【スカイ・クロラ考察】この世界の大人たち
今回は,劇場公開15周年記念の第2弾として作中の大人を取り上げます.彼(女)らを追うことが作品のテーマにつながるかも?
1.はじめに
まずは本編エピローグにまつわる一節を紹介します.押井さんは,サンフランシスコでのダビングで仮音を入れた後,庵野秀明さんと神山健治さんと一緒に通しで見たようです(※).
そこで庵野・神山両氏は,整備士・笹倉永久の最後の表情について意見が一致します.具体的には,エピローグで優一の生まれ変わりを格納庫から見たときの表情です.
この話は押井さんと神山さんの対談で取り上げられています.長いですが引用します.
ここでインタビューワーの方が気になると言っているのは,笹倉の表情が,優一がはじめて基地に来たときのものと違うことでしょうか.確かにはじめの方は微笑みが混じっています.
ちなみに,神山さんの「演出が不在」というのは,アニメーターが押井さんの注文に応えられなかったというよりも,押井さんとの間で何らかのコミュニケーションエラーがあったのでは,ということでしょう.意思疎通できていればああはならないはずと.
さて,注目は見解が2つに分かれていることです.それは押井さんの「変える気はない.なぜなら当初のコンセプトと異なるから」という箇所で明瞭になっています.彼は,要するに「神山たちの考えはオレが考えていたことと違う.西尾の絵を変えるつもりはない」と言ってます(末尾註1).
この点,押井さんの絵コンテを見ると笹倉の表情に喜びの要素は一切なく,「少し疲れた横顔を見せて」格納庫に踵を返す旨記されています(コンテ388頁).このメモに鑑みれば本編の絵は2人よりもコンテ寄りではあります.
しかし,コンテには「寂しい」といったニュアンスのメモはありません.たとえば,笹倉に「哀しい」表情の指示があるのは,水素の破綻を訴える三ツ矢に応答するもわかってもらえなかったときです(同329頁).この哀しい表情と先ほどの表情が同じに見えることが,押井さん的には問題なのでしょう.
以下,この見解の相違からあれこれ考えていきます.
2.神山氏の見解
そもそも,どうして神山さんは,笹倉が「喜び(祝福)の表情」であるべきと考えたのか.まずはこれを探ります.
次の水素の台詞が糸口になるかと思います.
このシーンは,水素が味方機の墜落現場に駆けつけた際,近隣住民(年配の女性)が憐れみの涙を流していたことに対する彼女の反応になります.「enough is enough」とは,もうたくさんだいいかげんにしてといった意味で,コンテにはないため追加の経緯が気になります.水素役・菊池さんからの提案でしょうか.
それはさておき,キルドレに対する憐れみが水素にとっては度し難いようです.キルドレたちは空を飛んでいるときにしか,生きている実感を得られない人たちでしたから,戦死であれ空で死ぬことは彼らにとっては生きることと同じです.なので彼らが精一杯生きたことに対し,すべきは哀悼ではなく祝福だと.
そんなわけで,優一は生きようとしてティーチャに挑んだのですから(「草薙水素は死なない」),彼の生まれ変わりに対して,笹倉が寂しい表情を浮かべるのも水素的には侮辱に映るような気がします.笹倉はキルドレの母親的存在であり,彼らに理解のある側の人です.一般市民と同じ態度をとるはずがないから,あの表情は違うだろうと.
これが筆者の推測する神山さんの見解です.結論が同じ庵野さんがどのように考えていたのか知りたいところ.
3.押井氏の見解
では,押井さんについてです.神山さんらとは異なる「当初考えてたコンセプト」は果たしてどんなものだったのか.
まずコンセプト(concept)には構想といった意味があります.構想とは部分と全体でいえば全体に関わる言葉で,全体を貫く基本的なアイデアといったイメージでしょうか.
すなわち,笹倉の表情は作品の基礎に関わるということです.何やらむずかしい話になる予感がします.
(1)2つの大人
さて,笹倉の表情が作品の基礎に関わるということですが,笹倉は主人公らキルドレとは異なり一般人です.すなわちティーチャと同様,普通の人間の普通の大人.
そこで本作でしばしばキルドレと対比される「大人」について考えることになります.優一の台詞から始めましょう.水素の娘・瑞季に彼は言います.
ややこしいのですが,押井さんの設定では,キルドレの見た目16〜17歳,実年齢は26歳くらいとのことです(ナビ80頁).したがって彼らは大人として扱われています.たとえば酒や煙草,やってます.水素に関しては,笹倉と8年の付き合いがあるというので,長生きしている分さらに大人といえます.
