令和哲学的観点からみた『あの花が咲く丘で、君とまた会えたら』
【年末年始映画鑑賞シリーズ、あの花が咲く丘で、君とまた会えたら】
ぐちゃぐちゃに泣いたので顔は出せないww
お休み期間中真っ只中というのもあり、
たくさんの人が観にきていた。
ここ数年、私が映画館でみた映画の中で、
一番人が入っていた。(普段私が平日にしかいかないのもあるが)
始まってそんなに時間が経っていないときから
常にどこかで誰かが泣く音と共に鑑賞し
エンディング後、なかなか立ち上がらない人が多かったように思う。
みんな、この映画のどこにどのように涙腺がヒットし涙を流すのだろう。
(多分私は個性的な観方しているので、気になるところ)
そんな私の泣きポイントは、どこかと言われると思い。そしてこの映画、シンプルに「個人の思い」だけに特化した描き方がとても上手だと感じた。(読んでいないけど、原作がそこが上手なのかもしれない)ある意味、この描き方なら誰にも文句言われない、というギリギリを探しみつけ、思いの継承を、こうやって日本の表現を磨いてきたのかもしれない。歴史的背景などは一切カットして。
令和哲学を通して、歴史文明の客観的な観方をできるようになることで、
どう整理したらよいかわからない状態の日本がわかる。
お国のために必死で戦っていたところから
一人一人がいきなり気持ちを変えるなんて
できないだろう。
それは人間だったら誰だってそう。
例えば、この時代において、付き合っていた大好きな彼氏に裏切られて、急に新しい道を歩むなんて
簡単じゃないわけで。
それとは比べ物にならないくらい、精神的にも
肉体的にも
大ショックを受けている中で
それでも次の時代へ
次の時代へと
何かを伝えていかなきゃという思いだけは残る。
言葉に残せるところは、個人の一人一人の思い。
と、思いだけを語り継いできた。
戦争はよくない、と
二度と戦争なんかするもんか。
と
決断した日本の
出来ること。
78年経った今も、受け継ごうとする意志。
個人の思いを
うまく切り抜いて表現する。
生きることは恥じゃない。
死にゆくことも恥じゃない。
ここまで伝承させる表現を発達させてきた
日本があるんだと思った。
原爆2つ落とされた、
他の国にはない経験をしてきた日本は
類稀なる道を歩んだ。
それでも、
メッセージを発信したい。
何をどうすれば後世に伝えられるのか。
必死にここまできた。
あとちょっと。
あとちょっと。
21世紀の悟り人NohJesu氏はそう仰る。
何をどう語ればよいかわからなかった日本が、一人一人の気持ちを大事にしながら誰も否定せず、繋がるストーリーをみつられる。
すべて繋がる日本のストーリーが
世の中で当たり前になるまで。
エネルギーもらいました、
ありがとう。
2024年は新年早々に大きな地震があり、
次の日には、羽田空港での事故。
とても悲しいことも起こる中でも
日本人の秩序正しさ、
旅客機から全員を脱出させた奇跡を海外メディアが称賛していることを
みて苦しくなる気持ちが
少し和らいだ。
不安を煽るような映像だけを流すのではなく
そういう海外の観点が今の日本には必要だと思った。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。