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閑話 言語的に自分を責める「日本人」と相手を責める「韓国人」

日本語で受身形が多用される理由


・直接的な表現を避け、間接的な表現を好む日本文化(直接的な表現を避けることで、より丁寧な言い方になる)
・主語を明示しない傾向が多い(行為者を明示せずに状況を描写できる)
・行為を受ける側の視点から状況を描写できるので、特に新聞記事や論文などで、客観的な記述を行うのに適している

迷惑の受身


英語にはない「迷惑の受身」などの間接受身が存在する
1,特徴
・話者が直接的な被害を受けていなくても、不快や迷惑を感じた状況を表現できます。
・通常の受身文とは異なり、対応する能動文が存在しないことが多く、英語に直接訳すことが難しい日本語特有の表現方法です。
2,使用例
・電車で子供に泣かれました。(子供が泣いたことで話者が迷惑を感じた)
・隣の人にたばこを吸われました。(隣の人がたばこを吸ったことで話者が不快感を覚えた)
・試験期間中に、友達に家へ来られました。(友達が来たことで話者が勉強の邪魔をされたと感じた)
3,注意点
・迷惑の受身は必ずしも実際の被害を意味するわけではありません。話者の主観的な不快感を表現します。
・『家に壊れられました。』と物(意志を持たないもの)を主語にすることは通常できませんが、「雨に降られる」のような自然現象における表現は例外です。

中学受験生日本語学習者にとっては難しい概念の一つですが、日本語のコミュニケーションでは頻繁に使用される重要な表現です。

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言語適用で変わる「日本人」と「韓国人」


『泥棒に入られた』⇒この背景には、カギを閉めてなかったから という常に自分を責める日本人的な意味が含まれている。
正反対ですが、韓国人は『泥棒が入った』といい、常に人のせいにする(相手を責める)表現です。

可能形との類似性


られる形が可能形と同じになるため、文脈で判断する必要がある、このように、日本語の受身形は単に行為を受ける側を主語にするだけでなく、様々な文化的・言語的要因によって多用されています。適切に使用することで、より自然で洗練された日本語表現が可能になります。

日本語の受身から韓国人との相違まで 色々書きましたが


戦時中のことを繰り返し蒸し返すのも、民族的な特性なのかもしれません。少しでも相互理解する一助になれば。

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