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雑記53 バレーボール セッターがスパイカーにボールをセットする際に「ボールを殺す」ということが大事になってくるらしい。

雑記■バレーボールだと、セッターがスパイカーにボールをセットする際に、「ボールを殺す」ということが大事になってくるらしい。


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バレーボールだと、セッターがスパイカーにボールをセットする際に、「ボールを殺す」ということが大事になってくるらしい。


バレーボールなどで、ボールに意図せぬ回転がかかってしまったりしている状態を(ボールが)「生きている」「生きてしまっている」「殺せていない」と言っていいように思う。


芸術だと、絵や文章が「死んでいる」と困るし、絵や文章が「生きている」と「良いものだ」と言っていいと思うが、バレーボールのトスのセットだと、スパイカーに提供するボールは、「死んでいないと不都合」(ボールが死んでいることが望ましいもの)だと言う。



(漫画 ハイキューで、日向に「トスをセットする時どんなことを考えているか?と聞かれた影山は「ボールをどう殺すかということ」という意味のことを答えている。)



(女子バレーボール元日本代表の竹下佳江(よしえ)さんを取材した書籍の中でも、竹下さんは「セット時は、いかにボールを殺すか」ということが大事だと考えている、という意味の記述がある。)








頭や心の中に、沸き立つように想念が熱を持っている時に、かなり大雑把なラフスケッチとしてでも、文章や文字の形にそれを固形化すると、それを良い意味で「死なせる」ことができる。
あまりに頭や心の中で「生きている」と、次の段階に物事が進みにくい。


自分は、ある楽曲に心が奪われ、そのことばかり考えるようになっている時、その楽曲を自分なりに、ボイスレコーダーに5分とか10分程度、歌って録音する作業をすると、湧き立っていた心の中の想念の熱をさますことができる気がしている。


そうすると、次の段階に進むことができるように感じる。
こうしたことは、よく世間で使われている「アウトプット」という言葉を当ててもいいが、「アウトレット outlet」(排出していく、はけ口を与える) という言葉を当てても すわりが良いように思う。




■スパイク時、打球は「生きた」ものだと、相手が処理しにくくなって、良いのではないか




セッターは「殺しておいた」ボールをセットするのが理想だが、スパイカーは相手ディフェンス陣が予期せぬ回転などをかけた「生きた」ボールを送ることが大事なではないかと素人考えを抱いている。


ハイキューの作品終盤にて、手首の柔らかさによって、スパイクの打球に意外な回転をかけることで、相手ディフェンスのスパイクレシーブを困難にする、という工夫をする選手が描かれている。


これは、スパイクの打球を「生きた」ものにすることで、それを扱う相手選手に困難を与えようというものである。





■味方には「死んだボール」を、敵方には「生きたいボール」を提出するのが良い、と思われる。




味方には「死んだボール」を提出するのが良く、
敵方には「生きたボール」を提出するのが勝負事においては望ましい、と言い換えて良いように思う。


サッカーで、シュート実施者にとっても、ディフェンダーにとっても、双方にとって意図していない形でシュートがブロックの足先などに当たると、ボールの軌道は誰にとっても予期し難いものになる。その結果、シュートを防ぐキーパーは反応が難しくなるケースがある。

こういう事象を自分は、ディフェンダーの足にシュートが当たったことによって、ボールが余計に「より生きている状態になる」という具合に表現すると良いように思うことがある。

バレーボールで、攻撃側のスパイクが、守備側のブロッカーの手に当たって、ブロックより後方で守備の準備をしている選手のところに、「より反応し難い」ボールが飛んでくるケースと同じ話のように思っている。


ハイキュー、女子バレー選手の竹下佳江さんについての本、バレーボール選手のコメント、サッカーの試合のいくつかのシュートシーンから、あれこれ自然と考えるようになったことを固形化したいと思って文面にしていた結果、以上のようなものになった。

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