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幻の零戦 ”42型”について。欠番の真相は?〜その2

 前回の続きです。言霊という日本人の文化の話から一転して零戦の欠番の謎に迫ります。


■零戦42型が存在しない謎

 日本の軍用機にはデザイン変更や搭載エンジンの違いで型番が出来上がるのですが、零戦に関してはなぜか欠番が存在しているのです。
 零戦は11型、21型、32型、22型、52型・・・とありますが、32/22型(A6M3)と52型(A6M5)の間に埋もれたA6M4、いわば零戦42型は実在するのか?ということがしばらく議論が続いていました。
 ここで、日本海軍機の形式の決め方をお話したいのですが、図のようになります。

ざっくり言うとデザインとエンジンで決めます。

形状変更など
1●系
は初期型(11型など) 2●系は翼端が折りたたみ(21型/22型など) 3●系は翼端をカット(32型) 5●系は翼端を丸く整形(52型以降) 6●系は爆弾投下装置を新設(62型など)
エンジンの形式順
一桁目(一番台)の数字で示され
●1系が栄12型 ●2系が栄21型 ●3系が栄31型 ●4系が金星62型となっています。
これらの組み合わせで以下のような形式が開発されました。
エンジンの形式順は 一桁目(一番台)の数字で示され、
●1系が栄12型 ●2系が栄21型 ●3系が栄31型 ●4系が金星62型となっています。
これらの組み合わせで以下のような形式が開発されました。

11型〜64機製造。中国大陸で敵機全機撃墜という強烈なデビューを飾りました。
21型〜艦載用。翼端折りたたみ&着艦フック装備。大戦前半の主力機。
32型〜エンジンを栄12型から栄21型へパワーアップ。高速化のために翼端をカットしたかたちに。
22型〜栄21型になって減った航続距離を増やしたもの。翼も元に戻す。

52型〜翼の改設計をして単排気管にしてスピードアップしたもの、機銃の搭載方法で甲、乙、丙がある。大戦後半の主力機
53型〜エンジンを栄31型に換装。開発途中で終戦
62型/63型〜胴体下に250kg爆弾の懸吊架を設けた戦闘爆撃機型。零戦の最終量産型。
54型/64型〜念願の金星62型装備。開発途中で終戦。
 ※最近では22型を陸上用に改修した12型の存在も明らかになっているようです。

ある数字が飛んでいますよね。

 こうして並べてみるととあることに気が付かないでしょうか?そう、4✗型がないのです。形式で言うとA6M4ですね。
形式などの命名法はこちらの記事も参考にどうぞ

■零戦42型(A6M4)は実在したのか?

 長らく欠番とされてきた理由は、4という数字が「死(し)」を連想させるので縁起が悪いから欠番にしたという説と、32型に排気タービンを装備する計画案が破棄されて欠番になったという説、そして武装の違いから41型の流れができたという説がありました。
  さて、これらの開発の中で、存在が議論されている41/42型ですが、ヤフー知恵袋などには「42型は縁起が悪いので欠番とした説はろくに調べもしない連中が振りまいた都市伝説」とまで決めつけている意見もあるようで、そんなものの言い方もどうかと思います。
 更には「彗星」という艦上爆撃機には43型が存在しているから42型ゲン担ぎは俗説であるとする意見もあります。「4は「死」を連想させるからゲン担ぎで外されたという説は現実に43型が存在しているから俗説だ」という意見ですね。

 ということで色々論議され、42型は欠番が常識でしたが、実はとある雑誌の特集により42型は実際に試作されたことが判明したそうです。おい、ヤフー知恵袋・・・。
 もう、25年くらい前の記事なのですが、戦後50年以上経ってから新しい資料が出てくるというのも驚きですね。零戦に関してはプロ・アマ問わず熱心に研究をされている方々がいらっしゃいます。その熱意には頭が下がります。

スケールアヴィエーション 2001年11月号特集陸海軍拾遺集」の
第21回「零式艦上戦闘機42型の検証」という記事です。
今から25年ほど前の記事ですが、それから新説は出ているのでしょうか。

■実在した42型改修機

 記事によりますと、昭和18年4月13日、航空技術廠で1機の零戦が審査を受けています。試験報告書によると製造番号は三菱3525号機となっており、これは同年2月に完成したばかりの零戦22型ということになります。
 この3525号機は改修工事を受けており、約1ヶ月間後の3月下旬に再度納品されていて、海軍航空本部資料には「42型」と記載されていたのです。これが事実なら正式に42型は存在していたということになります。

 作業は三菱で、その内容は、主翼を450mm短縮するものでした。単に短縮するなら32型と同じ先祖返りになりますが、主翼は円弧状に整形され、それに合わせて補助翼も整形を受けているとのことですので、おそらく52型の試作機だったのではないかと考えられています。
 しかし、今までの通説では、52型の試作機は三菱第3904号機とされていました。そして量産機が3905号機以降とのこと。
 しかし、この記事でも訴えているように製造途中で試作機として取り出した3904号機が3905号機で直ぐに量産されるなんで現実的にあり得ない話です。

 また重要な点として、この三菱3525号機は、昭和18年6月以降の記載で、「42型」ではなく「52型」と改称されているとのこと(ここ重要)。

 つまり、52型は元々は、22/32(A6M3)からの連番である「42型(A6M4)」であったのだが、何らかの事情が働いて、途中から52型に改称されたということなのです。
 ということで、機体番号が同じなのに、名称が42→52に記載変更になっていることから、この特集では、
 
 欠番の真相はゲンが悪い「42型」を航空本部の意向が働き、縁起を担いで「52型」としたのではないかということを結論としています。

 こうしてみると、それなりに調べていますね。おい、ヤフー知恵袋・・・(二度目)

 この特集記事の結論としては、18年2月製造の22型の製造ラインから第3525号機を抽出、42型として改修、3月下旬に完成し、空技廠に納入、4月以降審査を終えて6月に52型として型式認可。8月には第3904号機から生産開始というのが辻褄の合う考え方としています。

 確かにこう考えると、3525号機で零戦52型を試作して、審査している間にも22型の生産が続けられて、3904号機から52型として製造に入ったと考える方が自然です。

 この特集記事は製造番号から各型の試作時期などを検証していて大変興味深い内容となっていました。また実際に42型のプラモデルの写真も掲載していて一見の価値ありの雑誌となっています。ずっと昔にBOOKOFFで105円で買っておいて大正解でした(^^)

 さて、次回はこの説に関する反論とワンモア個人の解釈を語りたいと思います。


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