「なれないんじゃなく,ならない」.外見的には確かに大人になれないので,ここでいう「なる/ならない」は精神的な側面のお話ということになるでしょう.
さて,ここまでで大人扱いされているキルドレですが,その一方で優一にとってはなりたくない「大人」があり,両者の間には明確な線が引かれていて,線引きは精神的なものということまで進みました.こうしたことは部分的に次の言葉に垣間見られます.
若者たちの気分を無視して"オレの考える最強の希望を説くわかってない大人たち".
もっとも,劇中の大人が全員「わかっていない」というわけではなさそうです.というのも,本編で大人は2種類に描き分けられているからです.
1つは,先ほど触れた近隣住民の方や,今から触れる基地にツアー見学に来た大人たちです.後者は民間の戦争請負会社の支援者たちのようです.
劇中で,水素は優一に彼(女)らのガイドを頼みます.同僚のパイロット湯田川はこの見学者について「あの女〔水素〕ならとっくに撃ってる」と言います.見学者たちは口々に優一に応援や感謝の言葉をかけていました.どうやら同情だけでなく,応援や感謝の言葉でも水素は「神経が苛立つ🎃」ようです.また湯田川としては,見学しようという発想自体が気に入らない様子.
いずれもキルドレの秘密を知らない人たちで,水素を苛立たせる人たちでした.ここでいうキルドレの秘密とは,さしあたりループの運命を背負っていることと理解してください.
さてもう1つは,キルドレの秘密を知る大人たちです.飛行機の整備主任である笹倉の他にも,優一たちがよく行くドライブイン「ダニエルズ・ダイナー」のマスター夫妻がいます(なお今回コールガールたちは検討及ばず).
笹倉とマスターらがキルドレの秘密に気づいてるというのは,優一が湯田川の生まれ変わりに気づいたように,日頃から接する機会のある笹倉たちなら彼(女)らのループにさすがに気づいているだろうと推測できるからです.
また,キルドレとの距離感も似ています.大人たちの表情は硬く,キルドレに対する接し方もどこか丁重というか重々しいのです.彼らに掛ける言葉も「…おめでとう(コンテによれば目が笑っていない)」「気をつけてね」(ボソッ)とか.
これら2つの大人を比べると,キルドレの秘密を知らない人たちは,彼らの戦死を憐れみ,また感謝と応援の言葉を掛ける.これに対し秘密を知る大人たちは,彼らと接する際になんとも言えない重たい空気を醸し出す,といった描き分けを看て取ることができます.
以上から,先ほどの優一がなりたくない「大人」,すなわち「わかってない大人」とは,前者の秘密を知らない大人を指します.押井さんの言う,現代の若者をわかっていない大人は,劇中でキルドレたちが背負う運命について「わかっていない大人たち」に重ねられていると考えることができます.
(2)マスターと謎の老人と笹倉
続いて後者の,キルドレの秘密を知っていると考えられる大人たちを検討します(以下,単に大人という場合こちらを指します).この大人たちで手がかりになるのは笹倉とマスターです.やや細かい作業が続きます.
まず,マスターの次のシーンに注目します.優一らが所属するロストック社による大規模攻勢がテレビで報道される中,店先に出て煙草を咥え,老人の隣に座るシーンがあります.
この老人は原作同様,店先の階段でずっとうつむいること以外に情報がなく未だにその正体が謎であり続けています(ネットには「待っている」という台詞が一言だけある予定だったという情報がありますが今回裏は取れず.情報求む).
とはいえコンテには次のメモがあります(コンテは戦闘機シーン以外は押井さんの手によるので以下で引用するメモは全て押井さんのもの).
まず指摘できることとして,マスターは自分のことで何か葛藤している様子であること.そしてその葛藤は戦闘を観戦できないことからして,戦争あるいはキルドレに関係していることです.
ちなみに,このときの絵は老人の横顔とマスターの横顔が並び両者を比較できる構図になっています.2人の輪郭は似ており,同一人物であることを示唆しているように思えます.2人が親子なのかクローンなのかはわかりませんが,少なくとも何らかの意味でマスター=老人という解釈を促しているものと理解します.
これを踏まえて,次にこの謎の老人について見ていきます.彼の正体は結局わかりませんがコンテに次のメモがあります.優一が初めてお店に来た際に老人を眺めるシーンです.
