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生きろ、そなたは美しい

生粋のジブリオタクなわたくしですが、

ジブリシリーズの中でも、特に愛してやまないのが「もののけ姫」。
名作中の名作。

どこまで愛しているかというと、考えるのも憚られるくらい。
考えるだけで胸が熱くなって涙が出そうになるから。
そして考え始めると止まらなくなるから。(ビョウキ)

そんなこんなで、今日も今日とて
もののけ姫に想いを馳せてるわけです。


そして、改めて考えるのです。

「生きろ、そなたは美しい」

この深さたるや。


アシタカは、サンの強さに惹かれたんだろうけど
その「強さ」の矛先は自分に対してプラスに働くのではなく、
人間に対する恨みで破裂しそうで
大嫌い、許せない、そういう負の感情を強化させていた。


人間が許せない。
そんなことばかり考えていたら、人間を懲らしめるためなら自分自身どうなってもいいにつながっていく。
それって、結局他人への恨みで自分を蔑ろにしてる。相手をどうにかできるなら、自分がどうなってもいい、は強さではなく、自分を受け入れられないだとか嫌いだとか、自分を卑下することに直結している。自分がどうしたいではなく、「相手をどうしたいか」に引っ張られている。

そうして、その怒りが段々
自分が山犬にも、人間にもなれぬ哀れで醜い存在という認識と嫌悪感に変換されていく。


最終的に、
母さん(モロ)、シシガミ様も、森も死んでしまったけど
許せなかった感情を受け入れたから、最後は穏やかになれたのだと思う。
冷静に考えても、まだ人間は好きになれない
けど、それも受け入れて生きていこうって覚悟に変わった。

受け入れるとか、許すとか、愛だよね。

愛って高くて強い波動だというけれど、
その強い波動を大きく持ってるポニョは反対に、最後まで強い。
大好きー!って気持ちで突っ走ってるわけだから。


仮に、
「人間は許せない存在だ」がベースにあっても、山犬でも人間でもなく、サンはサンで、サンの人生を歩んでいくって決めていたなら、必ず人生のどこかで人間を許せる瞬間が現れただろうと思う。

両親も許せない、森を破壊する人間も許せない、
だけれど、それは過去にあったという事実と、そうでない人たちもいることを認識していたとすれば、そもそも自分をそこまで醜い存在とは思わなかっただろう。

要するに、どこかに許しや受け入れる愛が起点であったなら、ハナからあそこまでの怒りを抱えなかったろうと思うのです。


あの時、アシタカは怒りに振り回されて自分を蔑ろにしているサンに言った。

山犬にも、人間にもなれないからと自暴自棄になったり
みすみす死ぬような真似をしたりして、乱暴に自分を扱わないで
あなたはあなた、そのままで美しいのだから

何かになれないからって醜いなんてことはない

生まれたそのままで美しい
何もしないでも完全体なの

だから、自分に優しくして、
大事大事して、
「自分なんて」なんて言葉使わないで
どうなってもいいと言わずに、その命大切にしてほしい


生きろ、そなたは美しいのだから


自分に厳しかったり、自己評価が低い人たちみんなに響く言葉だなと改めて思った。

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