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雑記94 岡田武史さん・羽生善治さんの対談から。プレッシャーと重圧にも良い点があること

雑記94 岡田武史さん・羽生善治さんの対談から。プレッシャーと重圧にも良い点があること

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今、自分の目の前には、
岡田武史さん、羽生善治さんの対談本、勝負哲学と言う本がある。その本を開いている。




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引用

勝負哲学 サンマーク出版
岡田武史 羽生善治 110ページ

(羽生)
心身ともにきつい場面にあることは変わらないんですけど、そんなふうに精神的に追い詰められ、緊張しているときのほうが人間の潜在能力は顕在化しやすいんじゃないでしょうか。火事場の馬鹿力みたいに。その意味では、プレッシャーは重力でありながら揚力みたいな役割も果たしているところがあります。
(岡田)
同感です。私はプレッシャーは重力そのものだと考えています。重力がないと骨も筋肉もダメになってしまうでしょう?重力があるから、それへの反発心をテコに強くなれる。耐久力も身についてくる。ノーストレス、ノンプレッシャーのゆるい環境下ではそうはいきません。人間は弱い生き物で、自分の意思であえて自分を苦しい環境に追い込むことはなかなかできませんからね。

引用終わり

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今、自分の身の上には、なかなか思い通りになってくれない問題がいくつか、のしかかってきているように自分は感じている。
そうした問題は、外科手術のように割り切った方法で除去することが難しいように自分は感じている。

一挙に何かうまいやり方で解消できる、と言う性質のものではないと自分は思っている。
ほんの小さな、プラスになりそうな刺激を際限なく蓄積していくことが自分としては良い道筋なのではないか、と現時点では考えて、方針づけている。



当事者である自分以外は割り切ってその問題を解決解消することもあるかもしれないが、当事者である自分の内心には、部外者の割り切った手付きを拒絶するものがある。

自分の理性や悟性が部外者の手付きを受け入れようと思っても、人間の心や情緒は本人にとってもブラックボックス的な見通しの効かないところが多分にあり、奥底の抵抗を無いものにすることは難しい。

(小林秀雄や昔の人は、こうした心の見通しの効かなさを「くらい 昏い」という表現をしているように自分は思っている。小林秀雄の「私の人生観」の中で、 ヘラクレイトス? や釈迦について 「くらい人 昏い人」と書いている。)

(これは、その人の心の世界の広さゆえに、本人にとってもブラックボックス的な、見通しの効かない領域がどんな工夫を凝らしても存在し続ける性質を指したもので、一般的に言う「陰鬱な人 = 暗い人」と別のものと考えるべきものと自分は勝手に思っている。)





つきまとってくる問題は煩わしいものである。
そうした煩わしい問題たちがどんどんきれいに解決されていったら、自分の心も頭もずいぶんと身軽になって、楽になって、そうすれば問題に煩わされながら生活している自分よりも、より多くのことがこなせて、より力強くより快活に活動ができるようになるのではないか、と言うことを自分は時々空想する。

自分に長年のしかかってきている問題たちが、まるでなかったもののようにきれいさっぱり解決解消されることを自分はよく望む。


それと同時に自分は思うことがある。

長年自分に付きまとっている問題たちが、自分に悩ましさや煩悶を与え続けているが、その悩ましさによって、自分の考えや意志は、悩ましさのない場合よりも、より強固なものになっている気もしているのである。


悩ましい問題たちによって、実は恩恵を受けているかもしれない、とも思うのである。

岡田武史さんや羽生さんの話す言葉を読むと、つきまとってくる問題の悩ましさも、そう悪いことばかりでもないかもしれない、という気持ちもわいてくる。


結局は問題たちがきれいさっぱり解消されることを望む気持ちは引き続きあるのだが、問題がつきまとってくることは悪いことばかりでなく、なにかプラスの効用もあるかもしれない、と少しでも思えると わずかだが気持ちが楽になるところがあるように感じる。

そのわずかが意外と大事だと最近感じている。




ここまでです。

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OndokuAikouka(音読研究×小林秀雄散策)
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