この老人は生きているけど死んでいるような者として存在しているようです.「生きているのか死んでいるのかわからない」存在といえばキルドレです.両者の関係が気になるところですが,とりあえず先ほどのマスターにつなげると,老人と同一人物を匂わせるマスターも,生きているけど死んでいるような状態ということを導けるでしょう.おそらくメンタル的に.どうしたマスター.
ここで気になってくるのが,人物は変わって整備士笹倉.彼女の表情に関する2つのメモです.まずは冒頭にも触れた優一の生まれ変わりを見た彼女の表情.
もう1つは,土岐野が優一を初めてドライブインに連れて行った際に,笹倉が土岐野を睨むシーンで,彼が優一に前任者・栗田仁朗のことを話してやろうと思ってという旨の申し開きをした際の笹倉です.
笹倉が抱える「複雑な感情」.土岐野が優一に話そうとする内容は確かに複雑なものですが,それと同時にそもそも笹倉が常々キルドレに複雑な思いを抱いていることを読み込むことも,あながち深読みではないと思います.
そして何より2つに共通する彼女の「徒労感」.マスターや笹倉らが出す重い空気や,彼らが日常的にどこか疲弊している様子といったものはキルドレと関係がありそうです.
つまり,大人たちに見られる疲弊は彼らのキルドレに対する重々しい態度と関係しているといった予測が立てられます.マスターについてはある種自責の念に近いものも彼らに抱いていそうです.
そして,このキルドレに関する複雑な思いは,彼らとツアー見学の一般人との違いに,すなわち,キルドレの秘密を知ったことに起因していると考えられるでしょう.おそらく彼らの秘密が大人たちを疲弊させている.
(3)世界の秘密
それでは,その世にも恐ろしいキルドレの秘密について触れましょう.この秘密は戦争の真実と関係しています.
台詞によれば,優一は水素に何かを変えてほしかった.それは彼女の死にたいという個人の問題ではなく,水素をそこに追い詰めたそもそもの原因の変革を託した,というのが前回記事で少しだけ触れた理解です(上述「草薙水素は死なない」).
その原因とはキルドレに繰り返しの運命を強いる何かです.スカイクロラの世界は恒久的な世界平和が確立した世界ですから,本来戦争は起こらないはずです.しかし,人々は実際に人が死ぬことを目の当たりにしないと平和を実感することができず,平和を維持できないことから逆説的に戦争が求められる,そんな矛盾を抱えた世界です.なので戦争の終わりは平和への危機につながるため,この戦争は終わらせることができない.これがこの世界の真実.これはこれでディストピアです.
この戦争が戦闘員であるキルドレにループの宿命を強いています.終わらない戦争のために,ひたすら生と死を繰り返させられている.「運命を仕組まれた子どもたちか.過酷すぎるな」といったどこかの副司令の声が聞こえてきそうです.
そしてここに不条理,不正義あるいは理不尽があります.このことに何かを思った優一はティーチャに挑み,水素も決意新たにというところで物語は閉じます.
話を戻すと,笹倉たちがこの戦争の真実を知っていたかはわかりませんが,少なくともキルドレの秘密(ループの運命)については,彼女らは気づいていたでしょう.キルドレの秘密だけでも理不尽です.
(4)大人の葛藤
以上のように考えると,大人たちの苦悩がつながります.彼らを蝕んでいるのは,この世界の不条理に対する無力感に近い気分だろうと.
世界の直接の犠牲者となっているキルドレたちは優一のように気づいていないか,気づいたとしても「受け入れて,日々精一杯生きることが美しいと考え」て過ごしています.
これに対し,この世界の真実,理不尽に気づいた大人たちは,心のどこかでこれを受け入れられない,受け入れてはいけないと思いながらも,自分たちにはどうしようもできないといった状態ゆえに,あの重い表情なのではないでしょうか.
これはマスターの自責に近い念にもつながります.キルドレたちを犠牲に自分たちは平和を享受しているという念.やはりキルドレにどこか胸を痛めている.世界の犠牲となっている彼(女)らへの後ろめたさみたいなものを推しはかることができます.マスターの「オレはいったい何なんだ」の行間に「(これでいいのか)」といった言葉が読めそうです.
以上,ここでは社会への葛藤を抱えて生きているのが,あの世界の大人たちと考えたいと思います.
良心の呵責あるいは無力感に苛まれながらも,笹倉は日々業務に勤しみ,マスターも黙ってミートパイを出しコールガールへつなぐ.
そしておそらくティーチャも同様に日々キルドレを殺し続けているのでしょう.彼が水素に「生きろ」と思っていたのは(上述「草薙水素は死なない」),抗うことを彼女に期待していたからとも考えることができます.
