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リタイア適齢期を探るための「還暦前後の比較」メモ

たぶん家計的には70歳代まで勤めて働いた方がベターなんだろう。

「年金だけでは暮らせない」論がネットにテレビにたくさん流されているけど、それって一般的にはとか平均的にはのはなしではないだろうか?もし平均でのはなしなら「年金だけで暮らせる家庭」は全世帯の半分あることになる。

もしそうなら、家計以外のことも含めてリタイア適齢期を考えた方がいいのではないか?

そのようなことをアタマに置いて健康面と自分を取り巻く家庭の状況から、リタイア開始は世間の思うよりも早くする方がベターなのではないか、ということをnoteします。

60歳という「還暦」を境にして健康も家族の状態も分水嶺を超えるように流れが変わってしまう

私の50歳代を今(私の今は63歳)思い出すと、行動力が豊富にあり、体力も健康もそれなりに備わった時代だった。会社員生活を52歳で辞める決心をしたあと、起業を目指してセミナーに何度も足を運び、WEBサイトをいくつも立ち上げ、田舎の町内会に協力して町興しにも参画した。

個人活動では本の出版を成し遂げることも頻繁な株式投資やFXでそれなりの利益も得られた。利益と言ってもサラリーマン現役時代と比べるととても低いけどそれでも最盛期には起業と投資合計で年に200万円前後は何も無いところから稼ぎ出すことができた。そんな馬力があった時代が50歳代。

そんな50歳代中ごろのある日、故郷の隣家に住むもうすぐ70歳の、かなり元気で若見えする友人と飲んだときにこんなはなしを聞かされた。

彼が言うには「60歳になると今までしなかったような重い病気にかかるし、スタスタと歩けなくなる」

それから5年以上が過ぎ、その彼とはもう会って飲むことはできなくなってしまったのだが、彼の言った還暦前後の変化は、こんどは自分自身の番になって来たような既視感に見舞われている。まさに彼が言ったことが予言だったように。

自分の健康レベルが階段を一段降りるように下がってしまう

テレビCMでもお馴染みの膝の痛みや目のぼやけなどがその代表格なんだけど、ほんとうにこれらが自分の身に出現した後の世界感は、思う以上にやる気をそがれるものがある。道路を走って渡ると膝がポキポキと鳴って、車が迫るのに走り切ることができない。パソコン画面の文字は夕暮れになると必ず極端に見えなくなってしまう。

こんなこと、と思われるかもしれないけど、やはりわが身にそれが起きると笑いごとではなくなってしまう。それが60歳代。

親の介護も自身の還暦あたりから始まる、あるいは負担が増す

私の場合はすでに親は他界してしまい、親の介護に係わることは無かったのだけど、知人や友人の多くが彼らのアラ還に親の介護が必要になりはじめた。それで今まで私とも一緒にやってきたビジネスやボラ活動を休止して介護に専念するようになってきた。そんな人がずいぶん私の知人・友人にいるようになった。

介護は人による。しかし60歳代になった友人の彼らが毎週とか一日交替で家族協力しながら親の介護を続け話を最近聞かされる。そういことから、どうも親が90歳前になる頃から介護の負担が大きくなるように思えてならない。

親が90歳なら30歳で子どもを産んだとしたら、その子どもは60歳ということになる。だから60歳になったら親の介護が本格的になりそうだという仮説は当たらずと言えと遠からずに思える。

孫という存在がお目見えするのも還暦前後になるだろう

孫の誕生は。それはそれは目出度いことであるけど、負担という意味では劇増になり得る可能性をはらんでいる。と言える。

孫ができるとお世話が必要になり、そろそろ定年となったお爺さんお婆さん家庭は、そのお世話を積極的に買って出る立場になる頃が還暦という節目とほぼ一致してくる。

自身もそうなんだけどこの世代の「お世話役」はだいたいお婆さんが担当することが定番で、お爺さんはまだ会社でお仕事に、という具合に桃太郎話のように分担で進んでいく。今の還暦の人はまだまだ伝統的な生き方をしていると思う。

しかし、お婆さんとてもう還暦なのだ。体力だって限界があるし、自分で車を運転して離れて暮らす子ども夫婦の家に孫のお世話に毎日通うことも実際問題困難だ。前々から予定されていたお世話の一日二日はできるとしても「今日これから何とかならない!」というお知らせが舞い込む。

