
自己紹介・140年続く人形屋がNoteをはじめた理由
自己紹介です。
名古屋市に店を構える明治十五年創業の節句人形専門店〈大西人形本店〉の五代目、大西嘉彦と申します。
昭和57年生まれ、名古屋で生まれ名古屋で育ちました。南山大学人類文化学科卒業後は御座候という大判焼きの会社に就職し(名古屋勤務)、2011年に家業である人形店を継ぐことを決め、現在に至ります。
日本文化が好きで、職人の手仕事も好き。
そんな人形屋の仕事内容。
・正月飾り・雛人形・五月人形の販売事業
・市内各施設様での節句飾りの貸し出し、講演、イベントなどコーディネート事業
・破魔弓・貝合せなどの職人仕事
政治も商売も〈ワンイシュー〉が強みをもつ時代にどうしてこれほど職務内容が多岐なのでしょう。日夜、自問自答しています。自分が「楽しいそう」と感じたことには正直に生きたいという気持ちはあります。





きっかけは入社3年を過ぎたころから
入社してしばらく(2011~2015年頃)は実はそれなりに名古屋の景気も良く、新しい風を吹き込んでやろうと思っていました。ただ、3年を過ぎたくらいから「あれ?このままだとやばくない?」と思い始める自分が出てきます。それは、この頃から下請けの職人さんや、重要取引先様が相次いで廃業(倒産ではなく)し始めたのです。このままいくと、職人も素材もこの世界から失われ、自社だけではなく業界、文化ともに力を失うと。
※その後(2020から)の大変さはいうまでもありません。
自分も取引先を抱える職人仕事をしているので、よく分かることがあります。職人だけ残っても、この業界は絶対に成立しません。取引先様を大切にしなければ、製造量も、下請けをされる方々の仕事も維持できませんし、文化人(茶道、華道などに携わる方)がいなければ文化水準も低下します。寡占では成り立たず、伝えなければつながらない文化だということに、何度も気付かされます。そして、扱うものは極力、専門の職人につくらせなければなりません。
そんなわけで、イベントを催したり文化施設さまでの飾り付け協力を申し出たり、職人の商品開発を手伝ったり。仕事だけがどんどんが増えていくことに。ほとんど持ち出しでやっています。
でも、色々な人と接するのはめちゃくちゃ楽しいことなので。諸先輩方にはしょっちゅう怒られていますけど、「ごめんなさい。また教えてください!」という思いで日夜取り組んでいます。ネットでは分からないことって世の中にたくさんあって、人それぞれに専門分野ってありますよね?そんな人達とのつながりを感じながら、私が経験したことをこちらに書いていきたいと思っています。
それと、中日新聞PLUS「達人に訊け」でも記事投稿してきましたので、3月まではそちらもご覧いただければ幸いです。
長くなりましたが、どうぞよろしくお願いいたします。
