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日本人の言霊信仰と幻の零戦〜その1


■「縁起でもないことを言うな」に潜む日本人の思想観

 日本人は特に「言葉」に囚われている民族のようでして「言霊(ことだま)」という考え方があります。

声に出した言葉、音声言語が、現実の事象に何がしか影響すると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。

言霊(Wikipedia)

 この考え方は身近な事例にも見られます。例えば、何か悪いことが起きたときに「お前が変なことを言うからだ!」とか「縁起でもないことを言うな!」と言われることがよくあります。自分が不幸の予言のようなことを言ったとしても、実際の出来事とは無関係なのに、なぜか日本人はこのようなことを忌み嫌います。これが「言霊信仰」と呼ばれるものです。

■井沢元彦氏の提唱する言霊の国

 作家の井沢元彦氏は、この事に着目し、言論の自由を封殺し続ける「コトダマ信仰」という説を提唱しています。『逆説の日本史3 古代言霊編』や『言霊』、『「言霊の国」解体新書』などで詳しく述べられていますが、ここではその内容をすこし自分流に解釈して紹介します。

 例えば、日本でハイジャックが起きて人質と交換に現金を要求した場合を考えてみましょう。評論家が「今後の再発を防ぐためにも、ここでハイジャックに屈してはならない、機動隊を強行突破させよ。その際に人質が死亡しても止むなしである」と意見したとします。

 その後、もし人質に死者が出れば、その発言をした評論家は猛烈な批判に晒されるでしょう。でも実際には決断した大臣に責任がありますが、評論家の方が「おまえがTVでそんなことを言うから、こんなことになったんだぞ」と非難されるのではないでしょうか。これは日本の言霊信仰をよく表していると思います。

すなわち、すなわち
人質が死んでもかまわない(意見) 〜  人質に死者が出た(結果)

 この意見と結果の因果関係を日本人は認めているということになります。だからこそ、発言者には責任があるという発想になります。発言者はまるで「その発言が実現することを望んでいる者」と見なされるのです。これでは色々な可能性の議論とか発言の自由などできなくなってしまいます。

■日本人が戦争がも契約も苦手な理由

 日本人が戦争が弱い理由がこれだと思ってます。戦争前も「アメリカと戦えば負ける」と言えば非国民扱いされ、参謀本部でも言えない空気があり、そして現在では「憲法九条改正!」と言えばすぐに「お前は軍国主義者か」と非難されますよね。
 このように、日本では自由な議論さえも封殺されてしまいます。その点、欧米人はドライでシビアですよね。

 そういえば、明治に外国から生命保険が導入された時も、「旦那が死ぬことを想定して保険に入るなんて縁起でもない、人の生死で金儲けするのか」と誤解されて、なかなか普及しなかったとも。今では不安を煽りすぎて、多めに加入させようとする傾向もありますが・・・。

 また、日本は契約が下手な民族とも言われます。これは日本独特の特徴だそうです。日本人は相手方とトラブルを想定して取り決めを行うのが苦手で、特に異文化の外国人相手ではその傾向が顕著です。日本人同士でも契約をきっちり行うとすると「こいつ、俺のこと信用していないんじゃないか?」と不信感も持たれるかもしれないですね。
 「悪いことが起こることを想定してリアルに物事を進められない」ということになるのです。

■西洋の結婚式はどちらかが死ぬまでの神との契約

 また、キリスト教の教会での結婚式では、お互いの両親の前で「病の時も健やかな時も、死が二人を分かつまで」という誓いを交わします。この言葉をよく見るとと、病とか死とか、不幸な出来事が起こる可能性も含まれていることがわかります。もっと深読みすると、どちらかが亡くなった場合、この契約は終了し、その後別の人を見つけても良いという解釈も成り立ちます。つまり、「お互いにトラブルや不満が生じても、どちらかが病気や事故に遭った場合でも離婚は許されない。ただし、どちらかが亡くなった時点でこの契約は完了し、その後は再婚しても問題ない」という意味が含まれているのではないでしょうか・・・・。日本人の感覚からすると不謹慎?

 一方、神道の結婚式では「誓い」ではなく「祝詞」をあげるため、不吉な言葉は使用しません。また、受験の際に「すべる」や「落ちる」と言わないのも同様の考えから来ているのかもしれません。不吉な未来を口にしたくない心理があるのかもしれないですね。

■言霊を理解して前向きに捉える

発した言葉の内容に呼応して現実も動く」という信念が、日本人には無意識のうちに根付いていてどれが日常の生活に馴染んでいる。これはもう、信仰の世界だと思えないでしょうか。このように考えると、面白いと思いませんか?興味がある方はぜひ読んでみてください。

 個人的には言霊はあると思っています。それは心理学的にも有効だと思うからです。よく職場で嫌な同僚とか上司と遭遇して、めちゃネガティブになる時ってありますよね。そろそろ限界かなぁと感じた時に自分自身に「この人からの学びは終わりました」と唱えると「嫌いな人を遠ざける言霊」と位置づけられるとのこと。スピ系の人に教えてもらいました(^^)
 嫌いな人のことを考えながら「学びは終わりました。今までありがとうございました。」という言葉を発すると、その嫌いな人が自分の目の前からいなくなるというのです。そして実際に効果はありました(^^)正確に言うと嫌いだった人を何とも思わなくなり、しばらくしてその人は実際に異動となったのです。
 この「学びは終わりました」という言葉は、関係を断つニュアンスと、相手を「自分に学びを与えてくれた人」と捉える肯定的なニュアンスがあるとのこと。
 発言そのものに相手を遠ざける霊力が宿っているとは考えにくいとしても、自分の気持ちや相手への嫌悪感を前向きに切り替える効果は期待できるのではないでしょうか。自己洗脳や暗示のような効果は期待できるかもですね。

 私たち日本人は、知らず知らずのうちに言霊に影響されているかもしれませんが、それならば積極的に良い言葉を発して、周囲の人を明るくしてあげたいと思います。
 え?幻の零戦の話はどうしたって?前置きがかなり長すぎました。壮大な伏線を張ったところで、続きは次回に(笑)


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