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大好物は、あなたとともに
余生を楽しむ静かな夫婦
とある、老夫婦のお宅へ訪問していたときの話だ。夫婦にはお子さんは3人いたが、皆それぞれ家庭を築き、家を離れていたために、2人で余生を楽しんでいた。
10歳ほどの年の差結婚で、奥様は上品で美しい方だった。舞踊を習っているとのことで、身のこなしも優雅だった。
私が訪問していたのはそのご主人。失語症だった。脳梗塞により、ことばに障害を負い、さらに右片麻痺もあったため、自力での生活は難しかった。奥様はそんなご主人を、献身的に介護していた。
ことばの障害に加えて嚥下障害もあり、食事中にたびたびむせ込んでおり、いつ誤嚥性肺炎を起こしてもおかしくない、そんな状態であった。
食事中のムセが目立つようになり嚥下訓練を、ということで、言語聴覚士による訪問がスタートした。
ご主人は失語症もあり、なかなかことばを話せなかった。そしてたぶん”昔ながらのお父さん”であり、もともと寡黙な部分もあるのだろう。そんなことばの少ない様子に、奥様は別段気にする様子もなく、静かに穏やかに支えていた。
訪問リハが始まって最初は、能力の評価などが中心だったが、ある日、昼食の時間に合わせて訪問することになった。実際の食事場面の評価が最も効果的だからだ。
そして、初めての昼食評価の日。私は度肝を抜かれた。
「これが主人の大好物なんです」と言って用意されたご飯が「焼きビーフン」だった。更にいうと麺はすべて1センチ程度の短さにカットされた、いわゆる「粗刻み食」の状態だった。
食べにくい食事、食べやすい食事
嚥下障害のある方にとって、パサパサするものやモソモソするものは非常に食べにくいとされる。粒が口の中でばらけてしまい、その粒がランダムに喉に入り込むために、飲み込むタイミングが計れずにむせるのだ。
焼きビーフンという料理自体が、麺と卵と野菜とでそれぞれがバラけやすく、ソレをさらに粗く刻んであるというのだから、それはそれはむせやすくなっていた。
奥様が普段の食事介助のペースで、その焼きビーフンをご主人の口に運ぶ。やはりむせる。1口食べて、ボロボロと口からこぼれ落ちながら、しばらくしてむせる。ときには口の中にあったビーフンが、咳ととともに飛び散る。
それでも奥様は慌てる様子はなく、穏やかに「困ったわねぇ」というような、やや温かいとも取れる表情でご主人を見つめている。
もちろん食事内容の見直しをすることになるのだが、奥様はすんなりと受け入れ日々指導をうけたとおりに調理内容を変えてくださった。
トイレもお風呂も
脳梗塞後遺症による右片麻痺があったため、歩きなどの動作にも大きな影響が見られていた。自力での移動ができないため、基本的には車椅子を使って移動。トイレのみ手すりや動線を工夫したことで付添で移動ができいていた。
奥様は、「トイレにいけなくなったら自宅での介護は難しいですね」とおっしゃっており、理学療法士による訪問リハは、主にトイレへの移動能力の維持を目標にしていた。
ご主人も努力家で、黙々と日々のトレーニングをこなし、奥様の作る手料理をむせながらも食べていた。
時間の流れは残酷で
脳梗塞発症も70歳をとっくに過ぎており、いくら日々トレーニングをこなしていても、年齢には逆らえない部分も出てくるものだ。
徐々にトイレへの移動も「いつ転倒するか」と心配になる状態になってきた。嚥下状態も決して問題なしとは言えない状態であり、常に配慮が必要であった。通所施設での食事ではむせることが増え、移動はほぼ車椅子を使用することになった。
そろそろ入所かもしれない。
だれもがそれを頭の片隅に浮かべるようになった。奥様も「入所も検討しています」とおっしゃっていた。介護度が重くなり、介助量が増えることで、奥様の負担が大きいのは見て取れる。10歳の年の差夫婦とは言え、奥様も70歳近いため、介護という肉体労働は大変だ。舞踊を習うなど社交的な奥様には、自分の時間を作るためにも、ご主人の”入所”という選択はある意味当然だろう。
ある訪問の際に、入所についての話題が出た。その時の奥様のことばはこうだった。
「入所を申し込もうと思います。私も一緒に入れるところを探します。」
夫婦の人生、わたしの人生、あなたの人生
実際要介護5のご主人と、まだまだ元気な奥様とが同時に入所できる場所を探すことは至難の業だ。
しかし、迷いなく「一緒に入りますよ」と言われた奥様の堂々とした様子と、それを寡黙ながら微笑んで聞いているご主人との空気が、なんとも言えない暖かさを生み出していた。
どんどん介護量が増えるご主人と、無理なく生きていく方法。
どんな選択が正解というわけではない。どの夫婦にも、それぞれの生活の中で選べば良い。どんな選択を取ろうとも、人は”迷い”があることが普通だ。しかしこの夫婦にはそんな迷いは微塵もなく、むしろ一緒に入所すること以外のどんな選択肢があるの?と聞かれるようなそぶりだった。
何歳になってもそれぞれの人生がある。
夫婦の結婚や、子どもの巣立ち、パートナーの病気や別れなど、いくつもの分岐点の中で、それぞれ夫婦としての選択をしたり個人としての選択を繰り返していくのが人生だ。
このご夫婦が最期どうなったかは、また別の機会に触れようと思う。
ただひとつ言えるのは、ご主人の好物だった焼きビーフンを、その後も一緒に楽しんでいた、とだけ加筆する。
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