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絶たれた音速旅行〜コンコルドがみた夢〜その2

前回の続きになります。


■フラグシップ機としての成功

 コンコルドは、人類の夢とも言える音速を超えた旅行を実現しましたが、商業的には失敗に終わりました。その主な理由は、地上にありました。音速を超える際の衝撃波は大きな問題となり、コンコルドが使用できる空港や航路が制限されました。
 また、100人足らずの乗員と燃料費の高騰が重なり、当初の100機の注文はほとんどキャンセルされ、運航は2つの航空会社に限られました。

 それでも、コンコルドには通常の旅客機の移動時間を半分にするという大きなメリットがあり、通常の2倍の高度での飛行は他の機体では味わえないものでした。
 地球の自転速度を上回る高速性により、西向きに飛行すると同じ時刻が続くという理論的な体験も可能でした。

通常は7時間近くかかるとことを約半分の時間で運行可能

 こうしてコンコルドは、裕福層の移動手段としてもてはやされ、余剰機体は団体向けのチャーター便やイギリス・フランスの政府専用機として利用されました。
 また、21世紀に対応できるよう最新のアビオニクスの導入や近代化改修が検討されました。25年間、約8万回の飛行を無事故で運行していたコンコルドは、世界で最も安全な飛行機として知られるようになっていました。
しかし、その栄光は2000年のあの日まででした・・・。

■悪夢の2000年7月の事故

 2000年7月25日、エールフランス機(モデル番号101、登録番号F-BTSC)4590便がパリのシャルル・ド・ゴール国際空港を飛び立とうとしていました。目的地はアメリカのニューヨーク州ジョン・F・ケネディ国際空港で、この便はドイツの旅行会社がチャーターした臨時便でした。乗客の多くは、ニューヨークから豪華客船「ドイッチュラント」でカリブ海クルーズに向かうツアーの途中で、ほとんどがドイツ人でした。11日間のツアー代金は約140万円で、20年かけて貯めた貯金をこの旅行に使った夫婦や、親子三世代で搭乗した家族もいました。

豪華客船「ドイッチュラント」

 この日の16時40分、軽微な問題が生じ、約1時間遅れて出発したコンコルドには満席の100名が乗り込んでいました。離陸を開始し、時速323kmに達したとき、管制塔から異常が発見され、コンコルドから黒煙が上がりました。この時、機体はすでに滑走路の半分を走り終え、残りは2km。停止するには3kmが必要なコンコルドは、そのまま離陸せざるを得ませんでした。

当時の映像

 実はこの時、コンコルドは先に離陸したコンチネンタル航空のDC-10の落ちたエンジン部品を踏んでタイヤが破裂したのです。コンコルドは高い空気圧のため、パンクすることがよくありましたが、今回の要因は他機の部品でした。

事故に関与したとされるDC-10

 破裂したタイヤのゴムがコンコルドの主翼下に衝突し、1kgの衝撃に耐えられる設計の翼下に、4.5kgの重さのゴムが当たりました。外側には破損がなかったものの、その衝撃で翼内の燃料タンクが揺れ、キャップが外れて大量の燃料が漏れ出し、ショートしたコードで引火しました。

大量に漏れ出した燃料は一気に引火します。

 離陸からわずか15秒後、高度30mで飛行に支障が生じました。機長は緊急着陸のために5km先のル・ブルジェ空港に向かおうとしましたが、激しい炎でアルミニウムの補助翼が溶け始め、コントロールを失いました。離陸からわずか2分後の16時45分、コンコルドは墜落しました。
 この事故で、乗員9名、乗客100名の合計109名が死亡し、墜落現場付近にいた4名も含めて113名が犠牲となりました。

■事故のその後

 1969年の初飛行以来、大規模な事故は初めてでしたが、今回の直接の要因は他機によるものでした。しかし、事故前日の7月24日にブリティッシュ・エアウェイズが「保有するコンコルド7機全ての尾翼に亀裂を発見し、うち1機の運航を停止した」と発表したため、事故との関係が注目されました。エール・フランスにも同様の亀裂がある機体があったため、事故から3週間後に英仏両国の航空当局からコンコルドの耐空証明が取り消され、無期限の運航停止が決定されました。

前から問題視されていたコンコルドのタイヤ

 これまでコンコルドは、統計上で飛行時間あたりの事故率が最も低い「安全旅客機」とされていましたが、この初の死亡事故により、逆に最も高い「危険旅客機」に認定されてしまいました。

■コンコルドの退役。そして音速旅行の終焉

 事故の原因を受けて、コンコルドはタンク内部の被膜を厚くし、タイヤも破裂しにくい製品に改良するなどの安全対策が行われました。そして、墜落事故から1年3か月後の2001年11月7日に旅客業務の再開が認められましたが、この時は同時多発テロの影響で航空業界全体の客足が悪化していました。

 元々、コンコルドは運航コストが高い割に収益が上がらない旅客機だったため、エール・フランスは2003年5月に運航を終了し、ブリティッシュ・エアウェイズも2003年10月24日に運航を取りやめました。これにより、コンコルド全機の退役が決定したのです。

 この日から、2016年現在まで、超音速で旅行することはできなくなっています。私たちは、もう音速を超えて旅行することは叶わないのでしょうか。
 しかし、実は超音速旅客機の夢は諦められておらず、今また超音速機の開発ブームが起きています。次回最終回です。


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