わたしのこれから
自分もいつか老人になるんだなあと、漠然と感じたできごとが二つある。どちらも30代後半のことだ。
親戚の葬儀で10年ぶりくらいに会った叔母(父の妹)が、私の頬を両手で挟んで、「歳をとってくると楽しいことがだんだん減って、楽しくないことが増えてくる」というようなことを言った。叔母は当時50代半ばくらいだった。
兄弟親戚はみんな関東や東北に住んでいるのに、叔母は一人だけ関西に嫁いでいた。私が子供の頃、夏休みに息子二人を連れて彼女の実家である私の家に遊びに来た。そのとき、笑いながら「頭に十円ハゲができたんよ」と言ったことがあった。いつも朗らかな人だったが、口には出さない苦労があるんだろうなということは、幼い頃からなんとなく感じていた。
滅多に会えないその叔母が久しぶりに葬式で会ったときにそんなことを言ったので印象に残った。「そうか、歳をとるとだんだん楽しいことが少なくなっていくのか。」
もうひとつはテレビのドキュメンタリー番組を見ていたとき。2度の離婚歴がある60代後半の女性が派遣でどこかの独身寮で賄い婦として働いているが、68歳になりだんだん仕事がキツくなってきた。シニアの婚活パーティのようなところに出向き、再婚相手を探そうとするがうまくいかない。
詳しいことは忘れてしまったが、彼女にその仕事を世話していた派遣会社の50代くらいの女性社長がテレビのクルーに向かって、「うちで派遣で働いている人たちを見ていると、みんな68歳くらいでガクッとくる。だから彼女のことも心配していました」そんな話をする。
それを聞いて以来、私の頭の中に「68歳」という年齢が呪縛のように棲みついてしまった。でも、当時は68歳はまだだいぶ先だったので、その年齢で気力体力がなくなるということがどういうことなのか想像がつかなかった。若い頃なら気力体力が衰えても、疲れやストレスを取り除けばすぐ元に戻るが、68歳だとどんな感じになるのだろう。そもそも回復するのだろうか。
そのときはまだ30代で68歳までには30年もの時間があったが、気づいたらその年齢はもう目前に迫っているではないか。
50代も後半になり、「あ〜あ、もうすぐ還暦か」と思っていたが、60代に突入してみたら思っていたよりはるかに若くてびっくりした。こういう経験は30歳になるときも、40歳、50歳の大台に載るときも感じたことだった。祖母や母の時代より、私たちは体力的に歳をとりにくくなっているのは確かだ。精神的にはともかく。
とはいえ、それ以降も確実に年齢は積み重なっていき、私はとうとう年金受給者になった。そして、加齢による身体的な老化のせいか、それとも年金受給者(=老人)になったという精神的なものか、おそらくその両方だろうが、自分はこれからどのように年をとっていくのか、どんなふうに見た目が老化し、体の機能が衰え、新しいテクノロジーを疎ましく思うようになるのか、老いていく過程で何に生きがいや喜びを見つけていけるのか、それを観察しようと思うようになった。
未体験のことには興味が湧く。祖母や母、それ以外にも年をとっていく過程を見せてくれた人たちはたくさんいるが、ひとりひとりの人生が違うように、年の取り方も、その過程で過ごしてきた社会環境も、年をとってからの生き方も考え方も違う。私は年をとっていくことを自然に受け入れるのか、それとも年齢に抵抗しようとするのか。これからの人生をどう生きていくのだろう。
これからは体力が減退することはあっても向上することはないだろう。50代までは若い頃より若干体力が衰えたとはいえ、普段の生活には全く支障がなかったし、気力も十分あった。若い頃にはなかった経験や知恵で衰えた部分を十分カバーすることができた。でも、これからはそうはいかないだろう。認知症も始まるかもしれない。そうすれば、体力の衰えを気力や知力でカバーすることもできなくなる。そんな現実にどうやって対処していくのか。折り合いをつけていけるのか。それとも諸行無常と諦めて受け入れるのか。
これから私が年を重ねる過程で何を発見し、何を感じ、どういう終末を迎えるのか、そういう視点で自分の後半の人生を主観と客観の両方で見つめていこうと思う。