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    mogicommu。もぎこのツイッターでは書ききれないコトコト煮込み。文章はアートだ。

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人と人との繋がり方。長く付き合える推しに出会えるコミュニティとそうじゃないときの違い

どうも。もぎこです。 人と人との繋がり方について 社会人になると、よく「人との出会いなんて無くなるから」なんて言われる。でも、実際には出会いなんていくらでも転がってるんだよね。 中心街に住んでる人は、職場と家との往復だってその間に通勤仲間とすれ違っているし、勤め先や取引先の人間。 現実で出会うことがなくても、今はインターネットが日本中どころか、世界中に繋がってる。 私は学生の頃は、学校でも友達はいたし、ネット友達が他県にも、海外にもいた。ネットなら、それぞれの生活時

        • 「コピーを取ってこい」と指示だけするより、この面をこうして、ホッチキスはここに留めてと、行動を見せるほうが能力は爆上がりする

          いわゆる天才と呼ばれる人種は、自分でやる分には完成度や再現性は高いが、相手へ教えるのは得意ではない。 それもそのはず、教えるための  言語化は高度な技だから、である。 例えば自分の再現性でいうと、喉が乾いたから目の前の麦茶に手を伸ばし、そして飲む、という行為はたいていの人間にはさほど難しいことではない。 自分の体を、自分の脳が思う通りに動かすだけだから。 まったく同じ行動を「身長も体重も異なる」「指の形も異なる」他人が100%精密に再現するとなると、難しい。 たとえ

        • 人と人との繋がり方。長く付き合える推しに出会えるコミュニティとそうじゃないときの違い

        • 「コピーを取ってこい」と指示だけするより、この面をこうして、ホッチキスはここに留めてと、行動を見せるほうが能力は爆上がりする

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          6本

        記事

          スナックCANDY姫路

          スナックCANDY姫路

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          食べものたち

          食べものたち

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          「楽しいは最強」である。行動原理で生きる糧。褒められるより、楽しく生きたい。

          7つの習慣を学んでから「才能の正体」を読むと楽しい。7つの習慣に通ずることが多く、そして本自体が本質的なことを書いていて、とても読み応えが、読んだ後の充実感がすごい。 第二の習慣:終わりを思い描くというものがある。 自分のお葬式を迎えるときに、どんな言葉を参列者に掛けてもらって終わりを迎えたいか、を思い描きながら、そのゴールに向かって指標を立てて生きる、というイメージ たとえばマラソン42.195kmを走るとする。 そのとき、なんのために走るのか。 速く走りたいから

          「楽しいは最強」である。行動原理で生きる糧。褒められるより、楽しく生きたい。

          室伏利晃のすごいところ。一番の被害者は、一番の役得である。

          実家ででてくるカレーライスが、いつも自宅で揚げたばかりのとんかつがトッピングされているカツカレーでした。 今思い返すと、カレーも一から作って、とんかつも揚げて、食べた後は油の処理までして、、だったので、けっこうな所業だったのだと驚愕しています。 2018.8月から室伏利晃(ムロさん)の運営するオンラインサロンが始まり、そのオンラインサロンでマネージャーの役職を立候補して、約1年半が経ちました。 https://community.camp-fire.jp/project

          室伏利晃のすごいところ。一番の被害者は、一番の役得である。

          制服は身分を証明するものだが、善良さを表すものではない。ピザを頼む側とピザを配達する側のちがい

          現在、お香を焚き、フットマッサージ機にもみもみされながら文章を書いている。 コロナで岩盤浴にいけなくなってしまったから、フットマッサージ機はその代用品なのである。 インプットした情報から生まれたなにかを、ツイッターでは書ききれなくなったので、noteでコトコト煮込んで提供していく。 ひろゆきが言っていた話で 「ピザ屋のバイトで面白かったのは、ピザ屋の制服を着ていると、どこの建物をウロウロしていても咎められることがないことだ。」 ということで、制服を着ていれば住人は「マン

          制服は身分を証明するものだが、善良さを表すものではない。ピザを頼む側とピザを配達する側のちがい

          現状維持はあり得ない。その上で、今いるコミュニティをアップデートしていくのか、それともアンインストールされていくのか

          「深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いているのだ」なんてことはあるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。 「深淵を覗くとき、深淵を覗いているだけなのだ」のほうがどことなくしっくり来ている。 本は多読や速読することで突然かしこさが+1上がるなんてことはなくて、インプットした情報を深掘りして、アウトプットすることで血肉となる的なことを、奢られてる人や賢い人が言っていた。 今日は、メガネチェーン店OWNDAYSの社長、田中修治さんの新著「大きな嘘の木の下で」を読んで感じた

          現状維持はあり得ない。その上で、今いるコミュニティをアップデートしていくのか、それともアンインストールされていくのか