが故の受動的変化である。
 この二点ぐらいは最低限踏まえた上で発言してほしい。

 今回は少しでも分かり易いように具体的な発言を一つ取り上げた。
 使っている言葉が少し違うだけで細かな差やんと思う貴方は要注意である。
 これは問題の表層か核心のどちらを意識して発言しているのかが明確に分かる大きな差なのである。
 愚者程ではないが、反省して今後は有意義な発言を心掛けてほしい。そして愚者に惑わされることなく、物事の本質を見てほしい。


 この世界で活動している限り、受け手には人間だけではなく、大衆も無能大衆も腐る程存在する。
 大量に間引こうという発想を持った人間が動かない限り、その点は変わらない。
 そして大衆側を根本的に変えて思考出来る人間に到達させるのは至難の業であるから、愚者の数の暴力に押され諦めた提供側が苦労を強いられて、出来ることや選択肢の自由がドンドンと無くなってゆく中で工夫をしたり面倒になって辞めてしまったりする。
 人間は勿論損をしている。そして巡り巡って大衆達も損をしている。

 この流れを根本から変えることはもう出来ないかもしれない。
 しかし誰かが発言し続けなければ、本当に全く変わらない。
 だから僕は、例え一人でも大衆が人間になってくれることを願って、雑談し続ける。

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レインドラゴの雑談部屋
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