「よく見る」の やり方
自然観察に限りませんが、なにか興味が湧いたものが出てきたら、それが目に見えるものなら間違いなく最初にそれをよく見ることからおっ始めるのが人間の常でしょう。「よく見る」のは人間に限ったことでもなくて、ウチの飼い犬も庭になんかヘンなものが来たりすると、その近くに駆け寄って行って、そいつをよく見ようとします。だから観察とは言い換えると「よく見る」をしましょう!ということになるんですね。
この「よく見る」という言葉は、すごく普段使いしているありふれた言葉なので、そこを深く考えたりはふつうしないですね。
たとえば子どもの手を引いた大人が横断歩道で「左右をよく見てね」と言ったりする場面なんかでも使われますね。このときには右見て左見てそこに車がいないかどうかを見るのですが、観察する場合もそれに似ているにはいます。
よく見たので花に蝶がとまっているのが見つかった!とかがそんな感じの「よく見る」です。こういうのは子どもの方が得意で、大人は他に注意が行っているのかなんか知らないけど、花に蝶がとまっていても全然気が付かずに見つけられないんですね。それを子どもは目ざとく見つけて「あれは何ていう蝶なの?」とか大人に聞くんです。
こういう子ども目線の興味に支えられた「よく見る」が第一歩だろうと思います。大人はそう子どもに言われて蝶に気づき「あー、ありゃアゲハだろう」と自分の頭の中にある知っているイメージの中から見た蝶に似たのを探して、アゲハだと言うんです。大人の方が一旦見べきものがハッキリするとさすがに経験豊富なので、自分の頭で何とかできなければスマホで探して「やっぱし、アゲハの一種じゃないかな??」と子どもに教えようとするんだけど、子どももアゲハは知っているから「なんだか胴体がそれにしちゃ太いよ、おかしいよ!」と、すぐさま違いに気づくわけなんですね。
こういう一連の「よく見る」の試行錯誤中に、「よく見る」をどうやってんの?と考えると、たぶんそれは「探して」→「比べて」→「気づいて」→「また探して」→「他のとも比べて」→「別のことも気づいて」・・・と満足するか飽きるまで繰り返すのが「よく見る」ことだと言えるんじゃないかなぁ、と思うわけなんです。
私は海外旅行が好きです。海外に行くと異文化が見られて体験もできるのが面白いのです。こういう場合もよく外国の街や人を眺めていると日本のそれと比べて違うことに気づいて、他の人もみんなここの国ではそうしているのだろうか??と、また見始めるんです。こんなことしながら街を眺めるとほんとうに飽きないでいられます。
今やっている小学生の自然観察授業でもそんなふうに飽きずに観察をする子が現れないかと期待していまして、でも小学生にあまり理屈っぽいこと言ってもピンと来てくれないから、なんとか「よく見る」のやり方を体得してもらいたいなぁ、と試行錯誤中です。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?