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映画「わたしは最悪。」の感想(主人公と同じライフステージを過ごす29歳)

飽き性ではない、ちゃんとしている姉に対して妹は大体3日坊主なので、私が言い出しっぺだったもののこのnoteも数ターンで終えていた。

とはいえ何かを書きたい気分になった時、特に他のブログも持っていないのでこのnoteを使わせてもらおうと思う。姉はいつ気がつくかわからない。(気が付いたらまた書いてね)

ちなみに姉は、はてなブログをやっている。
年間数百冊の本を読むので、その感想を誰向けでもなくポツポツ呟くツイートの中からその月で一番反響のあったツイートを掘り下げるという方法をとっている。何を書くか、自動的に決められるからいいやり方だと思う。

さて、「わたしは最悪。」という映画を観た。

気持ちのいい笑顔が好き


”ノルウェー版大豆田とわ子”という前触れ。坂元裕二ファンとしては、興味のわくコピーのようなレビューを書いてくれる人がいるものだと思った。

”〈理想の未来〉と〈シビアな現実〉の間で揺れながらも、 自分に正直に人生を選択していくユリヤの恋と失敗と成長の物語”

公式サイトより引用

主人公ユリアの数年の日常を12章の構成で描く物語。ユリアはその間、ずっと”ベストな自分”を求めていたり、変化のありそうな方に身を投じてみたりする。

いわゆるアラサーの悩みや葛藤はこんなにも世界共通なのかと驚く(そして同時に「自分は何者かになれる」という自信は実は誰しもが持っていたのだと気がついて恥ずかしくなる)。
そういう、自分にもあったなあ、今もあるなあというシーンを、心地よい音楽と共にずっと眺める。そんな感じの映画。

部屋が広くてインテリアのかわいいノルウェーの暮らしが羨ましい。
でも、カップルの喧嘩は日本と変わらない

観終わった後、ポロッと涙が出た。

感動したのか、何かの琴線に触れたのか?

一番覚えている台詞は、

「わたしの人生なのに、傍観者か脇役のような感じがする」

何者かになれると信じてやまなかった10代と、何者になるのか探り続ける20代を経て、突然「だれかの妻」「だれかの母」になることを幸せの形として知らぬうちに押し付けられるようになる。

そうした既存の枠組みに押し込められることを拒み、自分を自由に表し肯定する道を選び取ろうとするユリア。ユリアの人生は、もしかすると自分がほんの数ミリの決断の違いを重ねていた時、手にしていたものなのかもしれないと思った。
どこか社会的プレッシャーに決断を左右されてしまった気のする自分と比較して少し羨ましく思ったりした。

ただ、同時に、「自分」と「誰か」の道を両方視野に入れながらいつの間にか自分は人生を歩むようになっていることにも気がついて、それも悪くない気がした。

自分の人生の変化に戸惑うときに観るべき映画かもしれない

妊娠が発覚して間もない、わたしの人生が「母親」モードに変わることの衝撃をまだ消化しきれていない頃に観た。

自分の人生を生きたいユリアの物語はそんな自分を肯定するでも否定するでもなくそこにあるという感じだった(坂元裕二脚本との共通点を感じる人が多いのも頷けた)。

そんなユリアを見ながら、自分の人生を少しずつ思い出した。ユリアが年を重ねていくのに合わせて、点と点が繋がるように、自分の妊娠も何も突然始まったことではないなとは思うことができた。

映画や小説の良さは、自分の人生やいまの考えを物語が落ち着けたり、整理してくれることだと思っている。「わたしは最悪。」はまさにそれだった。



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