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断片集 、つぶやき集01 2024年10月上旬

断片集、つぶやき集01   2024年10月上旬




色々とものが見つからないで困ることが多い。
それでも昔よりかは、改善されてきてはいるように思うけども、それでもやっぱりとっさに必要なものが見つからなくて困ることが結構ある。
こういう問題に関してちょっとずつでも改善していきたい。




チャーチルの書いた第二次世界大戦と言う本を読んでいて、最近、驚く記述があった。
チャーチルは第一次世界大戦に関わった思い出を1923年から1931年にかけて執筆し続けていたと言う。
ドラッカーは、チャーチルについて、この人は「文章を書くことによって学習が進むタイプの人間」と評価している。
チャーチルは第一次世界大戦について9年間位の年月、執筆してその記憶と経験について吟味を続けていたようである。
こうした事は、その後チャーチルが深く関わることになった第二次世界大戦への有効な準備になったのではないかと自分としては感じる。




日本仕事百貨と言うサイトで昔見た記事で印象深い物があった。
もう何年も昔の記事なので、改めて見つけるのは少し手間がかかるかもしれない。
ある商店を営んでいる人が、お客さんが全然来ないけれど、その間に何かできることをしようと言うことを思って、お店の中にあるものを絶え間なく、数センチ位でもちょっとずつ動かし続けてみようと言うことを継続していたらしい。
そういうことをしている間に、最初なんとなくここに置こうと思っていたものが、こっちに置いたほうがいいなと言うことを思いついたり、思わぬ掃除のしがいのある所を発見したりして、お客さんが来ないけれど結構お店の中で店員さんそれぞれがエンジョイしている状態になっていたらしい。
そういうことを無心にやっているうちにだんだん不思議とお客さんがやってくるようになって、お店が繁盛していったと言う話を読んだ。




フットボリスタと言うサッカー雑誌を好んで時々読んでいる。
2022年のワールドカップの総集編ということで発売されている、2023年3月ごろの号が面白かった。
日本対スペインの試合に触れて、クロノス、カイロス、と言う言葉を使って、2つの種類の時間について語られている記事があった。
その、クロノス、カイロス、と言う2つの種類の時間と言う話は自分としては面白く感じられて、そのことについて何かもっと考えを広げていきたいと思っているけれど、なかなかうまい手がかりを見つけられないでいる。
ちなみに、クロノスが時計の刻む時間、カイロスは情緒的な時間とのことで、ある特別な一日が無限の長さのように感じられるような場合、その「長く感じる」ということはカイロス的な時間と言えそうである。




上にも既に書いたことで重複だけれど、物の整理があまりうまくいっていないので、そのことによる、いろいろなロスが結構あるように感じている。
とっさに、ここに置いとこう、ということでものを置いておくと、後でそれが無くて見つけるのに時間がかかることがある。
こういうのは、自分で自分を幻惑したり、自分で自分に罠を設置しているような感じに感じる。
何かと思いついたことを書き留めているメモや紙類も、雑然とした状態になってしまっていて、こういうものを気合を入れて整理することができたら、ずいぶん頭の中がすっきりしそうだと感じる。




7年前や、8年前に、不意に発生した出来事によってかなり狼狽したときのことを最近ふと思い出している。
7年前や8年前は、そうした出来事にかなり狼狽して大いに不安を感じたものだが、今同じ場面に遭遇したら、ちょちょいと解決できるだろうと言う自信を持つようになっている。
ちょっとした小さい勉強や工夫の積み重ねで、自分の技術、対処力というものが、少しずつではあるけれども進歩していくものだなと言うことを感じる。
そういうことを考えていると、今自分が抱いている心配や不安と言うのも、7年か8年経ったときの自分には、割と、ちょちょいと解消できるものになっているかもしれないと言うことも考えるようになって、ちょっと勇気づけられるものがあるように感じている。




学生時代の話だけれど、仲の良いクラスメイトが、600文字とか800文字の小論文の課題を課せられていて、「時間が足りなかったから急いで大雑把に書いて済ませた。」と言う話を自分にしてきた。
10代の頃、自分はどういうわけか、学校の友人と雑談みたいなことはできても、自分が本当に感じている感情とか情緒とかを適切に相手に表現して伝えることが全然できないような感覚があった。
筋道を立てて、文章を書くと言うことも自分にはどういうわけか全然できないことのように感じられた。
こういう状態は、20代半ばになる位まで続いた。
そのクラスメイトが、無造作に急ぎ足で、作文を済ませた、と言う話をしているのを聞いて、「自分にはそういう事は到底できそうにない」と言うことを感じた。
そういうことが無造作にできるクラスメイトと、自分との違いと言うのは一体何なんだろう、と言うことを不思議に思った。


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