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N/A 年森瑛 感想

凄く面白かった。刺激を受けたし、豊かな気持ちになったし、著者への興味も生まれた。

まず比喩表現が独創的で難解なこと。「うまいこと言ったった」感がなく、奇妙な生々しさが常に付き纏う。そして主人公まどかの、会話における言葉への過敏さ。それはインターネット黎明期から徐々に顕在化してきた、文字のみによるコミュニケーションの不完全さが、今となってはデフォルトになっている世代を代弁している。

「何か新しい人間たちがこの作品の中では生きているという感触もあった。」「ただ、その感触がまだどうしても弱い。」(吉田修一、第176回芥川賞選考会講評)

僕にはその感触はかなり強く感じられた。他者に対して、剥き出しの心で対峙せざるを得ないという感覚、自分の身一つで荒野を歩いてゆくしかないという寂寥感が、女子高生の日常から立ち現れてきたことにリアリティを感じたのだ。

「世界が傷つくとみなす事項に対する、最初からの「傷ついてなさ」が、ぐっとくるのだ。」(長嶋有、第127回文學界新人賞講評)

「摂食障害」「生理不順」「LGBT」といった、腫れもの扱いされるような「事項」に対して、そもそもまどかは傷ついてなどいないのだ。社会との関わり方の話ではなく、「ただのまどかとしてずっと生きていたかった。」という、清々しいまでのシンプルな欲求にただ意識的なだけである。

「性自認に於ける“本当の自分”という意識が、そのフレームを食み出して、主体そのものの本質主義にまで拡張される様をアイロニカルに描いている。佳作だった。」(平野啓一郎、第176回芥川賞選考会講評)

まどかの”本当の自分”という意識は性自認以外にもあるだろうが、平野氏のいうように、コトは一個の生物の生存権の話なのではあるまいか、と読んでいて僕も思った。

本作では社会性を帯びたテーマとして、「かけがえのない他人」というキーワードがでてくる。こちらは”本当の自分”が確立された上での人間関係を巡る課題になるだろうが、

「快作であるが、小説中の鍵語であり、物語の推進力たるべき「かけがえのない他人」がいまひとつ焦点を結ばぬ憾みが残った。」(奥泉光、第176回芥川賞選考会講評)
「語り手に一種の改心をもたらすのは否定的に扱った相手から示される下心なしの反応なのだが、そこへ持っていくための最後をややしつらえすぎたかもしれない。」(堀江敏幸、第176回芥川賞選考会講評)

という評価も分かる。純文学として内省する「ただのまどか」があり、読ませるエンタメとして「かけがえのない他人」という審美眼で見た恋人や友人とのエピソードがある、この二つが(不細工であるかもしれないが)一つの小説の中で両立しているのも僕が気に入ったところだ。ラストシーンにも感動した。


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