【不登校 大学院】先生のことをお話します 自分史13
これは、親に内緒で学校を休み、自分が何をしていきていくのか
考えてたときのお話。
こんにちは٩( 'ω' )و
今回は前回に続いて自分史をお話しますー。
後にアカハラと言われるような扱いを受けていて鬱になった僕がどうなったのかというお話ですね。
親には言わずに不登校になってました。
その間両親はもちろん仕事をしていて、当時は
「今日は授業が休講になったから10時くらいから学校」とか言って家にいました。
両親が家を出てから家でお弁当を電子レンジで温めて食べたりしていたのを覚えてます。
ただ、親が帰りそうな時間帯には家を出て、どこかに行っていたと思います。
最初はそれこそスクールカウンセラーに行ってましたね。
いろいろゼミ発表のことを話してました。
スクールカウンセラーは学校に行かせるためのサポート。僕は休みたかったんだけどね。
スクールカウンセラーの人はどうにかして僕が研究室に戻れるように考えてくれていたのですが
僕自身はもう大学院は「休学」して将来のことを考える時間にしたいと思っていました。
なので、お互いの目指しているところが違うので、スクールカウンセラーの方にも行かないようになりました。
不登校2日目くらいに早速父に遭遇www
そんな僕は2日目は本屋さんに行くことにしました。
本でも読もうと思って、博多駅の大きな本屋さんに向かうことにします。
なので、最寄り駅まで自転車で行って、自転車を停めて駅に向かう途中で
父に遭遇しました(´。ω゜)ヒィ
父は最寄り駅の近くに事務所を会社の方で借りていて、そこで仕事をしていました。
なので偶然歩いているところで会ったんですよねww
僕は慌てて「今日は研究室おやすみだから博多駅に本を買いに行く」と
半分ウソ半分ホントみたいなことを言ってましたねw
まぁ父は気づいたかどうかはわかりませんが
「そうね。気をつけてね」と言ってくれました。
その父の優しさがけっこう心に響いてます。
そんなこんなで博多駅に到着しまして
本屋でなんとなく本を物色。
「天職」がわかる心理学 いまの仕事で心が満たされていますか?
という本を見つけて買うことにしました。
いい感じの内容の本で、この本の考え方で自分がどういう働き方をしようか考えるようになりました。
ストレス経費という言葉が印象的でした。
結局のところ「稼ぎがよくても、ストレス発散で買い物とか遊びに使ってたら実質貧乏だよね」ってことと
「稼いでる額が少なくても、ストレスない仕事だったらストレス発散のお金がかからないからお金は貯まる」ということですね。
それで自分がストレスなく働ける内容ってなにかなと考えるようにはなりました。
ストレスを感じながら我慢して生活するのは自分は続かないことにも気づいた
大学院生活がストレスを感じるけど、稼ぎがいい仕事に「つながっている」ことではありました。
でもお金を払ってこんな生活はしたくないので不登校になったんですけどねww
誰かにわかりやすくなにかを教えることが自分に残った能力でした。
そんな僕がたどり着いた答えは「教える」こと。
高校時代の友達からの評価も
大学時代のパソコン講座のスタッフ時代も
わかりやすさで評価されていたので(`・ω・´)
でも塾講師は初日でクビになっているので(上記のnote参照)
けっこう腹をくくって塾のバイトをすることになります。
大学院の学園祭で子供たちに説明するのが楽しかった
大学院に通っているときに大学院の学園祭があって、
子どもたちに「鉛筆回路」の実験をするのが
うちの研究室のテーマでした。
このサイトに書いてあるような実験ですね(`・ω・´)
このときに先輩からも「子供の相手をするのがうまいね」とは褒められていたのを思い出しました。
学校に行ってないことは教授からの留守番電話で親にバレました。
1週間くらい近くの図書館などで買った本を読みながら親の目を避けて生活をしていたのですが
案の定親にバレることになりました。
准教授ではなく、教授の方が留守番電話を残してくれていたようで
研究室でこういうことがあったよって話をすることになりました。
僕は大学院にいきたくないことを伝えました。
母と姉は反対。「大学院も卒業できないやつが社会で生きていけるわけない」とのこと
まぁそれが結構心に刺さっていて、僕としては
もう絶対研究室には戻らない、と決めていたので、
それは僕にとって死ねと言ってるのと同じでした(´・ω・`)
でも意地でも行かないことだけは言ってました。
まぁ僕が精神的におかしくなっていたので、途中で見逃してはくれましたけどね。
そんな中、父は僕のことは否定しませんでした。
父は僕がいろいろ准教授につらい思いをさせられていることに対しては同情してくれました。
父のおかげで現世に留まることができたのでしょう。
もしいなかったら通帳に残った7000円で県外に逃げて誰かに寄生虫のようにしていたかもしれません。
まぁ長くは続かないでしょうww
そういうことにはならなかったのですが、
本を読んで塾でバイトしようと思っていたので、
早々に塾のバイトに応募、最初に連絡が来た塾にバイトで行くことになります。
その前に一旦休学をすることにしたので、
精神科に通って診断書を書いてもらって、それを持って大学院の事務へ行き
休学をすることにしました。
塾のバイトの採用のためのペーパーテストに解説を書く男
僕は採用のためのペーパーテストで答案じゃなくて、解説を書いていたからか、
採点するまでもなく担当の方から「あなたは採用します」って言われました。
後に気づいたのですが、その先生は授業コンテストでも優勝するくらいの先生で、
福岡の中では相当パワーのある先生だったそうです。
僕はそんな方の面接にスーツを着ていきませんでしたwww
ユニクロの白のシャツにユニクロのネクタイにカーディガンでした。なんでこんなやつが受かってんだよww
今は採用の倍率が10倍くらいあるらしいっすよ(´。ω゜)
もちろん採用後の連絡では「スーツでお願いします」とのこと(アタリマエダヨナァ?)