子どもは突然熱を出し、かといって親は共稼ぎで急に会社を休むことはそう簡単ではない現状がまだ日本には色濃く残っている。

「何とかならない!?」孫の親からこうしたSOSの電話やLINEが突然来ることは珍しいことではない。その度に切羽詰まった状況なので孫のお世話に万難を排して駆けつけたい。きっとそんな気持ちにさせられるだろう。

もちろんそうすることがマストではないが、何とか可能であれば孫のために、共稼ぎする両親のために、お爺さんとお婆さんが力を合わせて駆けつけることは良い選択肢だと私は思う。

こんなことを数えだすともっとあるけど、要するに還暦過ぎたらリタイア適齢期に差し掛かるよね!と見ていいのでは

その先に会社勤めを続けることに否定も反対もしない。それに「リタイア」と前述したけど世の中は「会社勤めかリタイアか」みたいに二者択一ではない。

今までのようにバリバリ仕事だけに向かうことから少し距離を置く暮らし方に変え始めてもいいのでは?

でもお金も気になるよね。

まず本当に年金だけで暮らせないのかどうか調べてみたら?

実際にどうするかは、今まで暮らしてつけて来た「家計簿」を読み返すことがいいと思う。

今までの家計簿は会社員時代の暮らしの記録だから、たぶんこのままの数字が年金生活後まで引っ張られたら「やっぱり年金だけでは暮らせない」と結論出るのは目に見えている。

しかし「付き合い費」などは会社を辞めたらほぼ不要になってしまう。さらに昼飯は家ご飯になり、夜に飲み干すビールの量も会社を辞めたら確実に減るというか、なぜか会社を辞めたらビールが美味しくなくなるから酒代は減るだろう。

まあ節約ネタはいろいろあるけど、

実はこうしたことは枝葉末節なんだ

もっと大きな家計の効果は価値観の様変わりにある。

会社員時代にはなーんとなく大きな車しか買う気がなかったけど会社を辞めてみたら車を持たなくていいじゃないか!に気が付いたとか。

家のリフォームは工務店にお願いするしかアイデアが無かったものが、自分でDIYでやってみるとか、こうした価値観の変化は会社という特殊な世界を離れて冷静になってみるといくつも出てくることが分かる。

もし還暦前なら、前述のように健康も気力もまだ上の位置づけだから自分自身でやってのけられる

その結果、生活の様式が会社員時代とガラッと変わり、ある日家計簿をまた読み返すと年金だけでも生活可能じゃないか!?と思う日が来る。

来ることがある、と控えめに言った方がいいかもしれないが。

リタイアなんてしなくてもいい、しかし毎日勤めることは果たして良いことか?

それは私にはよくわからない。

私自身はもう52歳から会社勤めしていないので、今更会社勤めした方が良いと思える感覚がまったく無いにまで慣れ切った生活様式になった。

だから「毎日勤めなくてもいいでしょ」と言えるけど、それが「感覚的に」多くの人に「そうだ」と受け止められるのかを思うと、そうではなんだか無理そうだと感じている。なぜなら多くの人の自分史にそんな前例が無いからだ。

そういう私も70歳になったら「完全リタイア」だろうな?と考えるのだが
完全リタイアしてしまった自分にはもはや毎日をいかに過ごすか?今は想像もできないというのが現実の感覚だ。

毎日テレビだけ眺めて、ときどき散歩して、必要なときに買い物に出て、それだけで本当に満足な70歳代を送れるのかどうか、すごく疑問だが、とにかく私は52歳で会社を辞め、その後にいろいろと「アレもやりーの、コレも手を付けーの」をやってきたので、どう暮らしていけばいいのか想像できない時期を70歳にまで引っ張り伸ばせたとは思う。

きっと会社をこれからいつ辞めようかと考える人にも似たような意識があるのかもしれない

60歳代はまだ健康寿命にも遠いし、アタマの回転はまだ高速域を保っているはずだ。

だから昔流に言えば「もう一旗揚げる」ことは可能なのが還暦あたりと考えていいのでは?と思う。ただ一旗揚げるにしてもハードルの位置はだいぶ控えめにした方がいい。なにしろ上述したように自身の健康や家族の状況がけっこう変わってくるのが還暦前後だから。

そこは留意して取り掛かった方が良さそうに思う。


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