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関山の雲海

2024年10月の早朝。福島県白河市。
東北一周の旅の道中だった。
白河の関を越えると関東エリアに入る。

「お兄さん、知ってるかい? 関山(せきさん)からは富士山が見えるんだよ。今日は空が澄んでいるからさ、行ってごらん」と、農家のお婆ちゃんが言う。

なんだって!? もはや正気の沙汰ではない。福島から富士山が見えるわけないでしょうに。山梨だぜ? しかも、その関山とやらはわずか600m程度の低山らしい。一瞬、馬鹿らしく思えてきた。

「じゃあ、行ってみるよ。お婆ちゃん、ありがとね」

なんだかんだ放浪癖な私は、関山へ行ってみることにした。スニーカーでも十分に山歩きができるらしい。無論、富士山云々はどうでもいい。

山は霧の立ち込めるくねくね道だった。だが、お婆ちゃんの言葉通り、林道は歩きやすかった。この怪しい雰囲気が素敵。猫の気持ちが理解できるような気がした。「閉所の気持ちよさ」が伝わってくる。一応断っておくと、私はMではない。

山道入り口

8号目を過ぎた辺りは、まるで忍者の里のようだった。霧を遮るような斜陽がとても綺麗だった。また、社務所と思しき家屋の窓には、奇妙な広告を発見した。透き通るような洒落た細工がなされてある。

8号目
空海の広告

どんな経緯なのかは情報収集不足だが、空海が立ち寄った場所なのかも知れない。とは言え、この程度の観光名所であれば、日本全国に掃いて捨てるほど存在するではないか。松尾芭蕉、山下清、などなど。

その後、間も無くして頂上に到着。物思いに浸りながらダラダラと歩いてみたが、大人の足でせいぜい45分程度の登山道。軽い運動にはなると思う。

さて、問題の富士山だが・・・うん、何も見えない(笑)。スマホのGPSで富士山の方角を眺めてみたが、見えるのは民家や田んぼのみ。恐らく都市伝説の類ではないかと思われる。ただ、幸運にも雲海を眺めることができた。これが素晴らしいほど綺麗だった。

頂上で缶コーヒーを嗜んでいるうちに、雲海は消えてしまったので、私は好機に巡り会えたのかも知れない。ほぼ同じ場所から撮影したので、これら2枚を確認していただければと思う。本当にあっという間の出来事だった。

雲海
雲海が晴れた後の風景

最後に、関山の社務所の麓に掘られていた、心に響く短歌を紹介したいと思う。

縁つきて 先に逝きにし 幼子は 
慈悲につつまれ 友と遊びぬ


過ちを 慈悲もて許す 関の山 
観音様の ご浄土なり

読み人知らず




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