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雑記86 僕の音読観、「一人の音読」でこそ養われる感覚があること
雑記86 僕の音読観、「一人の音読」でこそ養われる感覚があること
文字数 2500
勝手なことを書こうと思っている。
■1
音読は、
音読に体がなじんでいない人がいる空間だとやりづらい。
音読することをごく自然に感じる状態になっている人を自分は「音読ごころ」のある人と呼びたい。
音読ごころのない人がいる場所、空間では、音読はしづらい。
音読をしても、それはよそゆきのものとなりやすい。
■2
音読は、
色々な形式があるが、突き詰めると自分としては、一人ということが大事に感じている。
「一人の音読」によって、音読者の心の世界の基礎的な部分が強められていく。
人に聞かせたり、配信したり、という他者との関係を含む音読は、自分にとってはどうしても二次的なもので、「一人の音読」によって形成された基礎の上に乗せていくべきものといった具合に感じられる。(あくまで自分には…)
自分からすると、「一人の音読」と「他者との音読」の内、前者は不可欠なもので、後者はそうでない。
あくまで個人の勝手な感想としてそう思う。
■3
音読は、
「一人の音読」の場合、内なる自己と自己の向き合う時間になる。
一人の人間の内部は一枚岩ではないことがある。
アクセルを踏もうとする自己と、ブレーキを踏もうとする自己との二者に分かれることがある。
そこに中間地帯のアクセル寄りの自己が3番目の位置をとることもある。
中間地帯のブレーキ寄りの自己が4番目の位置をとることもある。
漫画 かぐや様は告らせたい でヒロインのかぐやさんの心の内が描かれ、そこでは、数人の内なるかぐやさんが論争している。
その一人は積極派で、もう一人は慎重派だったりする。
一人はロマンティストで、一人は非ロマンティストだったりする。
「他者との音読」の場合、内なる自分の多くの面々は、物陰に隠れて姿を現さない。
自分の中の外交大使となっている代表的な自己、外相 外務大臣にあたるものが他者に応対する。
それは、理性とか悟性などと言い換えていい。
ダンサーの田中泯さんは、作家のポーが好きらしく、ポーの「私は群れである」という言葉を好いているらしい。
自分はポーのその言葉を、今上に挙げたような具合なものごととある程度重なるものとして認識している。
■4
小林秀雄が引用するフロイトの話を思い出して話をしたい。
神経症など問題を抱え、フロイト 精神科医を信頼して、カウンセリングを依頼する人がいる。
神経症患者を A、フロイトをBとする。
あくまで、精神科医Bが 患者 Aの 心の底からの信頼を勝ち取った場合にのみそうなるのだが、
AはBと二人きりだと、心の材料を洗いざらい話してくれる。信じられないところまで踏み込んで、 AはBにものを話す。BはAに対する理性的判断をスイッチオフして、「判断せず虚心に耳を傾ける」と表現していい機能そのものに化す。昔話で狐が人間に化けるみたいに、精神科医のフロイトは、"相手の話に耳を傾ける能力"というもの自体に化ける。AとBは半ば一体化した一つのもののようになって、Aの心の経験はBに流れ込む。
■5
精神科医Bが、その経験を固形化し、弟子や教え子に共有する段に問題が起こる。
Bは、AとBの互いに合一するような対話・カウンセリングの場面を弟子たちに立ち会ってもらって、見聞してもらえば、Bの意図する趣が弟子にもすぐに間違いない形で伝わるだろうと期待する。
しかし、ものごとはうまくいかない。
AはBを信頼しているが、弟子たち(C以降の人間)を信頼してはいない。
対話の場、カウンセリングの場に、AとB以外の「他者」がいることに気づくと、途端に Aは Bに対してすら、心を閉ざす。
当たり障りのないことしかいわなくなる。
■6
こうした患者Bの心の働きは、
「一人の音読」と「他者との音読」とにおいて、似たものがある。
「一人の音読」の時、音読者の内側の、今まで物陰に隠れていた「色々な自己」がわらわらと広場に集まってくる。
外の世界に対する外交大使となっている理性と悟性は、その時にこそ、自己の内側の諸要素と対面し、心を通わす機会を得られる。
しかし、「他者との音読」では、自己の内の外交大使のみが応対に出向く。
自己の内側の諸要素は、他者の気配に気づくと、物陰に隠れ、存在しないもののごとく振る舞う。
■7
「一人の音読」によって、外交大使たる理性が、内側世界の諸要素と多くの対話を交わし、関係が強い成熟の段階に入った時、内側世界の諸要素は、自らも外交大使たる理性だけに任せず、一致協力して、外側の世界への交渉にも向かっていこうという姿勢を持ち始める。
これは、一つの国の内側の政治が、複数の政党の乱立状態になり混乱している状態から、次第に政党間の信頼関係が築き上げられ、与野党を超えた挙国一致内閣のようなものが形成されていき、
外交に対しても、内政についても、各勢力が一致協力した状態で、望むようになる流れ、になぞらえて良いように思っている。
■8
最初は「臨時政府」が他の勢力の協力をなかなか得られず孤軍奮闘する。
「臨時政府」は「他者との音読」という外交手段によって、自国へのある程度の便宜を獲得することはできる。しかし、外交による恩恵の獲得は、穴の空いた容器に水を注ぐようなもので、根本的な問題の解決にはならない。
外交も必要だが、国内の各勢力との対話が根本的な問題解決への道を用意する。
「臨時政府」は「一人の音読」によってこそ、自らの姿を認知し、他の国内勢力との対話を可能にする。
実際の政治の世界では挙国一致体制は 危機の時代の臨時的手立てで、永続的なものではないように感じられるが、一人の人間の心の内では、一度形成されれば、その生涯の間、ずっと続くことがあるもののように自分には感じられる。
■9
以上書いたことは大半の読者の方にはもしかするとピンとこないことかもしれない。
そうした危惧はあるが、思ったことを思った通りに書くと上記のような具合になる。
ここまでです。
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