宝石メゾン カルチェの腕時計サントスとブラジルのお話し
ブラジルに来て驚いたことがある。
世界で初めて動力で人間が飛行機で空を飛んだのは?
当たり前だけど、ライト兄弟と答えた。
ブラジルでは違う。
サントス・ドゥモンなのだ。
え!何言っとんの!!!ブラジル人あほやなあ。世界の歴史も知らんのか?
と思った。
- 知ってる?人類初飛行はブラジル人だった!- 驚きの事実!
- 世界初の腕時計サントスの製作秘話とは?
フランス人移住者子弟でブラジル生まれのサントス・ドゥモン。
裕福なコーヒー農場主の子としてブラジルで生まれ、
フランスで教育を受けた。
人間が飛行機で空を飛んだ!
空を飛ぶことに情熱を持って、飛行船を作りエッフェル塔のまわりで飛んだり、
ついには1906年にパリでみんなが見ている前で初めて飛行機で100m以上の飛行に成功した。
世界初!と認められた。
ライト兄弟の登場 3年前の写真をもとに
しかし、その後にライト兄弟が
写真を持ち出し、
「実は3年前に僕たちは飛行に成功した」と言い出した。
そして特許を取った。
これでアメリカ中心の世界はライト兄弟が世界初の飛行と言うようになった。
しかし、公衆の面前でないことから、本当に飛行したかなど写真ではわかりようがないのが事実。
それでも世界は特許からライト兄弟を認定した。
なぜサントス・ドゥモンはなぜ特許を申請しなかったのか?
人類の夢である飛行技術をみんなに分け与えたかったから。
自分だけのものにするつもりはなかった。
そのおかげで、飛行技術は一気に進化していった。
しかし、サントス・ドゥモンがみんなに分けた夢は悪夢に変わっていく。
戦争だ。
人を殺す道具として飛行機が使われるようになり、彼は耐えられなくなり、ついにはブラジルで首を吊って自殺してしまった。
今でもブラジル人、フランス人はサントス・ドゥモンを飛行機の父として誇りをもっている。
ブラジルの街にはあちこちにサントス・ドゥモンという名前や、14bis(カトルゼ・ビス)という世界初の飛行成功の飛行機の名前がオマージュとしてつけられている。
2016年リオ五輪の開会式ではサントス・ドゥモンのオマージュがボサノバとともに繰り広げられた。
さて、ここまで来たら想像できるかな?
カルチェのサントス。
これは世界初の腕時計。
それまでは懐中時計だった。
ポケットにしまい、時間を見るたびにポケットから取り出した。
これでは、飛行の時に、両手が塞がって操縦しながら時間が見れない。
「カルチェくん。時計を飛行中に見れるように腕につけてくれないか?」
「よし!わかった。作るよ!」
これが世界初の腕時計『サントス』となったのだ。
腕時計サントスには、一人の飛行家の夢とロマンと失望が詰まっている。
この腕時計サントスこそが、世界初の人間の飛行記録を作ったのがサントス・ドゥモンだった証である。
サントス・ドゥモンはパリのど真ん中で、みんなの前で飛行を成功させたんだ。
現在、世界有数の中型飛行機メーカーどこか知ってる?
カナダ・ボンバルディ. アとブラジル・エンブラエルの 2 社。
ブラジルには航空技術が蓄積されているゆえ、エンブラエルがある。
それは当然。サントス・ドゥモンからの歴史だ。
今でも、サントス・ドゥモンのスピリットは生きてるし、この航空産業はブラジルにとって大きな輸出事業になっている。
日本が三菱で国産機をとがんばっていたけど、結局実現できなかった。
それをブラジルはやっている。
世界中が顧客だ。日本も。
ブラジルの天才はITAという大学に入る。
Instituto Tecnológico de Aeronáutica
航空技術研究所
ブラジルの頭脳は全部ここに詰まっているのだ。