大野美夏 Como uma onda no mar

ブラジル在住サッカージャーナリスト 95年からブラジルで初めての日本人女性サッカージャーナリストになって27年。 私の人生は 波のようにゆられゆられ 流れ流れ 中盤まで来ました。 まだ何が起こるかわからない人生を楽しみたいと思います。 Como uma onda no mar.

大野美夏 Como uma onda no mar

ブラジル在住サッカージャーナリスト 95年からブラジルで初めての日本人女性サッカージャーナリストになって27年。 私の人生は 波のようにゆられゆられ 流れ流れ 中盤まで来ました。 まだ何が起こるかわからない人生を楽しみたいと思います。 Como uma onda no mar.

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宝石メゾン カルチェの腕時計サントスとブラジルのお話し

ブラジルに来て驚いたことがある。 世界で初めて動力で人間が飛行機で空を飛んだのは?当たり前だけど、ライト兄弟と答えた。 ブラジルでは違う。 サントス・ドゥモンなのだ。 え!何言っとんの!!!ブラジル人あほやなあ。世界の歴史も知らんのか? と思った。 - 知ってる?人類初飛行はブラジル人だった!- 驚きの事実! - 世界初の腕時計サントスの製作秘話とは? フランス人移住者子弟でブラジル生まれのサントス・ドゥモン。 裕福なコーヒー農場主の子としてブラジルで生まれ、 フランス

    • ブラジル若手サッカー選手のショーウィンドウ

      ブラジルのサッカーシーンは 毎年1月のU20大会、コッピーニャ(コッパ・サンパウロ・デ・フチボウ・ジュニオーレス)で始まる。 今年はブラジル全国から128クラブが集結して、サンパウロ州の各地で試合が展開されている。 グループリーグ後のノックアウトラウンド第2戦の レッドブル・ブラガンチーノ対ボタフォゴ戦を見るために車で高速を3時間飛ばしてきた。 レッドブルにはパートナーシップ契約をしているヤンマーがスポンサーのセレッソ大阪から19歳のJリーガー、岡澤昂星選手が10番をつ

      • チェルシー移籍が決まったアンドレイ・サントス(ヴァスコ) 若くしてビッグクラブに入ること

        また一人ブラジルの次世代スターが欧州に売却済み Vasco ヴァスコのボランチ 18歳のAndrey Santos #アンドレイ・サントス 選手 チェルシーに移籍が決まった 2000万ユーロとも言われる マンチェスターUとニューキャッスルは争奪戦で脱落 アンドレイは育成世代のブラジル代表に選ばれている逸材 アンドレイのケースを見て チェルシーに若く買われたブラジルの次世代スターと言われた ルーカス・ピアゾンを思い出した ルーカスはサンパウロFC育成部育ちで U15か

        • カタールW杯 ブラジル戦記 スイス戦

          #Casemiro ! Você é o cara !! カゼミーロがやってくれた❗️ (#ブラジル ではカジミーロ) やっと#セレソン 先制ゴール ちやみにチッチ監督が抱き合ってるのは 息子さんです#ブラジルvsスイス #ワールドカップ pic.twitter.com/ruY8eTPWnU — ミカ@ブラジルサッカー30年大野美夏💚 (@MikaOhno)

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        • 海外生活
          5本

        記事

          暑い時のマスクはツラい、ましてや心が弱ってるともっと

          5ヶ月ぶりに日本に戻ってきた。 この5ヶ月でブラジルは コロナとの共存が進み ほぼマスクしてない日常生活になった。 医療施設など一部を除いて。 すっかりマスク無しの快適さに慣れたところで、再び日本の厳しいマスク生活だ。 ちなみに、私はアンチマスクでもなんでもない。 ガイドラインに従って ブラジルでも義務の時は マスクをしてきた。 第一声は 「暑い」 9月末というのに、日本は蒸し暑いし、日差しも強く、とにかく暑い。 汗をかく、 マスクでさらに熱がこもり、 不快だ。 顔にぶつ

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          97年を振り返って (過去見聞録)

          この原稿は97年に書いたものです。今から25年前のこと。 今日、私は55歳の誕生日を迎えました。24歳でブラジルに来てから30年経ちました。 大野美夏 サンパウロ・ブラジル <ブラジルサッカー全体>   97年、日本はW杯予選で大いに盛り上がったことでしょう。それに比べると、予選免除のブラジルはあの一種独特な予選大会の緊張というのを味わうことなく、のほほんとしてたように思います。というのも93年の予選大会では、最終戦まで本選出場がどうなるかわからず、本選以上に冷や汗をか

          97年を振り返って (過去見聞録)

          JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第4回=忘れられないピラポーラ

          私のブラジルの原点はミナス・ジェライス州の北部にある小さな町、ピラポーラです。その思い出を綴っています。2016年のニッケイ新聞 JICA 日系社会青年ボランティア(現青年海外協力隊)リレーエッセイにて  忘れもしない。ブラジルに到着して数日後、生まれて初めて12時間ほぼぶっ続けで車に揺られた。「リオから任地ミナス・ジェライス州ピラポーラまで約800キロを車で移動するってどういうことなんだろう?」当時の私は距離感もつかめず、ただめちゃくちゃ遠いということしかわからなかった。

          JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第4回=忘れられないピラポーラ

          夫婦合姓にしたら

          日本の夫婦別姓って なぜ合姓はダメなの? と議論が出ないのかな? 一つにすることが無理だとなぜ気づかないのかな? 誰しもいろんなルーツを持って それを大事に生きていこうよ 一つのルーツじゃなくて だから、姓をいくつでも合わせたら いいじゃない 田中渡辺さん 近藤藤原さん 山田林小沢町田さん 夫婦別姓じゃなくて合姓

          Como uma onda no mar.

          海の波のように 気がついたらこんなところまで来ていた 私の人生 これで良いのか 正しいのか わからない ただ、ただ Como uma onda no mar 海の波のように 大きな波 小さな波 流れていく