絶妙な偶然やちょっとしたすれ違いが重なって、バラバラに見えた人間関係が線で繋がったり丸くおさまったりする。登場人物達がめざましく成長する訳でもなく物語が急展開を迎える訳でもないが、だからこそずっと彼らを見ていたいと思ってしまう。今泉力哉監督の『街の上で』はそんな風に、本当に自分が下北沢という街の片隅から街の人達の時間を眺めているかのような作品だった。 ネタバレになるので詳しくは書けないが、主人公が打ち上げの席で知り合った女の子に誘われ、彼女の家までのこのこついて行き延々とお
あなたにもう、チェルシーあげられない。 チェルシーが生産終了になった。ある世代以上の人なら当時のCMもすぐに思い出せるくらい有名なキャンディーだが、終売の記事を見て「子供の頃よく口にしていたのに、なくなるなんて悲しい」と感じるということは、その存在を忘れもうずっと買っていなかったということだ。チェルシー側からしたら勝手極まりない話である。 私にとってのチェルシーは、子供の頃の海水浴の味だ。夏休みの家族旅行の行き先は、毎年房総半島の御宿だった。童謡「月の砂漠」誕生の地で
小さな違和感やちょっとした手間暇をギリギリまで放置して取り返しのつかない状態にしてしまうことはないだろうか。 「なぜこんなになるまで放っておいたのですか!」 と怒られるのが怖くて、つい問題を保留にしてしまう悪循環。 という導入から始まりがちなのは病気や人間関係の話だけれど、今日のは違う。 最初に気づいたのは数年前だった。 家の門に這わせるように淡い黄色の木香薔薇が咲いているよそのお宅に憧れて、引っ越してきてすぐに鉢植えの木香薔薇を買ってきた。最初の3年は咲かないと言われてい
「なりふり構わずというか、人を押しのけてまで欲しいものを勝ち取るみたいなことが苦手?」 これはつい先日、とある催し物で観てもらった占い師の人に言われた。子供の頃好きだった絵本の「ふしぎなかぎばあさん」を彷彿とさせる、おばあさんではないのだけれど、グレーヘアの丸くて可愛い魔法使いという風貌のその人が、そう言ったのだった。 お試し的な安価で短い所要時間のコースだったが、彼女に生年月日、手相、タロットなど、あらゆる方法で私の今後を占ってもらう中で、最終的には「今思っている方向に舵
顔や身体のパーツが肉親以外の親族の誰かとびっくりするほど瓜二つで、遺伝子の不思議に思いを馳せずにいられないことがある。 娘の鼻の形は義母、つまり彼女のおばあちゃんにそっくりだ。夫ではなく夫の母親の鼻がここに出現したか!と感心してしまうくらいよく似ている。 そしてこれは誰に似たのかわからないが鼻がよく利くので、台所から漂う匂いでメニューを当てるのが異様に得意だ。それがカレーや煮物ならまぁ分かるとして、「キャベツを炒めてる?」とか「肉じゃがでしょ」「この匂いは大根のお味噌汁?」
“左耳 知らなかった穴 覗いたら昔の女が居た アタシは急いでピアスを刺す” 私の好きなクリープハイプの『左耳』という曲にこんな歌詞がある。 初めて聴いた時、その言語感覚の非凡さに痺れたのと同時に、人の身体に最初からあいている穴ではなく、後天的に自分の意思で開ける穴は確かにピアス穴くらいだなと思った。 モテたくて開けたのか、昔の女とお揃いのピアスをするために開けたのか。眠っている恋人の耳にあった小さな穴に気づいて、自分と出会う前の自分の知らない過去に漠然と嫉妬したくなる
生まれつきみぞおちのやや右上に、直径1センチほどの黒々としたホクロがある。物心ついて以来それが嫌で嫌で仕方なかった。場所が場所なので普段人目につくことはないけれど、身体測定や体育の着替えなどで上半身の衣服を脱ぐとき、そのホクロを人に見られるのが恥ずかしくて必要以上に前を隠した。 体が成長するにつれ、上半身の面積におけるホクロの占有率が小さくなっていったせいもあるが、年齢を追うごとに自分の中でのそのコンプレックスの占有率も薄らいでいった。新たに気にすることや考えなければなら
「お休みの日は何を?」と聞かれても「趣味は?」と聞かれてもサウナと答えそうなほどサウナが好きだ。依然ブームは衰えず、今もどんどん若いファンと新しい施設が増えているので、中年の私はサウナが好きだと自分から言うのがちょっと照れ臭くなった。 以前は銭湯に行っても無用のスペースでしかなかったサウナと水風呂が、今や自分にはなくてはならない重要な場所になっている。 私だけに限らず、たいていの大人は毎日様々な役をこなしている。お母さんの私、会社員の私、妻の私、そして両親にとっては娘
