雑記その01 山カフェの話など
(ところどころ敬称略)
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AM 594 ch のラジオ、土曜日朝8時台、9時台の山カフェと言う番組が好きでよく聴いている。
MCの石丸ケンジロウさんの話は面白い。山を登っていて見かけた虫の絵などを最近は描いているらしい。昆虫の絵を描くと、昆虫に対する理解が成長しやすいように感じる。ゲッチョさんの愛称で親しまれている、盛口満さん (モリグチ ミツルさん) も、昆虫の簡単なイラストを描くようになって昆虫の理解が格段に飛躍的に成長したと本の中で書いていた。
石丸さんがハンミョウの絵を描いて、あるときにゲストの人に見せた。ちなみにそのゲストの人は、里山写真家の今森光彦さんだった。今森さんはそのハンミョウの絵を褒めた後、それにしてもハンミョウには毒があるので気をつけなければならない、と言った。石丸さんはハンミョウに毒があることを知らなかったので、毒があるのですか!?、と驚いていた。そのやりとりが面白かった。それにしても、どのくらいの強さの毒なのだろうか。
虫や植物には思いがけないものに毒や肌をかぶれさせるものがあると言うことに自分も気をつけたほうがいいと思っている。
学研から発売されている昆虫ポケット図鑑というのを最近時々見ている。チャドクガの幼虫と成虫が掲載されていて、幼虫にも成虫にもどちらにも毒があると言うことが書いてある。自分はそれを読んで驚いた。幼虫は毛虫で、見るからにその毛に毒がありそうなのはわかるが、成虫の毛にまで毒があると言うのは知らなかった。幼虫なら飛び回ったり移動する能力がないのでこちらで気をつければ良いけれども、あちこちに飛び回る力のある成虫の蛾の中に、毛に毒性がある種がある、と言うのは想像するとなんだか厄介な話に感じる。
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noteに雑記帳的にいろいろ書いていこうと思っているが、スマートフォンのブラウザアプリ(Safariなど)からは、音声データの投稿ができないことが残念である。PC版からだとできるらしい。スマートフォンのアプリ版からだとどうなるだろうか。そちらはまだ試していないのでわからない。
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浦沢直樹の、漫勉ネオと言う番組を見た。手塚治虫について取り扱っていた。手塚治虫を支えたスタッフ数人と談話と言う形式だったように思う。その回の中で、浦沢直樹が火の鳥がすごく好きだったと話していた。人が、自分の好きなものを力説している姿は、見ている人に強く訴えかけるものがあるように思う。
昔、人に勧められて、菅田将暉のオールナイトニッポンと言うラジオに、松坂桃李がゲストで出演している回を聴いた。松坂桃李が遊戯王カードのゲームに熱中しているらしく、1時間以上その遊戯王カードのゲームについて力説していた。菅田将暉はその話の合間合間に、人が好きなものを力説している姿を見るのが好きだ、と言うことを言っていた。自分も同感である。浦沢直樹の、火の鳥についての力説を聞いて、自分も火の鳥やそれ以外の手塚治虫の作品に触れてみたいと言う気持ちが強まっている。
それにしても浦沢直樹にあまり今まで接点がなかったけれども、確か、ちばてつやについての話をしているときに、ちばてつやの漫画を浦沢直樹が数ページ分、もしかすると1話分、丸々書き写したものを番組に持ってきているのを見てそれが印象に残った。ここ数年のうちに自分も、気に入った漫画を時々書き写している。書き写すと言うのはとても不思議なことだと言うことを何度も感じている。入念にその漫画を読んでいるつもりでも、書き写すとなると見落としている箇所がたくさんあることに気づく。真剣に集中して読んでいるつもりで、実にいろいろなことを見落としているのだと言うことを自分自身に感じる。
そして書き写すということは、単に見落としている箇所を発見すると言うだけの力に留まらないと自分は感じる。世の中に、子はカスガイ(鎹?)という言葉がある。2人の人間の間に子供がいると、その2人を子供が結びつけてくれるという意味だと思っている。
例えば自分が火の鳥と言う漫画を入手して、それを数ページ分書き写す。そうすると、手元に残った書き写したものが自分と、火の鳥と言う作品とを、以前よりもずっと強く結びつけてくれるような効果があることを自分は感じる。これはパソコンの、エイリアスと言う概念に似ていると自分はよく思う。エイリアスと言うのは、平たく言えばショートカットと言い換えてもいいと思う。どこでもドアみたいなものとも言えると思う。
例えば、自分のあるときの旅行の時に撮った写真をまとめて保存しているフォルダがパソコンの中にある。あれこれ整理している都合上、パソコンの1番最初のスタート地点からどうしても少し遠いところにそうしたフォルダを設置しないといけないとする。目的の写真のフォルダ自体は少し遠いところに置いたままだけれども、そのフォルダへとすぐワープできる、どこでもドアのような入り口は、パソコンだと簡単にいろんなところに作成することができる。それをパソコンの1番最初のスタート地点のところに設置しておくと目当てのフォルダへのアクセスが格段に簡単になる。そういうものをエイリアスと言う。
確か下町ロケットと言うドラマで、ある職場で横を見ればすぐ視界に入ると言うような場所に、その職場と接点のある子供たちの笑顔の写真が無数に貼られているボードがあった。従業員たちは、いろいろな場面でその写真を見ることで、自分たちの仕事がその写真に写っている子供たちにプラスの影響を及ぼすものだ、と言うことを強く思い出す。従業員たちは実際に子供たちには会う機会は限られていて、多くないかもしれないが、ふと気づけばその子供たちの写真が視界に入る、と言うような環境にいる。その子供たちの写真が貼ってあるボードは、パソコンで言うエイリアスと似た機能を果たしていると自分は思う。何度も心に思い起こさせたいものがあって、実際にそれを思い出すトリガーになってくれるものを自分は自分の心の中でエイリアスとか、ショートカットとかと呼んでいる。
もしかすると、エイリアスという言葉の捉え方が本当は間違っているかもしれないが。
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