以上,押井さんの「当初のコンセプト」の読解を試みました.大人たちの空気が重たいものになること,および笹倉の表情が祝福のそれにならないと理由はこのあたりだろうと思います.
この世界は狂っていると考える大人が,明るい顔でキルドレのループを祝福するというのはどこかで嘘をつかないとできないことですから,パイロットの母親的存在である笹倉はそうした表情はしないのです.
ここで急いで付け加えたいのは,神山さんらは笹倉が嘘をついても祝福するべきと考えているわけではない点です.
そもそも彼らは上述のような押井さんのコンセプトを知りません.上述からうかがえるように,押井さんは「ショートしての戦争」という世界観を作品内で成立させてはいますが,それを支える摂理とでもいうべきものは理不尽で変更されるべきと考えています.
そうした押井さん本人の考えは脇役である大人たちに反映されています(演者が豪華な点に合点がいきます).しかし,神山さんらにしてみれば笹倉たちは世界観に則った存在であり,まさか脇役まで摂理に異議を持つ存在として描かれるとは思っていないでしょう.彼らにとってその世界に疑問を持たない笹倉なので,確かに生まれ変わりを祝福するはずなのです.
したがって,冒頭の監督たちの分かれ目は押井さんの基本的コンセプトを知らないことに起因するものだったことになります.意見が分かれるのも仕方がない.
4.キルドレについて
さて,上述のような大人が配置されたそもそもの趣旨はキルドレの描写のためとのことです.
そのキルドレについて,先ほどのあえて大人にならない旨の優一の台詞と似たものが本編にはあります.
これは原作にはないものです.押井さんはシナリオ会議で「人は,大人になる必要があるのか?」という内容を盛り込みたい旨を脚本担当の伊藤ちひろさんに伝えており(アニメは94頁〔石井朋彦執筆部分〕),これがキルドレに関する主題になっていることがわかります.
この問題意識について具体的に語ってくれているので紹介します.
これは第1回製作者委員会(2005年8月11日)での所信表明の一部です.そこでは大人になること,実社会に参加することに必然性や魅力を感じなくなっている現代の若者の気分,そしてそれが理由のあることが言われています.
もちろん押井さんとしてはそれでも大人になることに積極的な意味がある,と言いたい(に決まっている).その1つは「人とかかわること」という主題で優一と水素の描写に込められました(「草薙水素は死なない」).物語的に彼(女)らは押井さんのいう大人になったからです.
この「大人になること」は制作初期では主要テーマの1つだったのですが,次第にそれは作品最大のテーマ「生の実感」の対象が若者だけではなくなるにつれ,少し後退していったように思います.
今回は以上になります.次回その最大のテーマについて取り上げます.最後までお読みいただきありがとうございました.
註
笹倉の他にも表情がうまくいっていないと押井さんが明かすのは,
・コテージで優一を前に服を脱ぐ水素.
・終盤泣き崩れる水素(「あれはあれで正解だけど」何か違うらしい)
いずれも言論375−376頁.
個人的に急いで付け加えたいのがフーコの館でティーチャを目の前に脱ぐ水素も同じく無表情ということです(下記画像).
特に服を脱ぐ際の水素の表情について押井さんは「仕方ないんだよ.アニメーターは理解できないものは描けないんだから」とか言ってますが,彼女が脱ぐシーンの表情が統一されていることに鑑みればアニメーター側はその表情に確信を持っています.みんなして押井さんはこれがストライクでしょ,という.『イノセンス』(2004)に登場するセクサロイドのイメージなのでしょう.
関連して,脚本を担当された伊藤ちひろさんは,水素がティーチャと関係を持ったことについて「人生の何かを変えようとして大人の男性と関係を築」いたと言い,「若いときに女の子が大人の男の人とつき合うことによって,自分も変われるかもという期待を抱く感情に近いんじゃないかと」(以上,宝島19頁)という理解を示しています.なるほど勉強になります.それにしても水素は当時から変わりたかったということは,彼女がずっと何かと闘っていたということです.闘う女性.奇しくも名前が酷似する別の草薙氏を思い出します.
・参考文献
『押井守ワークス+スカイ・クロラ』別冊宝島1546号(2008年)
『スカイ・クロラ ナビゲーター』日本テレビ,2008年
押井守編著『アニメはいかに夢を見るか』岩波書店,2008年
押井守著・アニメスタイル編『スカイ・クロラ絵コンテ』飛鳥新社,2008年
押井守『押井言論2012-2015』サイゾー,2016年
画像:©2008 森博嗣/「スカイ・クロラ」製作委員会