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ガーンズバック変換 陸 秋槎 感想
北京出身の若手ミステリ作家によるSF短編集。雰囲気も長さも異なる8編が並ぶが、「物語」や「言語」を扱った作品が多く、洒落や風刺が効いている。どれもそれぞれに良さがあり、著者の博識を感じさせるが、それだけに趣味性も強くマニアックであるともいえる。
一番のお気に入りは『色のない緑』。2060年代の近未来、主人公のジュディは小説の翻訳者だが、この時代では実作業はAIが行なっており、彼女はその出力された文章を「脚色」するのが仕事だ。ある日、友人のエマから連絡があり、共通の友人、モニカが自殺したと知らされる。この三人は学生時代からの親友で、ジュディとエマはモニカの自殺の原因を探ろうとする。
このような専門的な分野を扱う小説では、その知識を持たない読者への配慮が重要である。その意味からすると本作は敷居が高い。しかしこの専門用語の羅列が、物語の謎の隠蔽に一役買っている。文章中の専門用語をなんとなく受け流し、普通の文を拾い集めて、何が起こっているのかを組み立てる楽しみがあるのだ。
初読の印象も良かったが、私がAIに強い興味があることもあって、文中の専門用語をあらためて調べてみた。その結果、それらの中で著者の創作であるのは「マリアナ・ラーニング」「エディンバラ予想」くらいで、それ以外は実際にある用語であった。架空の商品である「液体ストレージ」も、それに近いものが現実に研究されているらしい。
それらの用語がわかったところで、再度、重要な部分の解釈をしてみたところ、より深い探求に至ることになった。文字通りの深読みをしている気分になる。まず物語の一番表層にあるのは、こんなネタだ。
天才的な学者のモニカは、AIに致命的な欠陥があることを長年の研究によって証明した。しかしその論文は、査読用AIによって却下された。皮肉なことに。
これが、モニカの自殺の動機となった、という解釈である。理解しやすいので、これが著者の表現意図として、まずは正解だろうと思う。
次に、もう少し深い洞察をしたい。AIは、その内部構造が大規模で複雑であることから、「なぜそのような結果を出したのか」という理由を人間が理解することは困難である。これはAIにおける説明可能性の問題とされている。モニカはその方面を研究していたが、市場経済はますます高性能なAIの開発を要求し、理論研究への予算は減るばかりだ。モニカのような人間にとっては、真理の探究が人間性と直結しており、それが損なわれるような未来では自分の存在価値は無くなる、と悲観したのではないだろうか。それが自殺の動機、その2である。
そしてこれをさらに深読みすると、便利に使えるものは疑問を持たずにそのまま使えればよい、という市場の考え方は、人間から、考える力そのものを奪っていくのではないか、という想像が働く。この、大きな視座から見た大きな絶望感、それもまた自殺の動機と考えられる。
そしてこれが再び、最初の動機に帰っていく。考える力を失った人間は、思考をAIに頼るようになっていくだろう。現にモニカの論文はAIによって拒絶された。その理由も不明のままだ。
そんなモニカの心の内が表層から深層へと浮き沈みするうちに、無味乾燥で硬質だと思われた文章が深く柔らかい質感に変化して、なんとも言えない情感を醸し出した。