ちゃんぽんか。 立地は決して悪くないのに、入る店入る店なぜか長く続かない物件というのがうちの近所にある。 駅からすぐの人通りの多い場所なので家賃も安くはないだろう。記憶にある最初は蕎麦屋、その後がクリーニング店で次はタピオカ屋、コロナ禍中にタピオカ屋がつぶれると、しばらく空きテナントのままになっていた。そこに新しくできたのがちゃんぽん専門店だった。 結婚してから、1人で夕飯を外で食べる機会が格段に減った。稀に夜1人で出先で食事をすることはあっても、最寄駅の飲食店に入ること
まだ誰も帰って来ていない静かな台所で、筑前煮を作っていた。胡麻油で軽く炒りつけた鶏肉と根菜類を、少なめの汁とみりんで艶やかに煮詰めていく。 筑前煮を大量に作ると子供の頃の正月を思い出す。 祖父母と同居していたわが家では、クリスマスが終わった頃から母が毎日少しずつおせち料理の準備をしていた。水で戻した昆布でにしんを巻いて煮る昆布巻き、八頭の煮物、ごまめ、煮豆、栗きんとん、筑前煮。母はそれらを傷みにくいものから順に作り始め、それぞれ大きなタッパーに保存していた。 私が味見以外に
12/1 21:36 ユーザー宛にメッセージを送信しました 「このたびはご購入ありがとうございました。ご登録いただいた住所に発送しましたが、宛先不明とのことで返送されてきてしまいました。恐れ入りますが、購入者情報の送り先をご確認いただけますでしょうか」 12/1 23:54 ユーザーからメッセージが届いています 「宛先の不備、大変失礼しました。正しくは以下の通りです」 12/2 0:15 ユーザー宛にメッセージを送信しました 「ご連絡ありがとうございました。お知らせ
長く東京で暮らしているけれど、私にとって「渋谷で乗り換えないと行けない場所」は「行くのがちょっと億劫な場所」だった。 元同期が三軒茶屋でコーヒーの自家焙煎のお店をやっているというのは、今も会社にいる別の同期から聞いて知っていた。「渋谷から乗り換えないと行けない」その店をなかなか訪ねる機会がなかったが、その時に教えてもらった彼の店のInstagramをフォローした。プロフィールには、ニカラグアに農園を所有し、常時50種類以上のコーヒー豆を店内で焙煎し販売していると書いてある。
いつか自分の文章と写真を一冊の本にしたい。 noteを始めた時から漠然と抱いていた思いが実現しました。 『フリーズドライ』というタイトルは、人前で感情的になったりなられたりするのが苦手なドライな私にも、ふとした瞬間に生々しく再生される思いや記憶があり、そのスイッチはきっとありきたりな日常にもふんだんに潜んでいる。という気持ちでつけました。われながら気に入っています。 表紙に使う写真を候補に挙げた数枚から選んでいる最中に、見慣れた景色だったこの電話ボックスが跡形もなく撤去さ
なぜか人より得意なこと、好きなこと、続けても飽きないこと、妙に惹かれるものや場所、そういうものが誰でも一つはあると思う。反対に全然向いていないことや、理由はわからないけれど凄く苦手なものがあったり。 先日ある方に霊視をしてもらった。 私には超能力や霊能力的なものは一切ないが、そういう世界をどちらかといえば信じたい方だ。 どんなに人間が物識りになっても、世の中には依然として説明のつかないことが沢山あり、目に見えないものに対する想像力や自然への畏怖みたいなものがあった方が、人は
3ヶ月間隔で婦人科にかかっている。 去年再発して手術をした肺気胸という病気の原因が、 子宮内膜症である可能性が高いと診断されたからだ。 その時からずっとホルモンを調整する薬を服用していて、その薬の一度に処方出来る最大が90日分なので、 3ヶ月に一度病院に行く。 その間にも乳癌検査に引っかかったり子宮頸がん検査に引っかかったりしながら、その度にいつも老いていく自分とか、どこまでもついてくる女特有の煩わしさとかに 思いを馳せている。 何歳になっても婦人科の診察台に乗るのは慣れな
「今日の夕飯何にします?」 夕飯の献立に悩んで、私はよく同僚にそんな質問をする。週の前半は土日に買った食材や作り置きの惣菜があるので、献立に困る事は少ない。私調べでは水曜日あたりからメニュー決めは徐々に行き詰まりを見せ、完全に冷蔵庫の在庫もアイデアも尽きてきた木曜日くらいに他所のお宅の献立を聞いて参考にさせてもらう。 みな私と同様に、仕事を終え帰宅してから何か作って食べている。 「今日はぎょうざの満州で冷凍餃子を沢山買って帰って焼きます。知ってます?ぎょうざの満州。安くて