父の持ってる半袖のワイシャツとかそういうのを借りて塾のバイトスタートです。
初日クビを経験しているので怖いものがなく再挑戦した塾講師
大学生時代は真面目に授業をしていましたし、気を使って話をしていましたが、
もう好き勝手してやろうくらいの気持ちで行ってました。
まぁ初日はそこそこ叱られましたけどねw
授業形式は、動画を観ている生徒の質問対応や
こちらから進捗や理解度を質問して確認したりなどです。
個別指導ではなく、生徒それぞれ別の科目、授業を受けていたので
予習をするというより、その時その時でその問題に対して
しっかり質問対応ができる能力が求められてました。
実際塾講師のバイトで難易度が高いタイプだと思います。
ちなみに最初の叱られた内容は
・声がデカイ
・生徒を煽るw
→「え?一次関数の公式をご存知ない?!」「はぁい~?↑(´。ω゜)?」とか言う
→結果生徒爆笑
→緊張感なしwww
などなど…
数え上げるとキリはないですが
最初は波乱のスタートでしたねwww
ただ、入った塾の生徒がもともとずっとおしゃべりしたり声がデカかったりで
だいぶクラスの治安は悪かったですねww
でも塾に来る生徒も生徒で色々悩んでいるのはわかりました。
親が高学歴だから自分にもそれを求めてきて怒られたりするのが辛い子や
成績は良いけど、勉強は好きじゃない。でも周りはもっと上の偏差値の高校を受験するように勧めてきたりして嫌だ。
などなど。
僕自身がつい最近まで大学院に行って学歴にこだわって悲しい思いをしているだけに
彼らとはいろいろ話が合いましたね。
僕が偏差値の高い高校をすすめることはあまりありませんでしたが
強いて言うなら
面白い人と出会って面白い話をしたり、
趣味でもなんでも普通以上に熱中したり、そういう奥深くにいきたかったら
頭のいい学校に行ったほうが、そういう人に出会える
「確率」はあがるよ
ということだけは言っていました。
僕の大学院の同級生は
奨学金で風俗に行くような方々でしたwww
まぁそれもいいんじゃね?って感じでしたが、
僕は実家暮らしで奨学金はなかったですし
逆にお小遣いもなかったので
飲みに行くお金すらなかったですね(´。ω゜)ww
そんなこんなで塾講師を続けていたら今度は個別指導が始まりました。
入って5ヶ月くらいしたタイミングで個別指導も始まることになり
僕はそこで最初の生徒で30点くらい点数を上げることになります。
もともと29点だった子が最終的には2回のテストで80点以上になったので
合計で50点くらい上げました。
科目は英語でしたね。
そのときにやっと自分が教えるのがうまいことが社会的にも証明された気がして、
それからは結構自信が付きました。
大学時代に初日に首になったのは不幸な事故だったとわりきることもできました。
最初の講師アンケートで福岡のトップ5人くらいには入れたので
図書カードをたくさんもらいました。
相変わらず生徒とは会話でコントをしているかのような授業をしていたのですが
それが評価されましたし、そういう僕のことが気に入って、授業をお願いする生徒もいたそうです。
個性がかなり出ていたので、好き嫌いはあるでしょうけど、
それでも好きと思ってくれる子供達が多かったので
生徒はたくさんみていました。
個別指導では今では高校生も教えるようにはなりましたが、
最初はここの塾でいろいろ高校3年生の受験対策もするようになりました。
おかげさまでかなり経験値を稼ぐこともできたので
今のオンライン先生にもつながっているのかなと思います。
というわけで今回は以上になります。
ここからは先生が塾でバイトしながら独立をする経緯にも触れていくことになるのかなと思います。
ここまではあくまで普通の先生としてですが、
ここからはゲーマーであった自分の過去がつながってくるお話になります。
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