幸せとは何か
とても哲学っぽいようなタイトル。
誰もが幸せをも求めて生きているのではないだろうか。
決めつけるのは良くないか。
生きることが必至で幸せが見えていない方もいるだろう。
今、テキストを書いていて気付いた。
幸せを求めて生きていない人もいる。
幸せとは何か。という問いができる時点で幸せなのか。
幸せは誰かが、何かがもたらしてくれるという考え方がある。
私も思っていた。
こうなったら幸せ。
ああなったら幸せ。
給料が○○万円。
パートナーができたら。
いわゆるリア充だったら。
認められる存在だったら。
褒められたら。
テニスが強かったら。
頭がよかったら。
人より優れているところがあればあるほど
幸せ
だと思っていたのかもしれない。
世界人口約77億人。
上を目指せばこの約77億人と勝負することとなる。
どの分野でも。
負けを由しとする。
一見おかしく感じるがどこかで由しとしている。
そうじゃなきゃみんな世界一を目指していないといけない。
ここで負けを由しとするのではなく、目の前の出来事に
幸せを感じられるか、見つけられるかが大切だ。
ここでタイトルに戻そう。
「幸せとは何か」
幸せの定義をしなければ
幸せはわからない。
見たことも聞いたこともないものはわからない。
認知ができてようやくわかる。
幸せと感じる、思ったことはどんな感情なのだろう。
その出来事そのものではなくそこに付随する感情をみたい。
目的と手段みたいな感じか。
目的が「感情」で手段が「どんなことで」という具合。
例えば、ケーキを食べて幸せと感じる人がいる。
この人の目的は美味しいを味わいたい。甘いかもしれない。
味覚を満たしたいのだ。
そのために、ケーキという食べ物を用いて味覚を満たしている。
もしかしたら、ケーキじゃなくてもいいのかもしれない。
味覚を満たしたいが「目的」なので。
これは個人的見解なので。
こうやって考えると今している行為は純粋にできているのだろうか。
自分をごまかして感情を味わっていないだろうか。
状況によってごまかしていないだろうか。
お金が欲しい人は、安心感が欲しい。
貧乏が怖い。生活できないのが怖い。食べれないのが怖い。
私たちは、ネガティブ思考が強いので脳にだまされてしまう。
本当は、安心感を味わいたい。
だから逆の感情も湧くのだけども。
どっちの側面を見るかは自由であり、両方あると認識することも大切。
片方だけを見ることは逆にもう片方に意識を向けてしまう。
お金が欲しいにはお金がないがくっついている。
なぜか両方を意識してしまう。
両方の意識をまずは受け取ろう。
そこから選択をしていこう。
逃げると追いかけてくる。
追うと逃げていく。
で、幸せとは何か。
答えは出ない。
でも、味わいたい感情はある。
安心感
嬉しい
充足感
あまり出てこないが、何だか幸せそうな雰囲気は感じられる。
出来事によって感情が変わるのではなく、
内側によって感情が変わる。
感謝されても受け取れる時もあれば受け取れないこともある。
出来事が重要ではなく、どう受け取るかが重要だ。
幸せ=感情もどう受け取るかがカギになる。
この世の全てに対していちいち幸せをラベリングできたら
この世は天国なのかもしれない。
心地よくラベリングできたらいい波に乗れている気がする。
心地よくラベリングかぁ。
自分の生活を振り返るとそんな意識してないな。
仕事に追われ、時間に追われ。
心地よくラベリング。
何かいい感じのコピーを思いついたなぁ。
久しぶりの投稿。
おしまい。